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ヘミングウェイ「老人と海」を→短歌に翻訳して→短歌だけ読んで小説に逆翻訳したらこうなる◎小説→短歌→小説をつくるバックトランスレーション 「ハヤブサ」

ハヤブサの遊び方

① ものずきがふたりあつまる
② 好きな小説をえらび小説→短歌に翻訳
③「元の小説がなにか」を知らせずに交換する
④ お互いの短歌だけをよんで短歌→小説に逆翻訳(バックトランスレーション)
⑤ ④の完成小説と②でえらんだ小説タイトル(翻訳元ネタ)を発表し合う。
⑥ 相違点をたのしむ

さっそくハヤブサで遊んでみる

① あつまったものずき: みやり と 立夏

② ヘミングウェイ「老人と海」を→短歌に翻訳(小説選・短歌作:みやり)※「老人と海」未読の方は先に目を通していただいてから続きを読んでいただくことをお勧めします。(→青空文庫:ヘミングウェイ「老人と海」)
※ 読んでなくても、大丈夫です。

ヘミングウェイ「老人と海」をみやりが短歌にしたもの

曙光射す右手冷ました悪い水意志の残骸銛を突き立て
しゃこうさす みぎてさました わるいみず いしのざんがい もりをつきたて

③「元の小説がなにか」を知らせずに交換する

④ お互いの短歌だけをよんで短歌→小説に逆翻訳(バックトランスレーション)
(作:立夏)

ここで、ハヤブサ追加ルールの発表!

今回のハヤブサには以下の追加ルールを設定してみました。

1. 翻訳短歌を書くとき、原作小説タイトルの名詞を使わないこと
2. 翻訳短歌を書くときに使用する名詞は、原作小説内の名詞だけを使うこと
3. 逆翻訳小説を書くときに使用する名詞は、翻訳短歌内の名詞を使わないこと

これを先ほどの短歌にあてはめると……

曙光射す右手冷ました悪い水意志の残骸銛を突き立て

1. 翻訳短歌を書くとき、原作小説タイトルの名詞を使わないこと
老人、海は使っていないのでOK

2. 翻訳短歌を書くときに使用する名詞は、原作小説内の名詞だけを使うこと
曙光、右手、水、意志、残骸、銛はすべて原作にあるのでOK

3. 逆翻訳小説を書くときに使用する名詞は、翻訳短歌内の名詞を使わないこと
→ 逆翻訳小説では曙光、右手、水、意志、残骸、銛使用禁止
※また、逆翻訳小説作者は小説作成時点で原作が「老人と海」であることは知らない状態です。

短歌をもらった時点の立夏の分析

立夏:
意志の残骸銛を突き立て…てどうなるか、というところが原作の物語のキモなのではと推察できそう。悪い水、というのは原作そのままの名詞ではなくて『悪い』という形容詞と『水』という名詞を原作の別部分から持ってきて連結した可能性もあるかもしれない」
ただ、水や銛を突き立てるなど海に関する言葉がふたつあるけど短歌そのものに海がないってことはタイトルに海があったりして……?

それでは実際の逆翻訳を見てみましょう。


ハヤブサで逆翻訳されたヘミングウェイ「老人と海」



 長い夜が終わり、東からの光の兆しが波打ち際から水平線まで遮るものなく続く凪を照らす頃、海は一面に銀の鱗模様を描き冷たく静かに揺れていた。
 それは、海というより呼吸するひとつの巨大な生命だった。

 その巨大な生命の波打ち際に立つ老いた男は、この光景をぼんやりと見つめていた。麻の上下も彼の肌も実年月より随分と草臥れてしまっていた。何十年も晒され続けた潮風のために。その長い年月をこの光景だけに捧げた強い願いのために。

 息をひとつだけ吐いた。利き手の義手はとっくに錆び切ってしまっていた。

*

 男が今よりずっと若かった時、つまりまだ妻と娘が生きていて、彼の両手とも生身であった時、鯨を獲るのを生業にしていた。鯨漁で成り立つ小さな島だったので、男が大きな群青色の雌鯨を獲った時は島中から持て囃されたものだった。男の腕は他の漁師仲間とは比べ物にならなかった。

 若き日の男は漁から帰る船上で月を見た。猫の爪に似た透明で儚い月だった。その晩島中に不思議な音が響いた。オカリナのように柔らかく高く、悲しい音だった。そして男の妻が消えた。一晩中探してもいなかった。
 翌朝、妻は死体になって東の浜に上がった。
 小春日和の暖かな日差しの下にあって、食い散らかされた妻の体は氷のように冷たかった。男は妻を両手で抱きしめた。鯨漁の仕事はすっかり辞めてしまった。

