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SDGsは未来の社会への 道標となりうるか? (清水利尚)

清水利尚
(博士(学術)、独立研究者、一般社団法人社会科学総合研究機構 理事)

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はじめに
2001年に策定されたミレニアム開発目標(MDGs: Millennium Development Goals)の後継として、2015年9月に国連で開かれたサミットのなかで世界のリーダーによって採択された国際社会共通の目標、すなわち「持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals: 以下SDGs)」。
それは「貧困に終止符を打ち、地球を保護し、すべての人が平和と豊かさを享受できるようにすることを目指す普遍的な行動」の呼びかけとして、広く知れ渡っている。具体的には2030年の達成を目指した共通目標として、17の目標と169の指標が示されている。

そして現在、世界中の多くの企業がこのSDGsを経営のなかに組み込む取り組みを行っている。例えば、「環境への配慮」や「地域への貢献」、「多様性の尊重」などを企業活動のなかに組み込み、持続可能で包摂性と多様性のある社会を実現していくことを目標とする取り組みである。
さてこのSDGsであるが、一見、新自由主義のイデオロギーにもとづく行き過ぎたグローバリゼーションを諫め、「自然との共生」や「差別のない多様性の尊重」、さらには「格差社会の是正を通じた貧困の撲滅」などを志向するもののようにみえる。

カール・ポランニーの言葉で言い換えると、それは過度な「経済的自由主義の原理」を社会のなかに「再び埋め込む(re-embed)」(Polanyi [1944]2001)行動を呼びかける取り組みのように見える。
実際、筆者もこのSDGsを知ったときにそのような印象を受け、共感を抱いた。
しかし、詳細にSDGsの中身を見ていくうちにその共感はやがて違和感へと変貌していった。ではこの違和感の正体は一体何か。

1 「持続可能な開発」の概念について
まず、SDGsのコアにある「持続可能な開発」という概念はいかなるものかについてみていこう。
この「持続可能な開発」という概念は、1972年にローマクラブの報告書『成長の限界』に端を発する。それは資源の枯渇による地球の有限性に着目し、人類の危機を予見し警鐘を鳴らすものであった。
その後、1987年のブルントラント・レポートにおいて「持続可能な開発」という考え方が提唱され、資源や環境などの「世代間の公正」に加えて、経済格差や南北格差などの「世代内の公正」の実現のために、先進諸国と発展途上国との双方での持続可能性を追求すること、多様なステークホルダーの連携による包括的な取り組みの重要性が示された。
この「地球の有限性」に端を発する「持続可能性」の議論は以降、1992年の地球サミット(リオ宣言)や1995年の世界社会開発サミット(コペンハーゲン宣言)を経て、2000年のミレニアム開発目標(MDGs)、さらには2015年の持続可能な開発目標、すなわちSDGsへと引き継がれていったのであった(杉下 2019: 374)。
では、このような変遷を経て継続的に議論されている「持続可能な開発」の概念の中心にあるものはなにか。それは、「経済発展」を目的とした「成長」ではなく、「持続可能性」を目指した「人間中心の開発(human centered development)」である。この「人間中心の開発」は、「人間の福祉(welfare)」あるいは「社会福祉(social welfare)」の向上を目指すものである(野田 2017: 199)。
  
2 SDGsの「人間中心の開発」
結論から先に述べると、この「人間中心の開発」をコアとする「持続可能な開発」には、きわめて人間中心主義的かつ経済主義的な思想が根底にあり、それが筆者が抱いた違和感の源泉となっている。
すなわちSDGsの思想の根幹には、いわば近代社会がもたらした危機の要因となるものが根幹にある。果たしてこれが2030年までの未来の社会への道標へとなりうるものなのか。これが筆者の抱いた違和感である。
では実際にSDGsの掲げる目標をピックアップして、その人間中心主義的で経済主義的な思想に触れていくことにしよう。
 
2-1 人間と自然環境
既述のように、SDGsは「人間中心の開発」を根底に置いている。「誰も置き去りにしない」ことをモットーに掲げるSDGsの第1目標は貧困撲滅であり、持続可能な開発の最大の目標は貧困の撲滅であるといえる。
そもそもこうした考え方は、先述の「持続可能な開発」を提唱したブルントラント・レポートの時からあった(Adelman 2018: 8)。貧困が持続可能な開発の阻害要因であり、開発のあり方の見直しではなく、「持続可能な開発」のなかに環境問題をとり入れていくという考え方がSDGsに至るまで継承されてきている。
それゆえSDGsは、あらゆる側面の環境問題への対処においても、持続可能な開発に自然環境を従属させており、人間中心主義的なスタンスが確認できる。
具体的には以下のとおりである(1)。

