エッセイ。ミニマリストに憧れて
数年前からミニマリストに憧れています。
ミニマリストって、自分の芯がしっかりあって周りに流されていない感じがして
かっこいいじゃないですか。
必要最低限のものしか置いていない部屋とか、スッキリとしたクローゼットの中身とか。
それはやり過ぎでは?みたいな人もたまにいますが。
ミニマリストってかっこいいなーって思うんですね。
それで私もいらないもの、着ていない服や、読み終えた本などを手放す活動をちょいちょいやってて、日常にミニマリズムを取り入れてます。
そのおかげで、ものを買うときも、これは本当に必要なものなのか?
いや、なくてもいいんじゃないか?
と吟味する習慣がついて、衝動買いをしてしまうこともなくなってきました。
ミニマリズムは節約にも繋がるんですね。
ミニマリズムは自分の生活や環境にしっかり目を向けて、見直し、本当に重要なものや習慣にフォーカスする。そして
いらないモノは捨てる。
やらなくていいことはやめる。
という思想やプロセスのことだと思うんです。
で先ほどの服や本は、いらない「モノ」でした。
次は、やらなくていい「こと」にフォーカスしてみたんですね。
普段習慣のように当たり前にやっているけど、実はやらなくていいこと。
けっこうあると思うんです。
私は筋トレが日課でして、かれこれ10年以上続けられています。
筋トレをやっている人はプロテインを日常的に飲んでいる人は珍しくなくて、私もジムで筋トレした後には必ず飲んでいましたし、オフの日も飲んでいました。
筋トレとプロテインはセット。
筋トレの相棒はプロテインという感覚でした。
ですが今はプロテインを飲むのをやめているんです。
きっかけはトレーニングスタイルが変わったことです。
コロナ禍の影響と子供が生まれたことで、自宅でトレーニングをするようになり、
そのとき、ふと考えたんです。
私はなんのために筋トレをしているのだろう?
私にとって筋トレってってなんだろう?
20代の頃は漠然と、身体を大きくしたくてジムで割と激しめのトレーニングをしていました。確かにそのときはプロテインがあった方が、筋肉がつくペースが早いと実感していました。
ですが今は自宅で、健康的な身体を維持するためにゆるーくやっているだけです。
自宅でのトレーニングをはじめて最初の頃はプロテインを飲んでいたのですが、あるときふと疑問に思ったんです。
プロテインいる?
そして試しにプロテインを飲むのを数ヶ月やめてみました。
結果プロテインがあってもなくても、今の私のトレーニング強度と頻度では、そんなに変わらないことがわかりました。
と言っても、精密に筋肉量など比較したわけではなく、身体の見た目と扱える重量の変化や回数を観察しただけなんですけどね。
私の場合は普段の食事から摂るたんぱく質で十分だったんです。
だったら飲まなくていいや。ということで、それからプロテインは飲んでいません。
おかげで、プロテイン代も節約できたし、プロテインシェイカーを洗う手間も省けるしで、良いことだらけです。
プロテイン代は月3000円ほどでしたから、おこづかい制のサラリーマンにとっては嬉しい限りです。
ミニマリズムとは、普段何気なくやっているような自分の習慣に目を向けて、疑問を持ち、考える、そして試しになくしてみる。
その結果、必要なさそうであれば完全にやめる。もしくは半分くらいやめてみたり、
やっぱり必要性を感じたのなら元に戻したり。
そうすることで自分がどう感じるか、自分の価値観がより理解できて、不要なストレスからも解放されます。
今回の件では、プロテインを飲むということと、シェイカーを洗うということから、解放され、少しだけストレスも減りました。
シェイカーを洗うの、地味に面倒だったんですよね。
ミニマリズムは今を生きるために大切な考え方だなと思っています。
今後もちょいちょいミニマリストっぽい投稿をしていきたいなと思っています。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
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