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魔術とは何か(黒魔術と白魔術)

【魔術とは何か(黒魔術と白魔術)】
2019(令和元/ヘブル暦5780)年10月22日 初稿
2020(令和2/ヘブル暦5780)年6月4日 改訂

『ガラ5:19 肉のわざは明らかです。すなわち、淫らな行い、汚れ、好色、20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、21 ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のものです。以前にも言ったように、今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。このようなことをしている者たちは神の国を相続できません。22 しかし、御霊の実は喜び平安寛容親切善意誠実、23 柔和自制です。このようなものに反対する律法はありません。24 キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたのです。25 私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。26 うぬぼれて、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりしないようにしましょう。』ガラテヤ人への手紙5章19~26節
『申18:10 あなたのうちに、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占いをする者、卜者、まじない師、呪術者、11 呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、死者に伺いを立てる者があってはならない。12 これらのことを行う者はみな、主が忌み嫌われるからである。これらの忌み嫌うべきことのゆえに、あなたの神、主はあなたの前から彼らを追い払われるのである。13 あなたは、あなたの神、主のもとで全き者でなければならない。14 確かに、あなたが追い払おうとしているこれらの異邦の民は、卜者や占い師に聞き従ってきた。しかし、あなたの神、主はあなたがそうすることを許さない。』申命記18章10~14節
『従わないことは占いの罪、高慢は偶像礼拝の悪。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。」』サムエル記 第一 15章23節
『人を恐れると罠にかかる。しかし、主に信頼する者は高い所にかくまわれる。』箴言29章25節
(主イエス)『あなたがたの言うことばは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』としなさい。それ以上のことは悪い者から出ているのです。』マタイの福音書5章37節
『伝3:1 すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。2 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を抜くのに時がある。3 殺すのに時があり、癒やすのに時がある。崩すのに時があり、建てるのに時がある。4 泣くのに時があり、笑うのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。5 石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。6 求めるのに時があり、あきらめるのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。7 裂くのに時があり、縫うのに時がある。黙っているのに時があり、話すのに時がある。8 愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦いの時があり、平和の時がある。
11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。』伝道者の書3章1〜8, 11節
『しかし、臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、淫らなことを行う者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者たちが受ける分は、火と硫黄の燃える池の中にある。これが第二の死である。」』ヨハネの黙示録21章8節
『しかし、すべての汚れたもの、また忌まわしいことや偽りを行う者は、決して都に入れない。入ることができるのは、子羊のいのちの書に記されている者たちだけである。』ヨハネの黙示録21章27節
『犬ども、魔術を行う者、淫らなことを行う者、人を殺す者、偶像を拝む者、すべて偽りを好み、また行う者は、外にとどめられる。』ヨハネの黙示録22章15節
『2テサ2:7 不法の秘密はすでに働いています。ただし、秘密であるのは、今引き止めている者が取り除かれる時までのことです。8 その時になると、不法の者が現れますが、主イエスは彼を御口の息をもって殺し、来臨の輝きをもって滅ぼされます。9 不法の者は、サタンの働きによって到来し、あらゆる力、偽りのしるしと不思議、10 また、あらゆる悪の欺きをもって、滅びる者たちに臨みます。彼らが滅びるのは、自分を救う真理を愛をもって受け入れなかったからです。11 それで神は、惑わす力を送られ、彼らは偽りを信じるようになります。12 それは、真理を信じないで、不義を喜んでいたすべての者が、さばかれるようになるためです。』テサロニケ人への手紙 第二 2章7~12節
みことばによって 私の歩みを確かにし どんな不法にも 私を支配させないでください。』詩篇119篇133節
『私の見てきたところでは、不法を耕して害悪を蒔く者が、自らそれらを刈り取るのだ。』ヨブ記4章8節
『不正を働く者にはわざわいが、不法を行う者には災難が来るではないか。』ヨブ記31章3節
『ヨブ34:21 神の御目が人の道の上にあり、その歩みのすべてを神が見ておられるからだ。22 不法を行う者どもが身を隠せる闇はなく、暗黒もない。』ヨブ記34章21~22節
『わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。--神である主の御告げ--だから、悔い改めて、生きよ。』エゼキエル書18章32節
『イザ55:6 主を求めよ、お会いできる間に。呼び求めよ、近くにおられるうちに。7 悪しき者は自分の道を、不法者は自分のはかりごとを捨て去れ。主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。』イザヤ書55章6~7節
(主イエス)『「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」』マルコの福音書1章15節
『ロマ4:7「幸いなことよ、不法を赦され、罪をおおわれた人たち。8 幸いなことよ、主が罪をお認めにならない人。」』ローマ人への手紙4章7~8節
光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。』ヨハネの福音書1章5節
『1ヨハ1:5 私たちがキリストから聞き、あなたがたに伝える使信は、神は光であり、神には闇が全くないということです。6 もし私たちが、神と交わりがあると言いながら、闇の中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであり、真理を行っていません。7 もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。』ヨハネの手紙 第一 1章5~7節
『1ヨハ2:9 光の中にいると言いながら自分の兄弟を憎んでいる人は、今でもまだ闇の中にいるのです。10 自分の兄弟を愛している人は光の中にとどまり、その人のうちにはつまずきがありません。11 しかし、自分の兄弟を憎んでいる人は闇の中にいて、闇の中を歩み、自分がどこへ行くのかが分かりません。闇が目を見えなくしたからです。』ヨハネの手紙 第一 2章9~11節
(主イエス)『ヨハ13:34 わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。35 互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。」』ヨハネの福音書13章34~35節
『1ペテ5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。8 身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。9 堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい。ご存じのように、世界中で、あなたがたの兄弟たちが同じ苦難を通ってきているのです。』ペテロの手紙 第一 5章7~9節
『ヤコ4:6 神は、さらに豊かな恵みを与えてくださる」と。それで、こう言われています。「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与える。」7 ですから、神に従い、悪魔に対抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。8 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪人たち、手をきよめなさい。二心の者たち、心を清めなさい。』ヤコブの手紙4章6~8節
『彼らを惑わした悪魔は火と硫黄の池に投げ込まれた。そこには獣も偽預言者もいる。彼らは昼も夜も、世々限りなく苦しみを受ける。』ヨハネの黙示録20章10節
『また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。』エペソ人への手紙1章19節
『神はまた、キリスト・イエスにあって、私たちをともによみがえらせ、ともに天上に座らせてくださいました。』エペソ人への手紙2章6節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

