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【鹿児島県】種子島 野田一成医師が語る離島医療~『限られた医療資源のなかで、自分でやれることを尽くす』〜◆Vol.1 #file5

現在、鹿児島県の種子島で総合診療医として勤務されている野田一成先生に、離島医療に従事するきっかけや魅力などを伺いました。
報道記者からの転身、ベトナムでの診療など、様々な経験を経て離島医療に関わる野田先生ならではのインタビューとなりました。

〈プロフィール〉
1972年生まれ。福岡県出身。1994年にNHKに入局、記者として主に事件の取材を担当し、2000年退職。2001年に山口大学医学部医学科に学士編入学し、卒業後、茅ヶ崎徳洲会病院(現湘南藤沢徳洲会病院)、大船中央病院などを経て、2014年から6年、ベトナムで総合診療医として現地病院に勤務。2020年12月から、鹿児島県の種子島にある公立種子島病院で勤務。

「人がいないところで医療をする」のが自分の持ち味を生かせる

----どのような経緯で種子島に行かれたのですか?
知人から「種子島に医者がいなくて困っている」と聞いたのがきっかけです。「人がいないところで医療をする」のが自分の持ち味を生かせる領域だと思っているので、種子島に来なかったとしても、どこか僻地に行って医者をしていたと思います。

----島でのお仕事で、最も印象に残っているエピソードについて教えてください。
大動脈解離の患者さんがきた時のことです。胸痛を訴えて来院してきて、造影CTを撮ると、大動脈解離が見つかりました。本来なら手術するような解離で、鹿児島本土の病院に送る必要がありましたが、嵐が吹くほどに天候が悪く、ヘリが島に来られなくなってしまいました。島から搬送できなくなってしまったため、一晩中病院に泊まり込んで、血圧コントロールに努めました。翌朝嵐が収まり、ヘリに乗せて本土の病院に搬送し、無事に助かりました。

---手術が必要なのに島から搬送できないのは、ヒヤっとしますね・・
天候などが理由で本土の病院に送れないということはよくあります。医者としては怖くて、本来は亡くならないはずの命が亡くなることもあります。その患者さんは、最終的に島に帰ってきて「あの時、先生に見てもらえたからまた島に帰ってこれたよ」と言ってくれました。限られた医療資源のなかで、自分でやれることを尽くして、最終的に患者さんが元気に島に帰ってくれたときは、良かったなと思います。

体全体を診なければいけないというところが義務でもあり楽しみでもある

----種子島はどのような医療体制なのですか?
島に病院が2つあります。
北に西之表市という島最大の市があり、そこに種子島医療センターという民間の大きな病院があります。外科・内科、各科に医者が揃っている病院です。
南のほうに自分のいる公立種子島病院があります。もともと病床60床に対して1人しか医者がいなかったのですが、いまは院長と私の2人です。基本的に「なんでも診る」という働き方です。農業と漁業が盛んなところで、農機具で指を切るなどの外傷は多く、創傷処置をしたりします。内科メインに、必要に応じて外科も、といったイメージの働き方です。

----野田先生が、離島医療に関わっていて感じる魅力について教えてください。
「なんでも診られる」、逆に言えば「なんでも診なければいけない」というところです。体全体を診なければいけないというところが義務でもあり楽しみでもあります。あとは地域の人の生活や季節に合わせて、患者さんの動向が変わってくるところ。種子島は農業、漁業が盛んなのですが、農繁期だと患者さんがすごく少なかったりします。

----島の生活を直に感じながら医療に携わる、というのが魅力なのですね。
地域の生活に根ざした医療というか、季節を感じながら医療が進んでいくのは楽しいです。
また、人が少ない中で医者として期待をされているという、そこは青臭い言葉でいえば使命感、自分のしていることが役に立っているんだなという意味での喜びはあります。
自分の場合、医療が必要だけど医療をする人が少ないという場所で自分の持ち味を発揮できると思っています。そのフィールドが種子島だったということで、自分がすべきことはどこにいっても同じだと思っています。

短時間のなかで重大な判断をしないといけない場面が日々ある

----医師の少ない地域で医療をする上で、必要になってくる能力や考え方はありますか?
自分の力量、病院の力量をきちんと正確に把握することです。患者さんを手放すタイミングとか判断が必要になってきます。疾患、症状によって、自分たちがやったほうがいいケースと、手放して他の病院に送ってしまった方がいいようなケースがあります。それを判断できるかどうかが重要です。
その判断は、医師になってから2、3年の経験で島に来たようなドクターには難しいと思います。ある程度救急や内科外科で、病棟も含めて経験を積んできて、そこで得た感覚がモノを言うところがあります。こういう患者さんはこうなるんだとか、こういうことが予想されるとか、そういったことを全部経験した上でないと、判断がなかなかできません。
「このくらいなら頑張ったらなんとか自分で診られるかもしれない」というのもひとつのやり方だけど、「これはもう送ったほうがいい」と判断してすぐヘリに乗せて搬送する判断も必要です。比較的短時間のなかで重大な判断をしないといけない場面が日々あります。その判断をつけられる実力が必要です。

----離島の環境が、医者としてどのような成長につながっていると感じていますか?
常に色々なところにアンテナを張って、論文を読んだり、東京や大阪の第一線の病院が何をやっているのか、最新の知識を得るための努力をよりするようになりました。島にいると学会にもなかなか行けませんが、最新の知識を入れておかないといけません。いまはコロナの影響でオンライン化が進んでいるので、それはそれですごくありがたいですが、でもやはり都会にいるのと違って、自分で情報を取りに行かないと新しい情報が入ってこない。それを知る機会を作ったり、患者さんにとって損をさせないための情報収集が必要です。そういう努力をするようになったのは自分の中での成長です。


次回Vol.2では、野田先生が報道記者をされていた頃や、ベトナムでの診療についてのお話を伺います。

種子島観光協会のホームページです。

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記事を書いた人

Joe Tsurumi   東海大学医学部医学科5年
愛知県名古屋市出身。主に事件担当の記者として7年の経験の後、再受験を経て医学部に入学。趣味は登山、釣り、野球、離島巡りなど。

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