3回目の接心

大学四年生になりました。といっても、もう12月なので終わりが近いですが。この度、以前からお世話になっている道場に4度目の訪問をしました。毎回、「こんなきついのもう最後にしよ」とか思いながら一年経つと忘れてしまいます。そして横浜から京都に向かう夜行バスで「あ、やっぱやめよっかな」とか思います。要するにバカじゃないと続けられない趣味です。(笑)

以前は道場に入る前にやたら友達に電話したり、現場についてからもカフェで数時間潰したりしていました。なかなか行く気になれなくて。けれど、今回はもう道場に一直線で、迷うことは何もありませんでした。「気づいたら道場」みたいな、「そういえば今回迷わずにここまできたな、おぅ」みたいな、そんな到着でした。

雲水と老師に挨拶して、さっそく翌日からの準備をします。刻報(スケジュールが書いてある紙)を確認して、電子機器を全部オフラインにして、着る服を全部畳んで、もう3回もやれば慣れたものです。そして一足先に禅堂に入ります。この禅堂ではこれから1日10時間近く座禅をすることになります。扉全開で過ごすので「ほぼ外」の禅堂は毎年この時期に大変冷え込みます。例年に比べて少し遅い冬を迎えた今年ですが、それでも寒い。ちょっと自信を失いかけます。

前日の晩は、総茶礼。これは「これから修行頑張ろう!」的な儀式です。うどんを食べて、その後に読み上げられる道内規則を聞く会です。これにも一つ一つ手順があって、「はいっ」のタイミングで頭をさげるとか、お経を読むとか、合唱低頭とかをします。ただ、質素に思われがちな精進料理は案外美味く、これがちょっとした楽しみでもありますが、ものすごい勢いで食べないとみんなとタイミングが合わないので意地で早食いします。つまり、修行する人間は「腹減った」「美味しい」とか思っている場合じゃないってことでしょうか。

そして翌日は朝4時から座禅が始まります。これ以降、線香が燃え尽きたら足の組み替えをします。これが大体20分です。あとは、時間が来たら作務(掃除)と3回のご飯を食べ、夜の10時になったら寝ます。お風呂はありません。本来であれば7日間ですが、今年は土日の二日間。だからこそ気合を入れて臨みました。しかし、しょっぱなからうどんが食い切れず寮舎(自室)で食い終わるまでずるずる吸うっていうのをやりました。これもまた業でしょうか。


そういえば、1日の行程の中に書き忘れましたが、「公案参禅」っていうのもあります。これは老師と1対1で問答をするというものです。よくわからない問題をいただき、それに対する答えを出すというものです。長い長い廊下を歩いた先に老師が座っていて、その前で礼をし、跪き、答えを出します。僕はこれ、2年前に初めて公案(問題)をいただきましたが未だ合格できません。そうか、これが悔しいからまたきちゃうのかな、なんか今書いててそんな気がしてきました。

今回も初日は惨敗しました。「頭で考えたような答えしか出ていません。もっと公案と一つになって自分も問題も無くなってそのとき初めて出てきたものをここで見せなあかんで。」と怒られました。もうそうですね、正確には数えてないんですが30回以上は答えを持っていって跳ね返されてますかね。そして二日目の参禅で初めて答えを出せず黙り込んでしまいました。「またここにきて何か考えようとしとるやろ、だから言われた通りに必死にやれ、素直になれ、」と言われました。帰りの廊下でちょっと泣きそうになりました。念のため言うと泣きそうになっただけで泣いてないです。

そして参禅最終回で言われました。「前の2回は答えを出さずにだまりこくったやろ?それはいけないことではなく、言われたことをやろうとしたけどできなかったっていう、実に誠実な姿や。君はもうこの世界の門にまできてるんだ。そこでたじろいでいるわけや。だから後少し前へ進め、いつか決心がついたらまた来い。」

これもまあ30秒とかからない話でしたが、自分のこれまでを全て認めてくれたような、またも実力不足を指摘されたような、そんなことを思いました。三昧業と言うんでしょうか。座禅をしているときは常にこのいただいた公案に集中します。考えるのではなく、ずっとそのことだけを頭に置いて。他のことを考えたらそれを取り払ってもう一度集中して。これを繰り返します。そして、この話を終えた帰りの廊下で自分は何かに心を動かされる前にもう公案で頭を埋めていました。

これから先、就職して思うように行かないこともあるかもしれないし、喜怒哀楽が今まで以上に激しくなるかもしれない。そんなとき、1日に数分でもいい、この三昧をこなせばその時の自分から一瞬抜け出すことができる。抜け出すから自分が見える。自分が見えるから修正ができる。こう思えば、禅の世界にわからないながらも飛び込んできてよかったって思います。まぁこの考え方もあくまで考えたことで実際はもっと苦しいんだと思いますが。また気分転換にこの道場を訪れようと思います。あれ、またバカな自分出ましたかね。(笑)

最終日を終えて、夜10時。消灯された寮舎で寝ていると。「お願いいたします。」と小さな声が聞こえました。道場内で話しかけるときは「お願いいたします。」これも規則です。襖をあけるとそこには道場の先輩がいました。「よかった、まだ寝てなかったらラーメンでもいきませんか?おごりますよ。」とのこと。僕は即、「いきます」と返事をしながら猛烈な勢いで準備をして裏口から道場を抜け出しました。道中、これまでの道場の話や今回の接心のことをあれこれしゃべりながら、かろうじて空いていたラーメン屋さんへ。ラーメンは普段からよく食べますが、この時ばかりは胃にも目にも鼻にも舌にもそして心にも沁みる、そんな味でした。これを逃したら一生ものが食えない、と言わんばかりの勢いで麺をすすり、汁を吸いました。この味があるなら、また何度だって道場にいきます、僕は。

道場に来たついでに京都を少し観光して帰ります。字を読まず、人と話さず、満足に飯は食わず、睡眠時間も短い。そんな生活から一転、思い切り煩悩まみれの観光です。これからも一年に一回でいいからこうして京都を訪れたい。歩けば歩くほど、いい街なんですよね。

また一つ、学生生活が充実したな、と感じる旅になりました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?