見出し画像

世界一幸せな島

このところ、とある都市伝説のような噂話を耳にすることがある。
日本から少し離れたとある島に、「何一つない不自由ない幸せな島」があるというのだ。
そして、毎年数人はこの島に行き、幸せな生活を送ることができるという。
その幸せは何か分からない。
その島では誰かが統治しているらしいが、誰かは全く分からず、
しかしその島に来た人たちの税金諸々を支払っているため政府から咎められることもなく、政府も黙認しているということらしい。
しかし気がかりな点がある。ネットや人伝で「そうらしい」という話が上がっているだけで、その島から誰も帰ってきた者がいないということなのだ。
なのに何故、その話がまことしやかに流れてくるのか。この話を巡り、様々な憶測が飛び交った。
「幸せだから帰ってきたくない」のか、「実は地獄のような場所で、逃げたくても逃げ出せない」のか。
そもそも、この話を流したのは一体誰なのか。そうであれば、何故このようなことをしているのか。疑問が疑問を呼び、出た結論は「誰かが面白半分に嘘の情報を流したのだろう」とのことだった。そう考えなければあまりに脈絡がなく、推測しようにも何も分からないからだ。
この話は、嘘だデマだとの情報が流れ、大した話題にもならないまま、一部を除いて次第に人々から忘れ去られていった。


一人の不幸な青年がいた。
名前は大下武弥という。
大学受験は失敗し、一浪して大学に入学した。
しかし結局第一志望の大学はおろか、第二志望の大学も入ることができず、
行きたくもない大学に入学することが決まり、その大学の近辺で一人暮らしをしている。
希望していた大学に行けなかったという落胆の気持ちが強すぎ、大学生活が始まっても何もする気力が起こらず自堕落な生活を送っていた。親にも愛想を尽かされ絶縁状態。もう長いこと外部との連絡をとっていない。もうしばらくすると、家賃も何もかも払えなくなってしまう。
死にたい。消えたい。
これが、彼の頭の中を占めている思考のそれだった。
なぜ、生きなければならないのか。これが頭の中に渦巻いている。
希死念慮、彼の頭の中には常にその言葉がぐるぐると回っていた。この言葉を見つけた時、彼は感動してしまった。自分の状況を表す言葉が存在しているとは。
今、大学3年生に上がるところだが、すでに必要単位数は大幅に足りておらず、留年はほぼ決定的である。簡単にできる自殺方法を探すことが、最近の日課になっている。


ネットを見ていると、ふと見慣れない記事が目に入った。
「幸せな島への行き方」と書いてある。「幸せな島」とは一体何か?
記事を読んでみると、その島のことが詳しく書いてあった。
この島は基本的に島への受け入れは拒んでいないが行き方が限定的であるため、そもそも行くことはかなり難しい。島自体も崖に囲まれており、船を止めることができる箇所は限られている。
そしてその島に行く船は、とある港のある船乗りしか操縦することができないそうなのだ。
正確には、船自体は操縦することはできるが、その島がどこにあるのか、その人にしか分からないという。今まで、その島に言った人間は少なくともこの5年間で50人に満たない程度というが、彼ら全員、その船乗りを探し当て連れて行ってもらったらしい。
その島は、一人の男性が統治しており、年齢は40手前から70後半と正確なところはほとんど分からないようだ。
その島は非常に幸せに満ち満ちた島だという。現に、その島から出たいと言う者はいないし、脱走者もいない。全員がそこで自給自足の生活を送り、素晴らしく幸せな生活を送っているらしい。もし興味があるようなら、探してみるのもありかもしれない、とこの記事は締めくくられていた。
最後にはこれに対するコメントも記されており、これはどうしようもない面白半分の都市伝説だ、これを本気にする奴がいるのか、というような否定的なコメントが多く、やはりこの非現実的な話を信じていないものが多数のようだった。
しかし、彼は違った。どうせなら、やれるところまで、自分でやってみよう。どうせ、自分はいてもいなくても同じなのだ。いや、むしろ、いないほうが世界のためになるのかもしれない。そう思い、現実でその島に行ける手段を探し始めた。

最近は、ネットがあるから簡単だ。「幸せな島 都市伝説」とさえ調べれば、多くの記事がヒットした。S N Sでも、それについて書き込んでいる人も多数見受けられた。
その中に、一つ興味深いサイトを見つけた。
「『幸せな島』に行きたい方募集中。船の手配もしております。料金30万円から。要相談です。連絡はこちらまで」
いかにも怪しそうな文言ではあったが、一か八か、彼はあえてその誘いに乗ることにした。ダメだったらダメだったで、それはそれで良い。可能性を信じてみることが大事なのだ。
もし30万円をぼったくられただけで終わってしまったなら、それはそれで死んでしまおう。
もう、その時は何も考えず、全てを終えてしまおう。ここに生きているだけで誰かを不幸にしているのだから、行動した方が、せめてもの罪滅ぼしともなるだろう。


