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「もうすぐ50歳」ビビります。#2

50歳って何ですか?\今の私ができるまで/


イギリスで4つ歳下の夫に出逢った。

ビビビっと来ることもなければ、一目惚れもなく、彼に特別な興味もなかったけれど、22歳のくせにとても大らかで包容力のある人だなと思った。

当時、いつも一目惚れから恋が始まる私には初めてのタイプで、まさか将来この人と結婚することになるとは思いも寄らず。

包み込むような優しい人で、気付いたら全力で恋に落ち、大好きになっていた。当時はこの人がいないと生きていかれないとさえ思った。だから大好きな人と結婚したのはとても素敵な経験で、心から満足している。
(結婚23年目に突入し、結婚生活は継続中でございます。笑)


イギリス留学中は、連休があると一緒にフランスやイタリアへ旅行したが、ヨーロッパが初めてだった彼に、大好きな街を紹介し、ワインやチーズを始め、食の美味しさを共有した。
当時フィレンツェが大好きだった私は「いつかイタリアに住みたい!連れてってね」と彼に言ったのはこの時だったと思う。

イギリス留学を終え、私は彼を置いて先に帰国した。
帰国後は遠距離恋愛だったけれど、きっと直ぐに迎えに来てくれるだろうと確信しつつ、月に2回会える日を楽しみに仕事をした。

彼のローマ行きが現実味を帯びて来たのはそんな矢先、仕事でローマに数年行く話があるんだけど一緒に行く?の問いに間髪入れずにイエスと返事したのは言うまでもない。
私は、自分の人生にこんな幸運が舞い降りたことに、心の中で跳び上がって歓喜していた。

海外赴任の夫に同行してローマに暮らす…素敵過ぎるじゃないか!
ところで私の名前は「伊都子」で、意味は「ローマの子」なのだけれど、よく名は体を表すと言うものの、まさか本当に自分がローマに住むことになるなんて思ってもみなかった。

私たちはローマ行きが決まって直ぐ、12月のある日入籍し、出発に備えることにした。入籍した日の翌日は、大雪だった。私の出身地では経験したことのないほどの大雪で、寒がりの私はこんな寒い土地へ嫁いだことを少しだけ後悔したのは内緒。

ローマに出発するまでは彼の実家に同居することになったのだが、彼の実家に仮住まいの私は、好きな食器や好きな家具を使うことも叶わない新婚生活。それもこれも、全て素敵なローマ生活のためと我慢した。

彼の実家は、いわゆる地方都市にあり、私が足を踏み入れたことのない県にあった。生まれてからずっと東京と神奈川を拠点としてきた私には、留学先だったイギリスよりもカルチャーショックが大きくて、受け入れるのに時間を要した。

地方暮らしで同居生活、気に入った食器や家具を見ても買うこともできず、直ぐに会える友達も居なければ、ローマ行きが決まっているのに仕事に就くわけにもいかない。

本来仕事が大好きな私は、毎日脳みそが溶け出しそうな暇でしかない生活が苦痛になり始めていた。
ストレス解消のためにジムに通い、運動でストレスを解消し、併設された温泉でリラックスするはずだった…が、実際には、昼間からのんひり温泉に浸かることへの喜びを通り越して、焦りを感じるようになっていた。

小さなストレスやもやもやは溜まり続け、気付いた時には体調を崩し始めていた。

入籍して5ヶ月、ゴールデンウィークのある日、義父の田舎へ顔見せとご挨拶に、義父母と共に車で出かけることになった。
前日から立ちくらみが酷く、この日は車から降りて歩くのもふらついたが、それでも翌日に胃カメラの予約があるから明日診てもらおうと、得意の我慢強さを発揮して油断してしまった。

何とかご挨拶を済ませた後、帰路に就き、私は高速道路を走る車中で血を吐いた。ビックリするくらい大量に吐いた。
血を吐く…「これは何かの病気ですか?」と救急車の中で自分で救急隊員に質問する程、家族の中で誰よりも私自身が落ち着いていた。
鮮血なので胃潰瘍か何か、ガンなどはドス黒い血なので、それはないですよ、と言われ安心したのを憶えている。

高速道路の途中で救急車に乗せられた私は、最寄りの病院に運ばれた。
そのまま、仮住まいの義実家から離れた、縁もゆかりもない県で入院することとなった。
吐血の原因は、潰瘍が血管に穴を開け、胃の中で大量出血したことによるものだった。
2リットル輸血し、3週間入院した。

入院中は、夫は仕事を早めに切り上げ、2時間高速道路を飛ばして、献身的に会いに来てくれた。
新婚半年も経たない私は、入院中、一人知らない土地に置いていかれるのが寂しくて、夫の帰り際には毎回泣いた。今は涙一つ出る気がしないので、私にも可愛い時があったのだな。

当時、メンタルも相当病んでいたのだと思う。

これが私の結婚生活の始まりのお話。想像してたのと大分違ったけれど。

それ以降、義母は私に何も言わなくなった。
そちらの文化を私に押し付けることもなく、自由に、好きなようにさせてくれた。

それは今でも変わらず、仕事にも子育てにも口を挟むことなく協力的で、のびのびさせていただいていることに、心から感謝しています。

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