 島にはある噂がまことしやかに囁かれ始めた。

──黄昏の空に繊月のある晩は東の浜で鯨が鳴く。
 鯨が鳴く晩は島の人間がひとり消え、翌朝東の浜で死んでいる──
 
 翌年の繊月の晩、鯨が鳴き村長が消えた。島の漁師たちは鯨を倒すことにした。男は海に出なかった。彼以外の漁師で海に出た。そこには男が倒した雌鯨の何倍も大きな群青色の雄鯨がいたが、拳銃の弾よりすばやく泳ぐので追い付くことができなかった。
 翌朝、村長は東の浜に上がった。

──群青人食い雄鯨。山のように大きな体で人の体を引き裂くぞ──

 翌年の繊月の晩、また鯨が鳴き猟具店の主人が消えた。島の漁師たちは鯨を倒すことにした。男は海に出るよう呼びかけられた。雌鯨を獲ったお前なら人食い鯨を倒せるはずだ。それでも男は海に出なかった。彼以外の漁師で海に出た。やはり同じ鯨がいたが、大砲より激しく波を打ち付けるので近付くことができなかった。
 翌朝、猟具店の主人は東の浜に上がった。

──島一番の船乗りが昔に獲った雌鯨。人食い鯨と同じ色。二頭は番だったに違いない──

 翌年の繊月の晩、また鯨が鳴き、男のひとり娘が消えた。

 男は島民に呼びかけた。今晩は俺がいる。雌鯨を獲った俺がいれば今度こそ人食い鯨を倒せるはずだと島の漁師全員の家を回った。しかし船を出す者は誰もいなかった。男はひとりで海に出た。拳銃の泳ぎや大砲の波にも構わず突っ込んだ男の船は木の葉のように吹き飛んだ。
 翌朝、男は東の浜で目を覚ました。浜の岩場に娘の死体が引っかかっていた。
 娘を抱きしめることはできなかった。利き手が千切れてなくなっていたのだ。

 死んだ猟具店の長男が家業を継いだ頃、男は店を訪れ言った。なくなった手を猟具にしてくれ。絶対に猟具を手放すことがないように義手を丸ごと猟具に仕立ててくれ、と。猟具店の長男は男を殴り付けると夜が更けるまで大粒の涙で泣き続けたが、ふと「お前が悪いんだ」と小さく呟いた。そして男の手を採寸し始めた。仕立ての間、男はいつまでも頭を下げていた。
 朝日が昇る頃、男の利き手は冷たい鉄の猟具となった。

 鯨は毎年鳴いた。娘が死んで以来島民は誰も消えなくなっていたが、それでも男はひとりきりで船を出し続けた。
 五年経つと鯨の拳銃の泳ぎや大砲の波が平気になった。
 更に十年経つと何の痛みも感じなくなった。
 更に二十年経った年、荒れ狂う渦の中で男はついに手の届く距離に鯨の青い影を捉えた。ありったけの力を込め、影目掛けて義手を振り上げた。

*

 長い夜が終わり、東からの光の兆しが波打ち際から水平線まで遮るものなく続く凪を照らす頃、海は一面に銀の鱗模様を描き冷たく静かに揺れていた。
 それは、呼吸するひとつの巨大な生命だった。

 男は浜辺に上がった二頭の鯨をぼんやりと見つめていた。
 義手で腹に穴を開けられ氷のように冷たくなった小さな子供の群青鯨と、傍らに寄り添い鳴き続ける群青色の人食い鯨だった。
 男は錆びた義手を振り上げ人食い鯨の腹に繰り返し突き立てた。妻の願いのため、村長の願いのため、猟具店の主人の願いのため、娘の願いのため。しかし不思議なことに男は誰の顔も思い出すことができなかった。
 男は言った。お前が悪いんだ。
 群青色の人食い鯨は義手を退けようともしなかった。子供に覆いかぶさるようにしたまま、息絶えるまで島のすべてに轟く声で鳴き続けた。


ハヤブサ感想戦(⑥ 相違点をたのしむ)