 
持続可能な開発のために海洋・海洋資源を保全し、持続可能な形で利用する(Goal 14)。
陸域生態系の保護、回復、持続可能な利用の推進、持続可能な森林の経営、砂漠化への対処、ならびに土地の劣化の阻止・回復及び生物多様性の損失を阻止する(Goal 15)。

 
自然環境は、「持続可能な開発」のために「利用する」対象であることがわかる。自然環境は「人間中心の開発」に従属するものであり、「持続可能な開発」のための資源に過ぎない。したがってSDGsの思想は人間中心主義的なものであり、近代的な「人間と自然」のデカルト的二元論の域をでるものではない(土佐 2020: 28)。
さらにいえば、ここから「持続可能な開発」の「持続可能性」の軸足は自然環境にはなく、あくまでも開発にあることが読み取れる。持続可能なのはあくまでも「人間中心の開発」であり、自然環境ではない。「持続可能な開発」とは、自然環境が持続可能になるような開発のあり方なのではなく、単に開発が持続可能であるということにすぎない。
したがって、われわれがSDGsに触れたときに勝手に連想してしまいがちな「自然環境との共生」については、そもそもごっそりと抜け落ちてしまっているのである。
 
2-2 SDGsと経済主義
では次に、SDGsの根底にある経済主義の思想についてみていく(2)。
先述のように、SDGsは「経済発展」を目的とした「成長」ではなく、「人間中心の開発」を志向する。それゆえ、SDGsは貧困の撲滅を最大の目標としている。そしてその貧困の撲滅を経済成長によって遂行しようとしている。つまり好意的に解釈すると「人間の福祉」あるいは「社会福祉」の向上が目的であり、経済成長は手段であるということだ。しかし最大目標の貧困の解決の重要な手段として経済成長があげられており、やはり経済主義の思想が根底にある。
では具体的に、経済成長による貧困削減についての目標をみてみよう。

2030年までに、現在1日1.25ドル未満で生活する人々と定義されている極度の貧困をあらゆる場所で終わらせる(Goal 1.1)。
各国の状況に応じて、一人当たり経済成長率を持続させる。特に後発開発途上国は少なくとも年率7%の成長率を保つ(Goal 8.1)。

しかしながらSDGs以前の1990年から2010年にかけて、世界のGDPは271%成長した一方で、1日5ドル以下で生活する人びと(3)の数は3億7千万人も増えている。また世界の最貧層の人びとは、世界の成長によって生み出された新たな収入の5%しか受け取っていない。
それだけではない。オックスファムの調査によると、世界の富裕層の上位2,100人の富が世界の総人口の6割にあたる46億人分の富を上回っている現状がある(Oxfam 2020)。
このように、経済成長と貧困撲滅との関係は希薄であり、むしろ経済成長は格差拡大を助長するものである。
しかしながらSDGsの目標は貧困削減を経済成長に依存し、尚且つ配分的正義や再配分の問題には一切触れずにそれを放置したままである。再配分には触れずにトリクルダウン効果によって貧困問題が解決できるという幻想を振りまく新自由主義のイデオローグと同じ思考回路ではないか。これではSDGsの耳ざわりのいいレトリックと現実との間のギャップは拡大の一途を辿るしかない(Kumi et al. 2014)。
また、これにさらに拍車をかけるのが以下の目標である。

国際貿易は、包摂的な経済成長や貧困削減のための牽引車(an engine)であり、持続可能な開発 の促進に貢献する(Para. 68 括弧内引用者)。
ドーハ・ラウンド(DDA)交渉の結果を含めた WTO の下での普遍的でルールに基づいた、差別的でない、公平な多角的貿易体制を促進する(Goal 17.10)。

SDGsはWTOの不公正な貿易体制の見直しや、貧困を犠牲にするグローバルな市場のさらなる自由化を促進する多くの貿易・投資協定の是正についてはなにも言及しない。むしろ逆に、さらなる貿易自由化とWTOの権限の強化を求めている。
つまりSDGsは、貧困の増大や格差拡大の本質的な原因である現状の新自由主義のイデオロギーにもとづくグローバルな資本主義経済体制の見直しには手をつけずに、むしろそれを促進している。そしてその一方で「人間の顔」「自然と共生するグリーンな資本主義」などのようなイメージを想起するような耳ざわりのいいメッセージを振りまいている。
それゆえ、多くの人びとに「自然環境との共生」「行き過ぎたグローバリゼーションの見直し」のイメージを想起させて共感を呼び寄せるSDGsであるが、それは人間中心主義と経済主義の克服には一切手をつけずに、むしろそれを押し進めるオールドタイプの近代性に囚われており、尚且つそれを無反省に継続していくものだということがわかる。