魔術とは

魔術とは、偽りの力を使って人々を支配し、自分の意のままに操作しようとするすべての不法行為を指します。
黒魔術とは、悪魔の力を使って、人に呪いをかけて人をおとしめる不法行為のことです。
白魔術とは、嘘を使い、真実を偽って自分に有利になるよう取り計らう不法行為のことです。聖書から来ていないこの世の「処世術」や日本の諺「嘘も方便(事をうまく運ぶためには、一つの手段として時には噓が必要なこともある)」が白魔術の代表的なものです。そして、この諺は悪魔の偽りの教えであり、すべての日本人クリスチャンが悔い改めなければならないことです。
しかし、時をわきまえずにすべてを包み隠さず話すのが聖書的なわけではありません。主イエスは一度も嘘や偽りを口にすることなく地上生涯を全うされました。私たちも、嘘をつかないで済むよう普段から誠実に生き、主からの知恵と「知恵の言葉」の賜物を熱心に求める必要があると信じます。

アブラムが犯した白魔術の罪
『創12:9 アブラムはなおも進んで、ネゲブの方へと旅を続けた。10 その地に飢饉が起こったので、アブラムは、エジプトにしばらく滞在するために下って行った。その地の飢饉が激しかったからである。11 彼がエジプトに近づいて、その地に入って行こうとしたとき、妻のサライに言った。「聞いてほしい。私には、あなたが見目麗しい女だということがよく分かっている。12 エジプト人があなたを見るようになると、『この女は彼の妻だ』と言って、私を殺し、あなたを生かしておくだろう。13 私の妹だと言ってほしい。そうすれば、あなたのゆえに事がうまく運び、あなたのおかげで私は生き延びられるだろう。」14 アブラムがエジプトにやって来たとき、エジプト人はサライを見て、非常に美しいと思った。15 ファラオの高官たちが彼女を見て、ファラオに彼女を薦めたので、サライはファラオの宮廷に召し入れられた。16 アブラムにとって、物事は彼女のゆえにうまく運んだ。それで彼は、羊の群れ、牛の群れ、ろば、それに男奴隷と女奴隷、雌ろば、らくだを所有するようになった。17 しかし、主はアブラムの妻サライのことで、ファラオとその宮廷を大きなわざわいで打たれた。18 そこで、ファラオはアブラムを呼び寄せて言った。「あなたは私に何ということをしたのか。彼女があなたの妻であることを、なぜ私に告げなかったのか。19 なぜ、『私の妹です』と言ったのか。だから、私は彼女を自分の妻として召し入れたのだ。さあ今、あなたの妻を連れて、立ち去るがよい。」20 ファラオがアブラムについて家来に命じたので、彼らは彼を、妻と、所有するすべてのものと一緒に送り出した。』創世記12章9~20節
イサクが犯した白魔術の罪
『創26:1 さて、アブラハムの時代にあった先の飢饉とは別に、この国にまた飢饉が起こった。それでイサクは、ゲラルのペリシテ人の王アビメレクのもとへ行った。
6 こうしてイサクはゲラルに住んでいたが、7 その土地の人々が彼の妻のことを尋ねた。すると彼は「あれは私の妹です」と答えた。この土地の人々がリベカのことで自分を殺しはしないかと思って、「私の妻です」と言うのを恐れたのであった。彼女が美しかったからである。8 イサクは長くそこに滞在していた。ある日のこと、ペリシテ人の王アビメレクが窓から見下ろしていると、なんと、イサクがその妻リベカを愛撫しているのが見えた。9 アビメレクは、イサクを呼び寄せて言った。「本当のところ、あの女はあなたの妻ではないか。なぜ、あなたは『あれは私の妹です』と言ったのか。」イサクは「彼女のことで殺されはしないかと思ったからです」と答えた。10 アビメレクは言った。「何ということをしてくれたのか。もう少しで、民の一人があなたの妻と寝て、あなたはわれわれに罪責をもたらすところだった。」』創世記26章1, 6~10節
白魔術ではない聖書的な切り抜け例
『出1:15 また、エジプトの王は、ヘブル人の助産婦たちに命じた。一人の名はシフラ、もう一人の名はプアであった。16 彼は言った。「ヘブル人の女の出産を助けるとき、産み台の上を見て、もし男の子なら、殺さなければならない。女の子なら、生かしておけ。」17 しかし、助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王が命じたとおりにはしないで、男の子を生かしておいた。18 そこで、エジプトの王はその助産婦たちを呼んで言った。「なぜこのようなことをして、男の子を生かしておいたのか。」19 助産婦たちはファラオに答えた。「ヘブル人の女はエジプト人の女とは違います。彼女たちは元気で、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」20 神はこの助産婦たちに良くしてくださった。そのため、この民は増えて非常に強くなった。21 助産婦たちは神を恐れたので、神は彼女たちの家を栄えさせた。』出エジプト記1章15~21節

