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学校という環境との摩擦

保育園時代からなんとなく感じてきた違和感の正体は、ADHD というりとくんの特性からくる環境との摩擦でした。

もちろん、子どもは多かれ少なかれ、注意力が散漫だったり、ところ構わず走り回ったりするようなフリーダムな状況から、少しずつ成長できるものだと思います。だからこそ、家庭はもちろん、学校のような集団での生活環境がその成長を力強くサポートしてくれますよね。
ですが、子どもによってはその出発点や過程が多くの子たちと違っている場合があるということを、当初ぼくたち夫婦はあまり自分ごとのようには考えられていませんでした。
保育園で発達の状況を心配されたけど、まぁ、なんとかなるだろう、と。

りとくんの新1年生生活

小学校に入学したりとくんは、「まぁ、なんとかなるだろう」というぼくたちの想いと義務教育という常識を祖父母に買ってもらったランドセルに詰め込んで背負って、普通に小学校に通っていました。

そして、1年生のときの担任の先生はとても有能な先生でした。連絡帳に綴られた手書きのメッセージは、フォントと見紛うほどきれいで読みやすい字でヌケモレなく書かれていましたし、ひらがな練習帳の赤入れは、とても丁寧にあるべき線をなぞってくれていました。宿題も、ぼくたちの小学3~4年生当時に匹敵するボリュームのものがしっかりと出ていたので、毎日のように音読や計算カードをこなしては、日々の評価やタイムをカードに書き込んでいたのを覚えています。こんなにしっかりやってくれるなんて、すごいなぁと。

保育園から大きく変わった小学校という環境に戸惑いながらも、りとくんはなんとか順応しているように見えました。
小学校に上がるときに、念の為保育園の先生から頂いた発達上のご指摘を担任の先生や教頭先生にもお伝えすることができていたことも功を奏したのかな。なんだ、やっぱりなんとかなるものなんだ、と。

「学校、楽しい?」

世の中の新1年生は、この質問を何度されることでしょう。りとくんもご多分に漏れず、両親であるぼくたち夫婦から、ランドセルをプレゼントしてくれたじーちゃん・ばーちゃんから、そして顔見知りの人とお話をするたびに、この質問を受けていました。
でも、半分ふざけたような態度のりとくんの答えは、「楽しくない!」という身も蓋もないものでした。
この答えが返ってくることはあまり想定できていないので、「え?どうして?」と聞き返してしまうんですよね。その答えがイマイチはっきりしないので、イヤイヤ期をひきずっているりとくんのいつもの天邪鬼遊びが始まったのかとおもって、あまり気に留めていませんでした。
こう書くと、なんだか自分たちがりとくんの言うことをまともに受け止めていなかったんだなと反省してしまうのですが、実際楽しそうに下校してきたあとに同じ質問をしても、ふざけながら「楽しくなかった!」と答えるのがりとくんの常套句だったので、真剣な返事ではないのかなと思っていました。

「ぼくはダメな子なんだ」

これは、ある日りとくんといっしょにお風呂に入っているときに、なんの脈絡もなくポロリと漏らしたつぶやきです。
正直、これにはかなり驚きました。ぼくたち夫婦はりとくんをダメな子扱いをしたことなんてありません。じーちゃん・ばーちゃんも、りとくんのことを猫可愛がりしているので、厳しくされたこともありません。

「え、なんでそう思うの?」と聞いてみると、「だってぼく、みんなみたいにできないもん」といつになくまともな返答が返ってきます。りとくんがいうには、自分はじっと座って先生の話を聞いていられないし、我慢して動かないでいると誰が何を言っているかわからなくなっちゃうし、頭がボーッとしている間にみんなはどんどんいろんなことを進めちゃうし、気がつくといつも怒られちゃうんだ、ということでした。

集団で動くということ

ひとクラス30~40人もの生徒が集まって何かをしようとすれば、当然そこには規律が生まれます。みんなが好き勝手に行動していたら、何にもできないうちに1日が終わってしまうでしょう。最低限度の安全すら守れません。だから、先生が話すときは静かに話を聞いて、その内容を把握したうえで自分の行動を組み立てる訓練が必要なのは当然です。ときには、周りのともだちの様子をみながら、何をどうすればよいのかを自分の中ですり合わせることも必要になります。

ただ、これがりとくんにはとてもつらかったようです。多くの子にとって、最初はできなくてもだんだんとなれてくることが、彼にとってはとてつもないエネルギーが必要で、頑張れば頑張るほど苦痛を伴う作業になってしまう。自然とおいていかれてしまうけど、放っておかれるわけにもいかず、クラスメートや先生に早くしなよとせかされてしまう。

環境との摩擦が引き起こす自己肯定感の低下

周りが当たり前にできることができない。一緒にやりたいのにどうしてもできない。できないことでなんだか迷惑をかけているように感じてしまう。こんなことが毎日毎日繰り返されたら、多くの人は参ってしまようでしょう。ましてや、それが6歳のこどもだったら、自分で自分のことが認められなくなるのは想像に難くありません。

このままだと、りとくんは自分で自分を好きでいられなくなってしまうかもしれない。

ぼくたち夫婦が、得体のしれない不安を感じ始めたのは、このときでした。

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