まずは立夏の感想

 ご覧いただきありがとうございました。原作小説を一度短歌に翻訳してもう一度小説に逆翻訳する文筆フォーマット越境バックトランスレーション「ハヤブサ」いかがだったでしょうか。ハヤブサは語感です、特に意味はありません。
 この後の短歌を作ってくれたみやりさんとたっぷり感想戦するのですが、今回は正直「老人と海」だとはっきり分かりました。ただ幸か不幸か分かりませんが私は「老人と海」を読んだことがなかったのです。でもこの短歌が「老人と海」だという謎の確信はありました。なので今回の逆翻訳は「『老人と海』を読んだことがない人間が短歌中の手がかりだけで『老人と海』を書いてみたらこうなった」でもあります。
 原作小説を31文字だけで完全に分からせたみやりさんの短歌力にはすさまじいものを感じます。原作は後で読んだのですが、原作の持つ風景や事実関係を確実に捉えています。
 今回逆翻訳版「老人と海」は自分で言うのもアレですがかなり会心の出来です。しかしながら、長い歴史の中で愛されてきた原作とそれを確実に凝縮した短歌があれば、まあそりゃ会心の出来にもなるよね……というところです!

 それでは始めましょう、ハヤブサの隠れた醍醐味、いやむしろこここそが「ハヤブサ」。そんなふたりの「老人と海」感想戦です。最後までごゆっくりお楽しみください。

みやりと立夏の感想戦

まずは率直な感想

みやり「男の腑に、いろんなものが詰まってますね。物語としても、文体としても」
立夏「やーん! うれしー」
みやり「すごい骨太ですね。潮の匂いします」
立夏「みやりさんから短歌をもらったときに分かったことがある。『これは絶対に老人と海』だってこと……」
みやり「すげえ」
立夏「これは私が凄いのではなくてあなたの短歌がうまい。ただ、そう決めた上でひとつ問題があって私が『老人と海』を読んだことがなかったということ……。逆にそれでなぜ『老人と海』だと分かったのかは謎なんだけどそれは置いておいて。なので、私なりに短歌のモチーフを翻訳しながらタイトルに『老人と海』と付けられると納得できるものを書いたよ!」


追加ルール、どうだった?


立夏「本来翻訳短歌へのルールだったはずの『2. 翻訳短歌を書くときに使用する名詞は、原作小説内の名詞だけを使うこと』が副作用的に、逆翻訳小説に効いてるなあと思った。つまり、『2. 翻訳短歌を書くときに使用する名詞は、原作小説内の名詞だけを使うこと』を小説逆翻訳者は知っている……って状態がミソだと思うんだよね。
翻訳短歌に出てくる名詞は比喩じゃなくて物語に直接登場するモチーフだということが明らかだから、良くも悪くも逆翻訳時に無視できなくなってる」
みやり「なるほど」
立夏「今思えば前回は、短歌にある単語をとりあえず出しておけば、短歌を踏まえたことにできちゃったんだよ。追加ルールでそれが排除されたので、翻訳短歌に出てくるモチーフが物語に本質的にどう作用するか掴まないといけなくなった」

▼前回ハヤブサはこちら

立夏「今回は単語さえ入れればそれっぽくなるデショということができない。何故ならルールで、翻訳短歌にある名詞は使えないから。かといってその名詞を無視して書くことはできない。なぜなら翻訳短歌にある名詞はかならず原作にある。それを逆翻訳小説を書く側も知っているから。……となると、その言葉を、そのまま使わずに書くにはどうすればいいか。別の言葉に言い換えてちゃんと向き合って書く・しかなくなったんだよね、たぶん。その結果どちらの逆翻訳小説も寓話性の強い作品になったよね。これは今回の共通点だよ」
みやり「名詞自体の持つそもそもの力性を掘り下げると物語性が生まれてくるのかな」


翻訳短歌をどう分析して逆翻訳したか


みやり「今回の老人と海短歌はどのように読まれましたか? 冒頭でも述べましたが、翻訳小説としても、良いですし、そもそもがとても好みでした。今回かなり特性が出ましたよね、とてもよい出力の塩梅で。よかった。」
立夏「うん、短歌と小説を逆にした『オツベルと象』のほうと比べても偶然カブったモチーフがあったり、展開の骨子が似ていた部分があったよね。似ている部分があったゆえに、元々持っている作家性の違いがクリアに分かれたなという印象です」

▼立夏原作選・翻訳短歌作+みやり逆翻訳小説「オツベルと象」はこちら

立夏「『老人と海』でみやりさんが書いた短歌はこうだったよね」

曙光射す右手冷ました悪い水意志の残骸銛を突き立て
しゃこうさす みぎてさました わるいみず いしのざんがい もりをつきたて

立夏「先に結論書くと私は、この短歌の順番通りに小説も書くって決めたのね。それはきっと短歌作者であるあなたがこの順番で短歌を作ったことにもきっと意味が……それが何なのかは私にはわからなくても、きっと意味があるだろうと思ったから。その決心に基づいてこんな構成だろうと仮説を立てました」