「いきなりのメッセージすみません。突然ですが、その島に行くことについて興味があります。ぜひ連れて行ってもらえないでしょうか。お金はお支払いします。お返事ください、よろしくお願いします」

そう送って待つこと1日。
朝起きてメールボックスを見ると返事が届いているようだった。

ご連絡ありがとうございます。ご興味がおありということですね。貴方様の他に、この島に行くことに興味を示していただいた方がもう数名おりまして、その方々とも連絡をとっているところです。日程としましては、再来週の22日を予定しておりますが、よろしいでしょうか。もしよろしければ、ご連絡をください。詳細な情報をまたお送り致します。

武弥は、
「問題ありません。その日でよろしくお願いします」
とメールを返した。


その2日後、またメールが届いた。文面にはこうあった。
「●月●日9時30分、△△県□□市××港の、白色の旗を掲げている船にお集まりください。時間厳守でお願いします。船はさほど多くありませんから、すぐに分かるはずです。
必要なものは特にありません。代金30万円を、お忘れなきよう。よろしくお願いします」
その場所は、関東地方に住んでいる武弥からすると、さほど遠くない場所だった。

当日指定された場所へ30分前の9時に到着した。
その港には船が何隻か並んでいたが、一際目立つ、大きな白い旗を立てた船が見え、それがメールで指定されていた船だというのはすぐに分かった。
その船に着くと、船の横で2人の若い男女が話をしていた。
男の方は40歳くらい、女性の方は20代前半、もしくは10代にも見えた。
「貴方もですか」
男性が、武弥に対して尋ねた。
「えっと、そうです」
女性が武弥の方を向いた。
「本当にその島に行ったら幸せになれるんでしょうかね」
男性はそう続けた。
「ちょっとその話をしていたんところなんです。きっと何も悩むことなく暮らせるんじゃないかなと思っているんですが、その考えは甘いですかね」
「僕は、この世界から逃れることができたらもう何でも良いです。『幸せな島』ですから、今よりはきっと幸せになるはずだと思っているので。」
彼らは武弥の回答に少し驚いた顔をしていた。
遠くから、かなり歳の老人が現れた。
「あぁ、早くお着きになったんですね。折角ですから、もうすぐに出発してしまいましょうか。では、船に乗ってください。」
3人は船に乗り込んだ。
「代金をいただきますね」
と老人に言われ各々カバンを探り、分厚い封筒をそれぞれ彼に差し出した。
「では、これは後で確認します」
3人は、船の中に乗り込み向かい合う形で座った。
船自体はそこまで大きくない。その老人は船前方の操縦席に立ち、船を出発させた。
「さっき、2人で少し話してはいたんだけど、君はここに応募しようと思ったの?」
男が話しかけた。
「生きる意味がないと思ったからです。生まれてこの方苦労ばかりで、このまま生きていてもろくなことにならないと思うのです。何度も死のうと思いました。ですから、この機会は願ってもない機会なんです。別に自分が死のうが誰も悲しまないし、もし行った先が幸せならばそれはそれで幸せだと思う」
「それで、あなたは?」
「僕も、似たような思いを抱えているかもしれないな」
「僕のところは、会社が潰れてしまって。それで妻子にも逃げられて、今は1人なんです。1人でいると、責任感はないし楽だけれど、逆に悶々と考えてしまうね。僕も何度も自殺をしようと思った」
「それで、彼女は…」
彼女は自分で話し始めた。
「私は、父親からの暴力が激しくて。母親は私が小さい時に蒸発したと聞きました。父は、母の悪口ばかり言っていて」
「一生、この呪縛から逃れられないのならば、今死のうが、将来死のうが変わらないんじゃないかと思って」
一通りそれぞれの事情を聞いたところで、彼らの間に沈黙が続いた。
果てしない海が続く。
しばらくして、もうそろそろ船の上も飽きてきたと思っていた頃、
「あ、島だ」
と彼が言った。


その島はそれなりに大きな島だったが、岩が聳え立ち、その岩も木々で覆われておりありのままの自然、というような印象を受けた。
「着きました。さぁ、どうぞ」
木の板だけで作られた簡素な船着場に降ろされ、武弥らは呆然とした。それでもその森の中に入ろうとすると、黒い鉄の柵がされていた。完全に自然の思うがままにされているわけではなく、ある程度は管理されているようだ。入り口がどこかにないか探すと、入り口らしい場所が見つかった。鉄の柵を押すと、キィ、寂れた音とともに開き、その鉄の柵から、レンガが敷き詰められた細い道が伸びていた。
その道を辿っていくと、急に視界が開けた。