以下
貧困の霊に打ち勝つ・魔術に打ち勝つ』リック・ジョイナー著、角笛出版発行、電子版リーハイバレー・ジャパニーズ・ミニストリーズ発行、第二部 魔術に打ち勝つ/一章 魔術の要塞/二章 とげのように刺すもの/三章 ニューエイジの魔術との闘い より抜粋(太字強調は引用者による)
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第二部 魔術に打ち勝つ

一章 魔術の要塞

(前略)

魔術とは何か

魔術とは偽の霊的権威です。聖霊ではない、異なる霊を使って人々を支配し、操作し、コントロールすることです。
ガラテヤ人への手紙、五章二十節で、使徒パウロは、肉の行いの一つとして魔術、あるいは魔法を挙げました。魔術は人間の肉的性質から発生していますが、普通はすぐに堕落して悪魔的な力に変わってしまいます。誰かを操作しようとして感情的な圧力をかけるなら、それは魔術の基本的な形なのです。誇大宣伝したり、人の魂の力( s o u l p o w e r )を使って礼拝に協力するならそれが神の働きのためであっても魔術となり得るのです。ビジネスマンが良い待遇を得るために圧力をかける政治家を探そうと企むとき、それもまた魔術となり得ます。宣伝広告における販売上のテクニックとして奨励されている操作的な戦術の多くは、魔術の基本的な形なのです。この偽りの霊的権威に対抗する一番の防御策は、真の霊的権威によって歩むことです。私たちの生活を真理の上に建て上げること、そして自分に関することを達成しようとするとき主に信頼すること、これが魔術の影響力と圧力から逃れるための重要な鍵です。
(中略)
ですから、魔術の影響力から解放される第一の原則は、私たちの人生やミニストリーの中で、自分自身が使ってきたそれらの手法をすべて悔い改めることです。サタンはサタンを追い出すことはできません。もし私たちが人をコントロ ールしたり、地位を得るために操作という手法を使うなら、私たちの生活への扉を黒魔術のような最も邪悪で残忍な魔術にさえ開いてしまうのです。教会を建てるためにという企みで自分たちを正当化するかもしれませんが、神はだまされるようなお方ではなく、敵をもだますことはできません。神が打ち建てておられるものは、権力や能力によってではなく、主の御霊によってなされるものなのです。それ以外の方法で建てることは、十字架を侮辱することであり、結果的に聖霊がしておられることに敵対するのです。どんなに肉的に首尾よくいっているように見えても、肉の働きは御霊に逆らうのです。
(中略)
拒絶を主の訓練として喜んで受け入れることで、私たちは恵みと愛において成長します。この訓練に抵抗するなら、魔術に陥ってしまうかもしれません。

人間の恐れが魔術に導く

魔術は基本的に人を恐れることから発しています。「人を恐れるとわなにかかる 」(箴言二九・二五)とあるように、魔術によって操作をし始めた者たちは、恐れによって罠にかけられるので、罠に捕らえられてしまうのです。ある人が欺きや操作や支配の霊によって建て上げた計画やミニストリーが大きければ大きいほど、その人は自分が操作したり支配できない人や事柄をことさらに恐れるようになります。このような致命的な罠にかかっている人は、真の権威に歩んでいる油注がれた人を恐れます。真の霊的権威に歩む人は、操作や支配の霊にはほとんど影響されないからです。サウルはダビデに対して激怒し、その時には 「一匹の蚤(のみ) 」(Ⅰサムエル二四・一四)のような存在にすぎなかったダビデを、殺そうと必死になりました。操作と支配の霊が支配力を増すと、その霊に捕らわれた人の被害妄想もひどくなります。そのような人は分別を失って、自分の支配を脅かす人なら誰でも追い出そう、抹殺しようとやっきになります。人間から権威や承認や保護を受けた人は、最終的には、サウルのように魔法の家に行ってしまいます。サムエルがサウルに、「背くことは魔術の罪と同じ 」(Ⅰサムエル一五・二三英訳)であると警告したのはその理由からです。霊的権威をもつ人が聖霊に逆らうと、その器は偽りの霊的権威で満たされてしまいます。このことは単に、欺きや人間的霊力に頼ることから始まりますが、そのことを悔い改めないなら、サウル王の例のように、自分ででしゃばったり反抗したりという最も邪悪な状態になります。サウルは主に忠実な人々を迫害し、主の祭司たちを殺し、彼が選んだ人生の当然の成り行きとして、最後には魔女の家で一晩過ごすことになりました。
(後略)