曙光射す…物語の現在の景色。作品を貫く現在。

右手冷ました悪い水…現在に至る理由にあたる箇所(=回想シーン)
↓(現在に戻る)
意志の残骸…現在の景色にあるもの。理由に対する結果

銛を突き立て…結果に対する主人公の決断

みやり「なるほど」
立夏「銛や水など海を想起させる単語がありながら、短歌そのものに海が出てこないからタイトルに海があるのでは? という仮説も立てた。この辺で『老人と海』かなって思い始めてる。短歌の中にある小説使用禁止名詞についてはこんな風に対応することにした」

読んだことのない「老人と海」が原作小説と仮定し、主人公は老人に決定。
禁止名詞に対しては以下の処理:
・曙光…曙光の意味そのものを書く。また、良い兆しとして予感させるように書く
・右手…左右の概念を書かない(左も禁止にする)右手は利き手と言い換える
・水…海や涙などさらに意味を絞ることで書く
・意志…物語全体を意志の話に。かつ、願いと言い換える。
・残骸…物語全体を残骸の話に。かつ、死体と言い換える。
・銛…漁具と言い換える

立夏「短歌の解釈としては、みやりさんからもらった翻訳短歌の読み仮名のほうにスペースがあったのでちょっとそれはヒントになったかな笑」

「曙光射す」「右手冷ました悪い水」
「曙光射す右手」「冷ました悪い水」
「曙光」「射す右手」「冷ました悪い水」

立夏「こんな風に、一応三通り読みの候補はあったんだけど、スペースの位置で判断した。鯨が出てきたのは、銛は鯨を倒すための漁具なので必然でした」
みやり「原作『老人と海』でわたしが好きなところは、全体的な寂寥感と、精一杯な老人の姿、また関係ない人から見たら老人の命を燃やす姿も割とどこかの物語みたいな感じなんですよね。どこか孤独と言いますか。その雰囲気がそのまま感じられて。びっくりというかなんというか。そこをなんだろう、立夏さんのあの、ポエジーな文体が補強していて、物語…… 寓話ですかねそれが良かったな」
立夏「そのあたりはちゃんと逆翻訳小説にも残ったね」
みやり「あとほんと銛を突き立てるをオチに持ってきたのは何気すごいと思いました。(描写が)真正面からですね」
立夏「短歌の順番通りに物語を書くという縛りを設けたからこうなったというのもあったんだけど『銛を突き立て』の直後に書いてないはずの『、』を感じたんだよね。『突き立て……、そしてどうなったでしょうか? あとは自分で考えてね』みたいな。突き立てた結果どうなったかは短歌には書いていない。問いを感じました。だからこそ、そこが翻訳短歌の、あるいは原作小説そのものの問いなのではないかなって仮説を立てたんだよね。そうすると

意志の残骸=もう意志ではないもの

の姿が死体となって連想された。」

みやり「繰り返しが良かった。『老人と海』でもずっと何日も闘うのですが。翻訳小説もまさにそれだし、文章自体も繰り返しの要素が点在していて、老人の物語の積み重ね感があった。短歌の意図も汲み取っていただいた通り、景色ですね、もう完全な景色。老人の姿を景色として三十一文字にどうにか入れようと。そこを客観性で書いて頂いたので、情報以外の老人と海読者としての感覚も拾っていただいて。おお、と。」
立夏「ありがとうございます」
みやり「あとは単純に怖い村だなあと笑 ドバイとかに引っ越そう!」
立夏「笑 ほんとだね」
みやり「ちょっとこれは感想戦というか単純に興味なんですけど、手応え的なのはどうでしたか。かなり筆が乗られて楽しんで書かれたような印象でした」
立夏「え? そりゃもちろん、大傑作です。」
みやり「笑」
立夏「追加ルールは正に翻訳の醍醐味だと感じました。
みやり「そうですね。翻訳行為には近づいたのかな。」
立夏「前回ハヤブサで日本語の『木漏れ日』に該当する名詞は英語には存在しないから英訳するときには『太陽の明かりが木々の葉っぱの隙間を通って地面に照射する光の模様』と書くしかないって話をしたと思うんだけど、まさにそういうことが今回の追加ルールによって日本語同士でも疑似的に発生させることができましたよね。」
みやり「なんか前まで書き手の意地見たいのがすこしあったけど、今回は全然無かったかも知れないです。これは、受けの能力が試されるゲームなのかも知れない。」


