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【連載小説】しょんべん(4話)

有限会社クリーンタイルに入社することにした。面接をしてくれた小谷野社長の奥さんの小谷野副社長が笑顔が素敵でとても感じのいい人だった。小谷野社長はなにを考えているのか何も考えていないのかよくわからない人だった。何も食べていないのに口をいつももぐもぐと動かしてる。でっぷりと膨れ上がったお腹はたくさん良いもの食べてきて、これからもたくさん良いもの食べ続けそうだった。

痛風だという社長は常に副社長の言われた通りに動いていた。もしかしたら社長というのは肩書きだけで実質的には副社長がこの会社の動かしているのかもしれないと頭では理解できなかったが肌でヒシヒシと感じていた。

入社の前日に社長と副社長は会社の近くの小料理店に僕をに連れて行ってくれた。なにも考えていない僕はなんて良い会社なのだと思っていた。社長の食べっぷりは物凄く、味はともかく目の前にあるご飯をなにかエサのように、迫り来る現実から逃げるように、とにかく食べていた。

食事の間に僕に会社のことを教えてくれたのはやっぱり笑顔の素敵な副社長だった。

副社長の話によると有限会社クリーンタイルはパートも含めて7人の小さな会社である。そのうち現場で働くのは僕や社長を含めて5人。残りの2人は副社長と総務・経理を担当するパートの人らしい。

僕と一緒に働く3人は非常に癖の強い人だと教えてくれた。一緒に働いていけばわかるとのことで詳しいことは教えてくれなかった。副社長が一体何を危惧しているのか僕には全くわからなかった。

時々、社長も話をしてくれた。

「僕は18歳から窓を拭く仕事を初めてね。28歳で500万円を貯金したんだ。一生懸命働いたよ。今はマンションを購入して完済している。長くこの仕事をすればお金には困らないよ。」

この言葉を聞いた僕は喜んだ。僕は一刻も早くお金を手に入れたかった。

それから社長と副社長と一緒にカラオケに連れていかれて合いの手をしていた。この人達はただ優しい人かもしれない。

出社日初日。

清掃屋の朝は早い。お客さんの会社が始まる前に何社か清掃する必要があった。眠い目をこすりながらシャワーを浴びで目を覚まし、まだ月が落ちきっていない時間に家を出ていた。通勤途中で朝焼けを見てると非常に気持ち良く僕の心が綺麗になっていることを感じた。

清々しい気持ちだった。

僕は朝おはようございますと挨拶をして会社に出社した。その日は社長と二人で仕事をする予定だったのでこの時間には小谷野社長と小谷野副社長しか会社にはいなかった。社長から制服を渡されてロッカールームで着替えようとしたとき僕は胸から吐き気のような感覚を抑えるのに必死だった。

清掃員の制服は緑色のポロシャツに無地のズボンだった。とても清潔感があり清掃員らしかった。しかし田辺はまだ若く、青臭く、この制服着こなすには、あまりにも幼かった。

田辺は清掃員として1番になりたくて仕方なかった。もっとカッコよく、もっと大金を稼げると勘違いしていた。自分はこれから清掃業界で大きな人材になると胸に秘めているだけだった。

朝、社長と二人で車に乗り込みビルの清掃をした。清掃は社長の言うとおりに仕事をして少しだけだけど清掃の作業は楽しかった。ビルのトイレや廊下の汚れが落ちると僕の心も浄化されていると感じた。そして今オフィスには僕と社長しかおらず、静かな環境で誰もいないところで黙々と作業に集中していた。

次の区役所の作業現場に移動する間に社長が現場の人のことを教えてくれた。

「田辺くんはしっかりと話を聞いてくれてこっちも嬉しいよ」
「ありがとうございます」
「ただね、今後君と一緒に働く現場の人たちはとても口が悪く乱暴な言葉を使う人達なんだよね」
「はい…」
「まぁ、長年働いているからね。田辺くんもなんとかなるよ」

僕はこの会社でいいのか不安になり心臓が絞られるような感覚に陥り苦しかった。社長は口をもぐもぐと動かしている。

次の区民館の現場に行くまでに時間があったのでコンビニに寄り朝食と昼食を先に買った。路駐駐車をしていたので僕は車の中で社長が帰ってくるのを待っていた。そのときに田辺は見てしまった。コンビニに入る前の大通りで社長は誰もいないことを確認して立ちションベンをしていた。

田辺は絶望して車の中で膝を見つめていた。

この日の仕事は15時頃に終わり家に帰り少し仮眠をとり、小説を読んでいた。なにか有名な賞を受賞した作家の本を暇つぶしに買っていて、読むのが面倒になり机の上に置いたままだった。心が傷ついていたのか何かに取り憑かれるように田辺は小説を読み、全く読み進めることができなった小説をその日のうちに読み終えていた。その小説の中では世界に恋しているというセリフがあったけど、僕も世界に恋したいと思った。

けど僕の置かれている状況はあまりにも辛く、嗚咽混じりに泣いていた。僕が世界に恋できる日なんて来るのだろうか。

辛い。辛い。

僕は夜にランニングにすることにした。走っていたら少しだけ嫌なことが忘れられる気がした。大きくため息をついてそして笑った。ちょこちょこ走るランニングコース、誰もいないことを確認して大きな声で叫んだ。

「制服だせー。もっと仕事させろー。社長口もぐもぐ何食べてんだー。もっと面白い話ねぇーのか。清掃屋が立ちしょんべんすんなー。清掃屋が街を汚すなー。俺のあのエネルギーは一体どこへ消えたー」

僕はもう少しだけ笑うことができた。

そしてさっき読んだ題名を忘れたけど、女性の作者の書いた小説の主人公みたいに僕も素直になってみようと思った。

まだ初日だ。

強く生きようじゃないか。そう自分に言い聞かせて早く寝ることにした。

続く


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