カリスマティックな魔術からの守り

リーダーシップのある人は、自分が魔術を使うことがないように警戒するだけでなく、自分たちが魔術を使う者たちの第一のターゲットになるということを知っておかなければなりません。魔術は敵であり、私たちは内側と外側の攻撃から守らなければなりません。魔術による攻撃は巧妙で、外側からの攻撃をあたかも自分の内側から来ているように欺きます。このような魔術は、通常「白魔術」であり、私たちが黒魔術と呼んでいるものであることはめったにありません。白魔術を行う人々は、しばしば、しっかりとした確信をもっていない善意の人々であるため、影響力をもつために操作という密かな手法に陥ってしまったのです。教会で良く見かける白魔術の顕著な形は「カリスマティックな魔術」と表現することができるでしょう。これは高い霊性をもっているという仮面をかぶって、影響力と支配力を得るために用いられる偽りの霊性です。これは偽りの預言、偽りの夢、偽りの幻の根であり、最終的には教会を破壊し、無力化するか、あるいは指導者たちに激しい反発を起こさせ、預言を全く毛嫌いするように仕向けます。このような魔術を使う者たちは、ほとんどの場合、自分たちが主の心をもっていると考え、反抗している人たちにこそ指導者の資格があると結論付けます。

イゼベル
(前略)
神の力に比べると、どんな悪の力も比べものになりません。クリスチャンになったばかりの人でも、その人の内には、反キリストすべてを合わせたよりも大いなる力があるのです。それでも私たちが悪の力に打ち負かされてしまうのはどうしてなのでしょうか。それはサタンが神の民に対して力で立ち向かってくるのではなく、欺きをもって誘惑してくるからです。
(後略)

二章 とげのように刺すもの

魔術の攻撃は、とげを刺すような一連の攻撃で向かってきます。その連続する攻撃は、以前刺されて弱まっているまさに同じ場所を打とうとしてくるのです。そのような方法で、標的を繰り返しの効果で圧倒するまで続けられます。魔術のとげは 、通常次の順序で攻撃してきます。
一 、落胆
二 、混乱
三 、鬱
四 、ビジョンを失う
五 、方向を見失う
六 、引きこもり
七 、絶望
八 、敗北
このプロセスは、エリヤの場合のように速やかに起こることもありますが、普通は見分けることが困難なほどゆっくりと進行します。しかし私たちが敵の策略を知っていれば、攻撃されたままでいることはないでしょう。前述の八つの徴候が私たちの人生に起こり始めた時には、敵が逃げ去るまで抵抗しなければなりません。さもなければ、エリヤのように逃げることになってしまいます。
私たちに敵対する魔術の出所は、明らかな悪魔的カルトや、ニューエイジを信奉している者たちではないかもしれません。善意の惑わされたクリスチャンたちの祈りからくる可能性もあります。その祈りとは私たちに益となる祈りではなく、事実上私たちに敵対する祈りです。この神の導きとは異なる祈りにも力があります。なぜなら、何であれ地上において解くものは天でも解かれ、地上でつなぐものは天でもつながれるからです。もしとりなしの祈りが、支配の霊や人を操作するという動機でなされるなら、それは魔術になってしまいます。そしてその力は黒魔術と同じくらい現実的な力をもつのです。
カリスマティックの魔術の別の源は、ゴシップや政治的策略、ねたみなどである場合もあります。
それらは、私たち自身がそれらに操作されることを許すか否かに拘わらず、私たちに効果を及ぼすのです。例えば、支配の霊をもっている誰かに操作されることを拒んでいたとしても、その本人がその人に腹を立てたり、苦々しい思いをもっている場合の結果を考えてみてください。そのような場合、敵はなお私たちに敗北をもたらしているのです。そして、落胆や方向を見失うこと、憂鬱は、あたかも支配の霊に屈してしまったときと同じように、私たちにふりかかるのです。
もし敵が私たちを、愛と喜びと平安の実を実らす聖霊(ガラテヤ五・二二 、二三参)以外の霊に応答するように仕向けることができたなら、私たちは敵に打ち負かされてしまいます。敵の策略は、私たちが聖霊の実から反れて自分の力で闘わせようとすることです。サタンはサタンを追い出すことはできません。憤りは決してイゼベルの霊を追い出すことはできません。ただイゼベルの霊を強くするだけです。
ですから、魔術の力から逃れ始めるために用いるべき基本的な戦略は、私たちを呪う者を祝福することなのです。呪う者の行為を祝福するという意味ではなく、彼らに敵対する代わりにとりなし祈るということです。もし敵が、私たちが報復するように仕向けることができたなら、敵はその同じ霊を私たちが使うようにさせて、結果的に私たちが追い出そうとしたまさにその悪しき霊を増大させてしまう結果になるのです。
私たちは血肉に対して闘っているのではありません。闘いの武器は世的なものではなく、霊的なものです。私たちを攻撃している人々の祝福を祈り始めるとき、私たちと相手の双方で働いていた支配と操作の邪悪な力は粉砕されるのです。悪をもって悪に報いることをせず、むしろ善によって悪に打ち勝たなければなりません。
(中略)

