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外出できただけで、私ってすごいと思える

家を出た。

大層なことのように聞こえるかもしれない。
『家出?』
『え!離婚でもしたの?』
そんな声も聞こえてきそう。

そうではなくて、
ただある場所に向かって
外出をした。

それが今日はできた。
パチパチパチ〜


以前から遊びにこない?とお誘いをいただいていて
行くか行かないかをずっと決められなかった。

『私はそのお誘いを遂行できるのだろうか?』

本当に不安で
自分の力(ちゃんと予定通りに動く能力)を信じられなくって

『行きます』と言えなかった予定。


なんともポンコツで
かつてバリバリ働いていた人の思考とは思えないくらい
自分に自信がなくなっているし
自分ができるかどうかも分からなくなっていることの苦しさ。


ベッドの中で
行きたい
行くべき
行きたくない
この攻防が永遠と続き

動けないなんて
お金払ったのにもったいない
お相手の好意を踏みにじるなんて
…と自分を責めながら

ただただ、内的な資源をすり減らしているような時間。


私は
そういう時間が異常に苦しいが
抜け出すのに
幾分か時間が必要で

いやっちゅうほど感じきったら

『そう感じるよね』と
自分の現状を認められた。


だめだ、だめだ!と感じているうちは
認めることは出来てなくて
現在のベッドのなかにいる自分に
ムチを打っている。

そういうのが自分の人生だったなぁと思う



さて、『動けなくて、ベッドのなかで一人戦時中の私だよね』と認めたところで

事前に良質な知識として
孤独という要因が
死亡リスクを高めるという調査結果を
思い出し


『バスに乗ろう』
『会いに行こう』
と思えた。

決して、
そこで行われている催事に
前向きに取り組もう!
とか

最近あった良かったことを報告しよう!
とか

そんなことは考えていたわけでなくて


ただ服を着替えて
歯磨きをして(これだけは譲れない)
飛び出た


私できるじゃん


動けない
出たくない
そういう気持ちがある。
これは否定はできない。

それくらい
周囲のペースに合わせて生きてきた
そして、周囲のせいにしていた。


自分で選択をして
家を出た私に
はなまるっ!

これからは
自分の人生のために
自分で選択をして
自分の行動によって
得られた良くも悪くもすべての結果の状態を
自分で責任を負っていきたい。
本当の自立の道。

加点主義のレベルを下げると
バスに乗れた自分が
褒めるに値する

涙が出そうになる


あぁ私はこのレベルで
自分はなにもできない
存在価値もない自分だと
思ってるんだなぁ



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