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『哲学思考トレーニング』③     ー前提の検討ー

4.前提の検討

さて、前回までで伊勢田哲治氏の『哲学思考トレーニング』をもとに、クリティカルシンキングの一連の流れのうち、「1.心構え」「2.議論の明確化」「3.さまざまな文脈」についてまとめました。

今回は、「4.前提の検討」についてまとめていきます。先に文脈の種類を知り、文脈的思考によって文脈を特定したのちに、その「前提」をどうとらえるかという作業が必要となってきます。これは、「3.さまざまな文脈」と同時並行でとらえるべき事柄であるように、私は感じました。

前回と重複するところもありますが、特に⑴-⑥の環境危機に関する懐疑主義」はこれまで出てこなかった問題がいくつか含まれ、かつ現実に起こりうる場面として得るものがあるのではないかと思います。こちらは、前回までの説明と、次回の「5.推論の検討」も一緒に読んでいただくと、理解が深まると思います。

⑴ 懐疑主義による前提の検討

①ピュロン主義

古代ギリシャの代表的な懐疑主義。あらゆることについて判断を保留して平静に生きなくてはならないという主張
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ただし、「平静に生きるべし」という価値主張自体は懐疑していない(=懐疑主義や相対主義という名前でくくられる立場に共通して発生する問題)

②デカルト的懐疑(認識論的懐疑主義の代表格)

疑いうるものについてはいったん判断を停止して、絶対確実に真だとわかるものだけを受け入れるという方法
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どんな前提であれ推論であれ、絶対確実ということはありえないように思われることより、どんな主張であっても妥当な結論だと判定されることはないとすれば、クリティカルシンキングそのものを破壊しかねない

③ヒューム流の懐疑

今までうまくいってきた法則や規則性がこれから観察するもの、これから起きることにもそのままあてはまると期待する理由は何もないのではないかという疑い
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その法則を支持する証拠がまだあまり集まっていない状況であったり、証拠が偏っていたりという文脈においては「関連する対抗仮説」となりうる。しかし、一般論としては科学においてこの疑いを求められず、この疑いを排除するのは原理的に不可能だとされている

④倫理的懐疑主義

何が善いか、何をするのが正しいかに関する主張に対して、本当にそれが善い(正しい)のかどうか疑うという立場
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回答の例
ⅰ 倫理的ルールの普遍性(例:人を殺してはいけない)
ⅱ 倫理的ルールの合理性(例:社会契約)
ⅲ 懐疑主義を回避し、まじめに受けとらない
ⅳ 文脈主義(両極端の間に、一定の範囲内で批判的に吟味する)

⑤科学における組織だった懐疑主義

理想的には提案された仮説の一つひとつについて、見落としがないようにいろいろな可能性を吟味していくこと。その作業は一人では無理なのでたいていは集団でおこなわれる
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集団的営みとしての科学が持つ特徴を個々の科学者が持つ必然性はないし、個々の科学者の特徴を集団的営みとしての科学が持つ必要もないということ

⑥環境危機に関する懐疑主義

ⅰ 不確実な状況における推論の問題

解決法
・「やわらかい反証主義」を用いて、疑似科学的で非生産的な言い抜けは禁止し、新しい実験や観察につながるような生産的な言い抜けならばまあよしとする

・演繹的に妥当な推論ではないが、限られたデータから遠い過去や未来、極小の世界や宇宙全体についての理論を立てるためには、手持ちのデータから一歩踏み出るような「確率的な推論」で対応する

・確率的な推論の観点を採用したとき、AではないものがおおむねBであることがわかっているなら、確率的には妥当な推論にもなり得るので「二分法による議論」も許容される

ⅱ 立場の違いに起因する問題

A 価値観の違い
自分にとっては当然正しい(不正な)行為と思われるものや、自分にとっては当然望ましい(望ましくない)状態だと思われるものについて、他の人が異議をとなえる場合がありうる
 ↓
解決法
実践的三段論法を使って、お互いの価値判断の背景にある大前提(一般的な価値判断)と小前提(大前提と結論を結ぶ事実判断)を特定する
   ↓
・小前提で違っている場合
証拠を突き合せたり言葉の違いをはっきりさせたりして対立を解消
・大前提で違っている場合
さらに大前提にさかのぼるか、お互いの大前提がもっともらしいかどうかを他の事例にあてはめてみることで判断
   ↓ 
価値判断の上でまったく一致がとれないということであれば、調停はできない。価値判断の対立は、有無を言わせぬ証拠をつきつけて解決するというわけにはいかない
   ↓
お互いの価値判断をそれぞれに尊重しつつ妥協するしか解決方法はない
=「よりましな解答」はあっても「正解」はない