第八のとげ──敗北
(前略)
イスラエルの王たちがアマレクと戦うように命じられた時、徹底的に相手を絶滅させ、どんな分捕り品も取ってはならないと告げられました。私たちはサタンに対して絶え間ない闘いがあり、捕虜を取ることはできません。同様に、神を礼拝する時に敵のものを用いてはならないのです。
サウル王はこの命令に背き、アマレク人の王アガグを生かしておき、いくらかの分捕り品を 「主に、いけにえをささげるため」(Ⅰサムエル一五・一五)に残しておきました。これが、神の民を導くように召された者が犯した、最も愚かな失敗を象徴しています。その時代に、戦いの後に敵の王を生かしておくのには二つの理由しかありませんでした。同盟を結ぶか奴隷にするかです。サウル王は愚かにも、サタン自身を具現化した者と同盟を結ぶか、奴隷にするかしようと思ったのです。
サウル王を殺し、サウルが息絶えたことをダビデに伝えに行ったのがアマレク人であったのは、偶然ではありませんでした。このニュースはダビデを喜ばせるものだとこのアマレク人は考えたのですが、ダビデはこのことを明瞭に理解し、彼を殺しました(Ⅱサムエル一 ・一 ~一六参)。もし主に従わず、敵を完全に滅ぼさないなら、敵は結局私たちを負かしてしまいます。敵と同盟を結ぶことはあり得ません。敵とその軍隊はすべて滅ぼさなければなりません。敵を自分たちの奴隷として使おうという愚かな考えをもってはいけません。彼らはすぐにも策略をもって形勢を逆転させるでしょう。
魔術は教会に敵対するものとして使われています。魔術を認識できなかった人たちの中には、敗北し、ビジョンを失い、ミニストリーや家族を失い、さらに自分の命さえ失ってしまった人も多いのです。これはセンセーショナルなことではなく事実です。パウロは、私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力に対するものだと言いました(エペソ六・一二参)。レスリングは最も近距離で闘う競技です。敵は私たちと闘おうと、レスリングをしようとしているのです。もし私たちが闘うのをやめようと考えると、フォール負けしてしまうのです。
クリスチャンとして、私たちは霊的な闘いをするかしないかという選択の自由はないのです。私たちが生き延びようとするなら闘わなければなりません。しかし、どのようにこの魔術に立ち向かえばいいのでしょうか。まず、霊的な闘いにおいて、すべての勝利に必要な基本的原則に目を留めなければなりません。

勝利への道

黙示録十二章十一節において、聖徒たちがサタンに打ち勝ったのを見ることができます。
一、小羊の血によって
二、彼らの証しのことばによって
三、死に至るまでもいのちを惜しまなかった愛によって
主が私たちのために十字架で成し遂げてくださった事実にしっかりと立っていれば、小羊の血によって打ち勝つことができます。主にとどまっている限り勝利はすでに勝ち取られており、失うことなどあり得ません。
私たちの証しのことばとは、聖書の御言葉のことです。敵なるサタンが挑戦してきた時には、イエスは常に、単純に御言葉を用いることによって対応されました。敵の誘惑に対して神の真理によって反撃されたのです。神の御言葉は「御霊の剣 」(エペソ六・一七参)です。剣をもって敵の欺きのことばという強打をかわし、攻撃をすることができるのです。私たちが身に着けるよう命じられているすべての武具のうち、剣だけが攻撃の武器なのです。(エペソ六・一〇 ~一八参 )。
彼らは「死に至るまでもいのちを惜しまなかった 」(黙示一二・一一)ということは、どんな犠牲を払ってでも主に従うという断固とした献身です。私たちは、日々自分の十字架を負い、すべてのことを福音のために行い、もはや自分自身のためにではなく、主のために生きるようにと招かれています。私たちに自己中心が残っている度合いに応じて、敵の攻撃を受けやすくなります。キリストとともに十字架に架けられた者として、私たち自身がこの世に対して死んだと考える時、敵はもはや私たちに近づくすべがなくなります。敵はもうイエスに近づけないからです。もし私たちがこの世に対して死んでいるなら、死んだ者に何をすることができるでしょうか。死んだ者は、気分を害したり、誘惑されたり、恐れたり、落胆したり、安易な逃れの道を探し続けたりすることはあり得ません。なぜなら、すでに最高の代価が支払われているからです。
小羊の血、私たちの証しのことば、私たちの命をささげる献身、これらすべてが霊的な勝利に必要です。これ以下だと、完全な勝利を得ることが難しくなります。時にはよたよたと前進するでしょうが、遅かれ早かれ押し返されてしまいます。しかし明らかに、世の終わりの時に信じる者たちの軍隊が起こされ、前進し続けます。彼らは闘いに献身し、完全な勝利を得るまで止まることはありません。「世界とその中に住むものは主のもの」(詩篇二四・一)です。この地上がサタンの支配下から完全に回復されるまで、私たちの闘いは終わらないのです。
勝利する可能性を信じないで闘う人は誰もいないでしょう。キリストの再臨前に、教会は打ち負かされると明言する多くの教えが流布しています。しかし聖書の預言における全体的宣言によれば、主と教会と真理が全地を覆うようになると書かれています。確かにサタンは、いまだかつてこの地が経験したことのないほどの苦難をたずさえて地上に投げ落とされています。しかしそれでも私たちは勝利するのです。
イザヤ書十四章十六、十七節において、私たちがサタンを見るとき、こんなにも災いをもたらした者のあわれな本質を見て驚くことが書かれています。聖徒の中で最も小さい者の内にも住んでおられる方は、すべての反キリストの力を合わせたよりも大いなるお方なのです。この時代を恐れることはありません。私たちの最も輝かしい時代となるのです。イザヤ書六十章一、二節では、闇が地を覆った時に、主の栄光が主の民の上に現われることを宣言しています。暗闇は主の栄光をさらに明るく輝かせます。私たちは勝利を得るために闘い始めなければなりません。もう敵に足場を許すことなく、敵が強奪したものを奪い返しましょう。
魔術に対して効果的に闘うためには、サタンが逃げ去るまで抵抗することを堅く決心しなければなりません。私たちの目標は、単に私たちの人生から敵を追い出すだけではなく、サタンが要塞を打ち建てた人たちから追い出されるまで追撃しなければなりません。
(後略)