そこは広場のような場所だった。
中央には大理石で造られた大きな噴水があり、また遠くにはパルテノン神殿のような建物が見える。まるで古代アテネ、もしくは古代ローマに来たような、そんな印象を受けた。まるでジャングルにひっそりと隠れていた古代文明のようだ。
その光景にも驚いたのだが、彼らが驚いたのはさらに別のことだった。
何人も人間が見えたのだが、とても同じ人間とは思えないのだ。
彼らは全裸で、そして四足歩行なのである。そしてここに来た3人に何も気にする素振りを見せず、猫のように伸びをしている者もいれば、歩いている者もおり、木々に実った果実を食べている者もいれば、性行為にすら及んでいる者たちも見受けられた。
絶句する3人。
「驚くでしょう。誰しも最初は皆驚きます」
管理人らしき白髪の老人が現れた。
茶色のスーツに杖をついており、穏やかに微笑んでいる。
見るからに上品な、品の良い印象を受けた。
「…あなたは?」
「ここのオーナーです。ようこそいらっしゃいました」
「…あの、これは、一体何でしょうか…」
「これですよ、あなた方が望んだ世界です」
意味が分からず3人は固まってしまった。武弥を含め、全員状況をつかめていない様子だ。
「皆さんは、幸せをなんだと思いますか」
まだ、何も答えられていない3人に対し、彼は微笑み話を続けた。
「私は、『不幸ではない状態』こそが幸せだと思う。では、不幸はどこから来るのか。勿論外から来るものもあるでしょう。しかし、私はもっと根源的なものに目をつけたのです。もともと、苦しみというのは内から湧き出でるものだという考え方です。自分が不幸だと決めつけるのは、あくまで自分自身であるのです。具体的に申し上げますと、それは考えることから生まれるのです。ですから、考えることをやめれば良い。もっと短直に言いましょう。何も考えず、『今』を生きていれさえすれば、幸せなのです。先の分からない未来のことを考えているから不幸になるのです。つまり簡単な話が、何が起こるか分からない未来を考えて怯えるよりも、楽しい今を見て生きることができるのならば、それが一番じゃないかと」
「…」
彼の足元に1人の若い女性が寄ってきた。
その姿はまるで猫だ。
彼がその女性の頭を撫でると満足そうな顔を浮かべ、そのままどこかへ去っていった。
「幸せそうでしょう、彼ら」
彼らは、その光景を目の当たりにし、絶句したままだった。
なんとか、男が口を開いた。
「…あなたは、なぜこんなことを」
男が尋ねた。
「『こんなこと』とは失礼ですね、自分の確固たる理念から始めたものなんですよ」
「…あなたは一体、何者なんですか」
「ある会社の社長をしていまして。何の会社かはここでは伏せさせていただきますが、それなりに名の知れた会社だと自負はしています。順調に成長している会社ですよ」
「それでは、30万円も出させる必要もなかったのでは」
「いえ、それも必要です。ただ私が30万円を欲しいわけではありません。言ってしまえば、お金なんかどうでも良い。あくまで冷やかしだとか、興味本位の人たちをを排除するためです。勿論ここに多くの人を呼び込み理想郷を作るのが私の夢ではあるのですが、安く呼び込みすぎてしまうと、『質』の悪い人たちまでもきてしまう恐れがある。これだけ高い金を積ませると、興味本位で来るひとはいなくなりますからね。あなた方が見たサイトも胡散臭かったでしょう。そのくらいが丁度良いんです。自分が不幸で、本気で死にたいくらい思っている人間じゃないと、こんな胡散臭いサイトを見て30万円も払ってまでここまで来ませんから。そもそも、この『幸せな島』の内容をお教えした以上、帰すつもりもありませんが。今でこそ言いますが、ある程度、あなた方の素性を調べさせてもらいました。あなたたちは、それに合格してここにいるのですよ」
さて、と彼が言った。
「本題に入りましょう。では、彼らのようになるために、どうすれば良いか」
そう言うと、彼は胸のポケットから袋に小分けされた錠剤を取り出し、3人に見えるようにした。
「簡単なことです。この薬を飲むだけです。味も苦くありません。飲むと脳が溶けていくような感覚があり、段々考えるのが馬鹿らしくなり、考えるとはどうするのか分からなくなって、最後には自分の感じるままに生きることができるのです。ほら、あなた方が望んでいた理想の生活はすぐ目の前にあるんですよ」
3人は動けない。それは恐怖と混乱が入り混じった、何とも表現し難い感情だった。
「最初は怖いですよね。最初はみんなそうでした。ですが今は、皆『生』を謳歌している。現状を変えるのは、ほんの小さな勇気だけですよ。幸せになりたいのでしょう。これを飲むだけで良いのです」
彼はそれぞれに薬を渡した。
3人はしばらく薬を見つめたまま、何か言いたいことがあるような顔もしていたが全員渡された薬を飲み込んでしまった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?