どうしても価値観の相違が残るとき、クリティカルシンキングというよりも、根回しやら「腹を割って話す」というテクニックが活躍するということは往々にしてある

ただ、できるだけ合理的に価値観の相違を調停しようとするのなら、対立する人々全員を公平に配慮するようなやり方で調停案を出すことにすれば、全員が納得するはず
   ||
手続き的正義
関係者の誰もが認めるような手続きにもとづいて、対立する意見から一つを選び出すというやり方(例:民主主義社会における多数決の原理)

B 視点の違い
科学哲学でいうところの通訳不可能性が局所的に生じた結果によるもの

通訳不可能性とは、2つのグループがまったく違う世界観で世界を見るために基本的な出来事でさえも違って見え、そのために話が通じなくなるという状態をさす

自分が決定的だと思う証拠や議論を提出したのに、相手がまったくその重要さを認識していないように見えるときや、逆に相手の質問や意見が字面の上では理解できるのに、そもそもなぜそういう質問や意見が出てくるかがわからず頭をひねるというときなどは通訳不可能性が働いている
 ↓
解決法
・必要な予備知識を共有することで意思疎通を可能にする
相手の認知の枠組みや、何が重要な問題で何が重要でないと思っているかを推定し、その枠組みを身につけた者からは世界がどう見えるか考える
・お互いの議論の構造を明確化し、自分の推論の背後に相手にとって受け入れられない前提がないかをチェックし、「こういう前提のもとで見るとどうなるか」「この前提を無視して見るとどう見えるか」というような思考実験をする
・相手の意図を捻じ曲げず、議論の再構成においても無理に合理的な枠に押し込めるのではなく、まずは相手の言い方に忠実に再構成すると、自分が思ってもみない前提が出てくる可能性がある
・「わら人形論法」をあえて使う(ただし、乱用はよくない)
・相手の視点から見ても理解できる言葉で情報発信する

C 目的の違い
そもそも何のためにその問題について論じているのかという、文脈の違いについての食い違い
 ↓
解決法
まず双方の目的の違いを明確にし、そのうえで、もし同じ目的を共有することができるなら、その目的にしたがってデータの見方を決める
=目的とデータ処理の仕方の間に合理的な関係をつくる

ⅲ クリティカルシンキングそのものの倫理性

解決法
・いくつかの独立な文脈を並行させて存立させ、その他の文脈を切り離してできるだけいろいろな可能性を考慮に入れながら事態を分析する
 ↓
2つの文脈での議論が途中で直接交わらないように気をつけ、文脈どうしの分業が成立させることで問題の解決をはかる

・クリティカルシンキングをしないほうがどうかを判断するためにも、きちんと判断しようとするならクリティカルシンキングが必要である

⑵ 前提を検討するための思考ツール

①反証主義とやわらかい反証主義

②普遍化可能性テスト

この二つに関しては、前回の「さまざまな文脈」の「②科学的な文脈」「③倫理的な文脈」を参照してみてください。

⑶ クリティカルシンキングの過程で重要な心構え

前々回の「1.心構え」にもあるように、クリティカルシンキングでは「間違いを認めて改める」という態度が重要である

この態度ができていなければ、クリティカルシンキングの手法をいくら学んだところですべては無駄。自分に都合のよい文脈を選び、自分に都合のよい基準で議論を評価し、自分に都合のよい証拠だけを見るなら、ここまで紹介してきた技術を使う意味はない

人間は批判されることに弱く、部分的に批判されたことで思考が硬直してしまうことがままある

このようなとき、まずは自分の意見に感情移入しすぎないことだ。自分で思いついて愛着のある説でも、場合によっては切り捨てる覚悟がないと、結果的には自分にはねかえってくることになる。自分の過ちを素直に認められるということにプライドを持つことを考慮してみる

次に、自分の意見に対する批判は必ずしも自分自身に対する攻撃ではないということもわきまえる。相手がそこを混同しているようなら、文脈の分業について相手と一致をとり、人格攻撃と切り離して冷静に論争できる場を整える。批判されて頭に血がのぼっていると感じたら、自分が落ち着くまで返事をするのを待つ

少々不利に見える立場でもあきらめずに研究を続けることで後に大逆転が起きたという例はいくらでもあるのだ

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以上が「4.前提の検討」でした。

次回は、最終回「5.推論の検討」です。これは少し長くなりそうな予感。またお付き合いいただけたら幸いです。

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