三章 ニューエイジの魔術との闘い

(前略)

要約

基本的に魔術とは人々を呪う行為です。この呪いはただカルトや黒魔術を通して来るだけではなく、私たちを愛し、善い意図をもちながらも、私たちを操作しようとする人々からも来ることがあり得ます。操作や支配の霊を使うなら、誰がそれを行ったとしても、それは魔術から来ています。
自分の息子や娘を自分が選んだ相手と結婚させる母親は魔術を使ったのであり、そのような関係は通常操作や支配によって保たれています。また、祈りを使って他の人々のことを暴露する祈りのグループは、操作しようという目的でゴシップ話をしているのです。これは誠実な祈りではなく、魔術です。教会に情報を与えるものとしてクリスチャン・ジャーナリズムの名の下に書かれているものの多くはゴシップであり、他の人たちを操作したり影響を及ぼそうとしているもので、これもまた魔術なのです。
教会やミニストリーを建て上げるために操作や欺きや支配を用いる霊的なリーダーは、魔術と同じ偽りの霊的権威を働かせているのです。ビジネス・スクールで教えられていることの多くは操作や支配の類であり、魔術です。教会がこの世のジャーナリズムやビジネス界から借りてきた多くの戦略を用いることによって、教会という陣営に魔術を持ち込むことになってしまいました。今この時代に、目的を果たすために自由になろうとするなら、この魔術を取り除かなければなりません。
私たちが直面する「くびき」や人間的な期待の多くには、ある種の操作と魔術の力が織り込まれています。敵はどうにかして私たちの人生に神の召しに敵対するための要塞を築き上げたいのです。しかしこのことは、両親や教師、雇用者たちの期待を無視してもよいということではありません。私たちは生まれる以前から主に知られており、私たちの人生に影響を及ぼす多くのものが置かれていますが、それは私たちが、主にある私たちの目的に向かって進むのを助けるためなのです。しかし、両親や教師、コーチが私たちに抱く善意のくびきや期待のうちのあるものは、捨て去らなければなりません。主からのものではないくびきが私たちの上に置かれたとき、主にある召しと目的を知るにつれて、それらがはっきりと分かるようになります。真理は私たちを自由にするからです。
私たちが負わなければならないのは主のくびきだけです。主のくびきは負いやすく、主の荷は軽いのです(マタイ一一・二八~三〇参)。私たちが主のくびきを負うとき、「白魔術」から来る圧迫と落胆ではなく、安息と回復が与えられます。圧迫をかける戦術と操作は、黒魔術と同じ力をもつ魔術の巧妙なやり方です。白魔術と黒魔術は異なった枝をもっているかもしれませんがその根は同じで、同じ致命的な毒をもっています。
残念なことに、心の不安定な人たちが、カリスマティックの魔術や白魔術に服従することの危険性を認識すると、神が彼らの人生に定められた権威に反抗して、しばしばこの原則を曲解するのです。サウル王は、神から任命された者が真の霊的権威から堕ち、偽りの霊的権威を行使するようになってしまった典型的な例です。一方ダビデ王は、真の霊的権威の典型です。ダビデは、どのようにサウルに反応したでしょうか。ダビデは、サウルが彼を追い払うまでサウルの家で進んで仕えていました。彼は決して復讐や反逆を行わず、あるいはサウルの権威の土台を揺るがそうともせず、その代わりに「主に油そそがれた」(Ⅰサムエル二四・一〇)者として敬意を払うことを選んだのです。
私たちはダビデの例から学ぶ必要があります。ダビデは、サウルの地位に着くように召されていたにも拘わらず、自らサウルに対して手を上げるようなことは決してしませんでした。ダビデは、神が本当に自分を次の王として召されているのなら、神ご自身が自分を建て上げてくださると確信していたのです。ダビデは、自分に向かって来た操作や支配の霊とは正反対の行いによって、すなわち善をもって悪に打ち勝ったのです。ダビデが自分の方法で操作して王座に着いたとしたら、確実にサウルのように魔術へ堕ちてしまったことでしょう。しかしダビデは違った霊をもっていました。