3 「SDGs(が)ウォッシュ」
現在多くの企業が自社のCSR(企業の社会的責任)活動を報告する「CSR・サステナビリティレポート」を発行しているが、特に近年はSGDsに言及することが求められることが多いという。
しかしながら、Ethical Corporationが2018年に公表したレポートによると、多くの企業がSDGについてレポートを開示しているが、実際にSDGへの貢献度を測定する目標を定めているのは10%未満であるという(Ethical Corporation 2018: 19)。つまり「SDGsウォッシュ」である企業がほとんどであるという。
この「SDGsウォッシュ」とは、実態が伴っていないのに、うわべだけSDGsへ対応しているかのように装っていることを揶揄する言葉である。現に、とりあえずは自社の既存の事業に17の目標のアイコンをつけて「私たちはSDGsに取り組んでいます」と、実質的な取り組みは実施していないのにもかかわらずアピールだけする「SDGsウォッシュ企業」がかなりあるようだ。ちなみに大手広告代理店の電通は、「SDGsコミュニケーションガイド」を策定し、「SDGsウォッシュ」を回避するためのガイドラインを企業向けに発信している (電通 2018)。
しかし「貧困に終止符を打ち、地球を保護し、すべての人が平和と豊かさを享受できるようにすることを目指す普遍的な行動」を呼びかけているSDGs自体が、人間中心主義と経済主義というきわめてオールドタイプな近代性に囚われており、耳ざわりのいいイメージで身を纏いつつ目標に掲げている「貧困の撲滅と地球の保護」にはうわべだけ取り組んでいるように装っている「ウォッシュ」ではないかと思えて仕方ない。「SDGsウォッシュ」ではなく「SDGsウォッシュ」なのではないか、と。
しかし筆者はSDGsを全面的に否定するわけではない。貧困に終止符を打ち、地球を保護し、「誰一人置き去りにしない」という考え方にはそれでも共感を覚えるし、達成すべきことだと思う。
そのような志の高い目標を掲げるのであれば、「近代とはいかなる時代であるのか」「人間とはなにか」「自然環境との共生はいかにして可能か」等といったように、より本質的にものごとを掘りさげて考える必要があるのではないか。それが2030年までの未来の社会の道標となるための第一歩なのではないか。

【注】
(1) 本稿で触れるSDGsの各目標等については(外務省 2015)を参照。
(2) 以下、SDGsの経済主義的な思想についての議論は、(Adelman 2018) (Hickel 2015) (Kumi et al 2014). を参照。
(3) (Hickel 2015)によると最近の研究では、人間が通常の寿命を達成し、基本的なニーズを満たすためには1日あたり5ドル近い金額が必要だとされている。SDGsが1.25ドルという指標にこだわる理由は2030年までに貧困を根絶させるという目標に近づくことのできる指標だからである。1日5ドルの基準で貧困を測定した場合、貧困の総数は43億人となり、それは世界の総人口の60%以上を占める。

【参考文献】
Adelman, S. (2018). The sustainable development goals, anthropocentrism and neoliberalism. In Sustainable Development Goals. Edward Elgar Publishing.
Ethical Corporation, (2018). Responsible Business Trends Report 2018.
Hickel, J. (2015), Five reasons to think twice about the UN’s Sustainable Development Goals. https://blogs.lse.ac.uk/southasia/2015/09/23/five-reasons-to-think-twice-about-the-uns-sustainable-development-goals/ (2020/07/10)
Kumi, E., Arhin, A. A., & Yeboah, T. (2014).Can post-2015 sustainable development goals  survive neoliberalism? A critical examination of the sustainable development–neoliberalism nexus in developing countries. Environment, development and sustainability, 16(3), 539-554.
Oxfam, (2020), Time to care Unpaid and underpaid care work and the global inequality crisis, https://oxfamilibrary.openrepository.com/bitstream/handle/10546/620928/bp-time-to-care-inequality-200120-en.pdf (2020/07/10)
Polanyi, K. ( [1944]2001), The Great Transformation: The Political and Economic Origins of Our Time, Beacon Press. (野口建彦・楢原学(訳) (2009) .『[新訳] 大転換 : 市場社会の形成と崩壊』.東洋経済新報社.)
電通. (2018). SDGsコミュニケーションガイド. 株式会社電通 電通SDGsプロジェクト.
外務省. (2015). 我々の世界を変革する: 持続可能な開発のための 2030 アジェンダ. 仮訳) http://www. mofa. go. jp/mofaj/files/000101402. pdf (2020/07/10)
野田真里. (2017). 持続可能な開発・SDGs に向けた人間中心の開発と NGO/市民社会. アジア太平洋討究, (28), 197-210.
杉下智彦. (2019). 持続可能な開発目標 (SDGs) の背景と国際展開. 保健医療科学, 68(5), 372-379.
土佐弘之. (2020). 『ポスト・ヒューマニズムの政治』. 人文書院. 

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