読み手を信じる・書き手を信じる

立夏「みやりさんのハヤブサ短歌は上手だなと前回も思っていたんだけど、今回でさらに洗練された感じがして、確信したよね。私の『オツベルと象』翻訳短歌は今読むとみやりさんがいうところの書き手の意地というか、ちょっとウマイこと書きたい欲がまだあるというか…… 概念的で比喩っぽい。」

▼立夏原作選・翻訳短歌作+みやり逆翻訳小説「オツベルと象」はこちら

立夏「それに対してみやりさんの短歌って『曙光射す』『銛を突き立て』がすっごい素朴なんだよね。いじらしいくらいそのまんま。だから原作にある描写そのままなのかもな・って信じられる。まず作者が読み手を信じているってのがあって、だから読み手も書き手を信じられる。この『読み手が書き手を信じられる』というのは、ハヤブサでは特に、そして普段の読書体験でもめちゃめちゃ大事なんじゃないかと思いました。上手いというのは、修辞表現が豊富とか、設定のアイデア自体がユニークだとか色々な要素があると思うんだけど『この書き手は本当のことを書いている』と読み手が信じられる、っていうのはすごく根源的な力だと思います。」
みやり「信じられず(感想戦チャットを)二度見してしまった。ありがとうございます。」
立夏「本当にそう思う」
みやり「『銛を突き立て』の後を託す為にとか、(前回ハヤブサで立夏が書いた短歌の)『手を取り合うも』の『も』を託すとか(作者の読み手に向けた)祈りですね」
立夏「祈りだね」


小説の文字制限もキツい


立夏「原作小説を31文字の短歌に翻訳するのも大変だけど、小説も実は2000文字以内で書きましょうってことにしてたじゃない」
みやり「はい」
立夏「私は短歌より何気に小説2000文字制限のほうがキツかったんだけど、どう?」
みやり「……キツかったです!」
立夏「前回のハヤブサ感想戦で『短歌は時間経過を表現するのに向いていない』というような話をしたと思うんだけど、その話があったからなのか、今回どちらの短歌も時間経過表現にチャレンジしているんだよね。」

▼前回ハヤブサはこちら

みやり「はい、わたしは前回時間流れなかったしやってやるかみたいなとこもあったのかもしれません」
立夏「膨大な時間の流れのある物語を2000文字以内の小説で書こうと思うと……

・時間経過
・事実の記録
・それぞれの時間でのディティール
・心情描写

これらすべてを十分に書くことはできない、と私は思った。でお互いの作品を見てみたら、みやりさんの逆翻訳小説はディティールと心情描写に絞っていて、立夏の方は時間経過と事実の記録に絞っていて、そこがパキっと見事に分かれたよね」
みやり「確かに」
立夏「要はみやりさんの方は『まあ昔色々なんやかんやあったんですがそれは置いといて、ハイ最終日の様子です』って感じの生中継のような小説。立夏の方は『何があったか最初から最後までざっくりいうとこうなってこうなってこうなってこうです。みんなが何を考えていたかはご想像に』っていう記録文書」


フォーマットへの挑戦


みやり「(ハヤブサをやっていると)型宣言を、やめてる感じはある」
立夏「というと?」
みやり「これは短歌です、とか、これは小説です、とか、そういうのを超えたい?超える?超えようとする?まあ実際フォーマットガチャガチャ変えているのでその通りなのですが……多面的に物語を切っているわけですね。だから……ここら辺がわたしの限界です。ちょっと思いついた感じを並べたのでもう言語化うまくできてないですが」
立夏「この話はきっとすてきなところにたどり着くよ。」
みやり「本当ですか、本当ですか。なんかもう全は一、一は全みたいに頭がなってきました。」
立夏「フォーマットは創作のすべてを定義する。しかし創作そのものではない。……みたいな?これから続けていけば、もう少しその真理に近づける気がする。自分なりのね。また色々試してみたいことがあるな。あ、ねえねえ、今回のハヤブサを踏まえてまた別の追加ルールを思いついたんだけど……」
みやり「はい」
立夏「リライトルール」
みやり「えっ」
立夏「そう」
みやり「ええっ」

ありがとうございました。

「原作小説選/短歌作」と「バックトランスレーション小説作」の役割を入れ替えたバージョンがみやりさんのnoteに掲載されています。そちらもよろしければ併せてご覧ください。


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