どんな形でも魔術の標的になるような人たちは、通常先に挙げた連続する「とげ」の攻撃を受けます。このような攻撃に対して適切に対応するなら、私たち自身がその影響から自由になるだけでなく、魔術を使っている人々をも解放する手助けができるのです。操作と支配の霊は恐れというドアから入ってきます。恐れと不安に満ちている人は、邪悪な力を用いて他の人たちを支配することにやっきになっているので、このような恐れを追い出すためには、私たちが彼らに「全き愛」(Ⅰヨハネ四・一八)を実行することです。イエスは、「あなたをのろう者を祝福しなさい」(マタイ五・四四参)と命じられました。私たちは悪をもって悪に仕返しをしてはならない、善をもって悪に打ち勝ちなさい、とパウロは勧めています (ローマ一二・一九 ~二一参)。
私たちが魔術の標的になっていることが分ったとき 、仕返しをすることが答えではありません。実際のところ、敵はまさにそのことを私たちにさせようとしているのであり、仕返しすることは私たちが追い出そうとしている悪を増大させてしまうのです。サタンがサタンを追い出すことはできず、魔術によって魔術を追い出すこともできません。私たちに敵対する祈りをしている人たちのために祈り、私たちを呪う人たちのために祈らなければなりません。このことは彼らの行為そのものを祝福するという意味ではなく、彼らの動機となっている恐れや憎しみから、その人たちが解放されるようにと祈るべきだということです。攻撃してくる人たちに、神の全き愛が啓示されるように祈るのです。苦しんでいる人々を解放するだけでなく、敵の手に握られている人々を救い出すことこそ私たちの最大の勝利です。
落胆や混乱、鬱、ビジョンが失われること、引きこもり、絶望などの原因であり、まるで予期しない別の魔術の根源というものがあります。それは私たち自身です。私たちが操作を行い、欺き、人を支配すると、その結果の責任は私たちが取ることになります。自分の周りに原因を捜すよりも、まず自分自身を見つめなければなりません。繰り返しますが 、サタンはサタンを追い出すことはできず、自分で魔術を使っているなら他の人たちから魔術を追い出すことはできません。
魔術に従ってきたほとんどの人は、実際、同じ霊を使って肉にあって闘おうとしてきたのです。私たちがそれを行うなら、自分の人生に悪しき霊の足場を設けることになってしまうので、他の人たちを解放する権威をもつ前にそれらを粉砕しなければなりません。
魔術は教会において神が容認し続けることを許さない重大な罪です。神のみこころは、ご自身の民を罠にかけるあらゆる種類の魔術の現われを引き倒すことです。この邪悪な力から解放された後に、私たちは自由にされて、真の霊的権威に歩む人たちだけに任せられたかつてないほどの大いなる力によって歩むことができるようになるのです。
(後略)
(終)

貧困の霊に打ち勝つ・魔術に打ち勝つ』リック・ジョイナー著、角笛出版発行、電子版リーハイバレー・ジャパニーズ・ミニストリーズ発行、第二部 魔術に打ち勝つ/一章 魔術の要塞/二章 とげのように刺すもの/三章 ニューエイジの魔術との闘い より抜粋(太字強調は引用者による)
https://amzn.to/35OUUOl

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付録(元悪魔崇拝者による証言ビデオ等)

▶️元悪魔崇拝者ジョン・ラミレスの証(John Ramirez’s testimony: ‘Out Of The Devil’s Cauldron’)(12:35)日本語字幕付き
https://youtu.be/EmEkqCPzfoI

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『悪魔の大釜からの脱出』ジョン・ラミレス著、リーハイバレー・ジャパニーズ・ミニストリーズ発行
https://amzn.to/31E2RCu

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▶️元悪魔崇拝者ジョン・ラミレスによる解放の祈り - Mass Deliverance by John Ramirez and Shannon Davis on Omegaman Radio(20:25)日本語字幕付き
https://youtu.be/S9xeqO8ge7E

『Unmasking the Devil: Strategies to Defeat Eternity’s Greatest Enemies (邦題:悪魔の仮面を剥ぐ)』John Ramirez
https://amzn.to/2W0xT6w

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▶️元悪魔崇拝者、悪魔の手口を暴く(14:27)日本語字幕付き
https://youtu.be/7engo8pzevI

▶️「言葉による呪いを壊し、祝福を放つ」ライアン・レストレンジ Discern & Break Word Curses(5:55)日本語字幕付き
https://youtu.be/XhQR9dvoYtQ

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寝る時の守りの祈り by ダン・デュバル

「霊の戦い」ダン・デュバル Dan Duval “Spiritual Warfare”(5:33)日本語字幕付き
https://youtu.be/0CGQcB73GN0

「天のお父様。感謝しつつ主の門に、賛美しつつその大庭に入ります。(詩篇100編4節)あなたは聖なるお方で、義のお方であることを賛美します。イエスの血潮で、自分や妻(夫)と子供、車や、銀行口座など、自分が管理するすべてのものを覆います。天の万軍であるあなたの天使たちが、この家の周囲や上下、すべての次元にあるアクセスポイントを守ってくれることを、イエスの御名で祈ります。私は主に申し上げよう。「わが避け所、我が砦、私の信頼するわが神」と(詩篇90編2節)。

あなたが、守りの囲いを私の周りに築いてくださるので、疫病も私の天幕に近づきません(詩篇90編10節)。すべての呪い、まじない、呪文、ブードゥー、魔術、あらゆる形の魔術や黒魔術、悪霊による攻撃が、送り主に7倍になって戻り、それによって、彼らがイエスが主であると知ることに感謝します。また、すべての生霊(人の霊)、堕天使、あらゆる悪しき霊が、私や家族を攻撃しようと試みる時、天の御使いたちに捕らえられて、この土地に足を踏み入れることさえできないことを感謝します。

彼らは、主イエスが命じるところに連れて行かれ、矢で突き抜かれて、あなたの稲妻に打たれ、イエスが主だと知ることに感謝します。また思考から思考への伝達や、夢の操作、あらゆるサイキックやテレパシーを使って侵入する試みが、イエスの御名で失敗してキャンセルされるように命じます。すべての夢は聖霊から来ていることに感謝します。私は邪魔されることなく安眠して、充分休んだ後の目覚めが良いことを宣言します。

また神のすべての武具をとり、救いの兜を被って、真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えを履いて、信仰の大盾を取って、悪い者が放つ火矢をみな消して、また御霊の与える剣である神のことばを受け取ります(エペソ6章)。これらのことを力強いイエスの御名で祈ります、アーメン。」

『これは主が設けられた日。この日を楽しみ喜ぼう。』詩篇118篇24節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

私は天の歌に参加して『「聖なる、聖なる、聖なる、主なる神、全能者。昔おられ、今もおられ、やがて来られる方。」』(黙示録4章8節)と一緒に歌います。

『しかし、あなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都である天上のエルサレム、無数の御使いたちの喜びの集い、』ヘブル人への手紙12章22節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
『しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。』ピリピ人への手紙3章20節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

※幽体離脱して悪戯、悪さ又は攻撃して来た人の霊に対して「天使よ。この人の霊を縛ってイエスが命じるところに連れて行きなさい。」

『神の約束はことごとく、この方において「はい」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。』コリント人への手紙 第二 1章20節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

「自分の霊を強める!」ダン・デュバル Dan Duval Strengthen Your Innerman(7:02)
https://youtu.be/ORJ4XiC0Y1U

イエスの血潮の力 改訂版

https://note.mu/risingdestiny/n/nf3cc3c3962cc

『ヘブ9:14 まして、キリストが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって神にお献げになったその血は、どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか。』ヘブル人への手紙9章14節
『ヘブ10:22 心に血が振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われ、全き信仰をもって真心から神に近づこうではありませんか。』ヘブル人への手紙10章22節
『1ペテ1:18 ご存じのように、あなたがたが先祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、19 傷もなく汚れもない子羊のようなキリストの、尊い血によったのです。』ペテロの手紙 第一 1章18~19節
『黙12:11 兄弟たちは、子羊の血と、自分たちの証しのことばのゆえに竜に打ち勝った。彼らは死に至るまでも自分のいのちを惜しまなかった。』ヨハネの黙示録12章11節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

イエスの血潮 12の宣言

http://shinjuku-shalom.com/wp-content/uploads/2016/02/BloodOfJesus.pdf
by新宿シャローム教会/S.H.O.P. Shalom House of Prayer

1.イエス様の血潮はサタンの支配から私を贖いました。(エペソ1:7)(コロサイ1:13〜14)
2.イエスの血潮は全ての呪いから私を贖いました。(ガラテヤ3:13)
A イエス・キリストの中で、私は全ての呪いから自由にされ、あらゆる祝福を与えられました。
B 私は自分がいるところで祝福され、私に関わるすべてのことも祝福されます。
C 私の身から生まれる子どもも、家族も祝福されます。
D 私は自分の職場で祝福され、自分の働きの実も祝福されます。
E 私は入る時も祝福され、出て行く時にも祝福されます。
F 主は、私に立ち向かってくる敵を、私の目の前で敗走させます。敵は一つの道から私を攻撃し、七つの道に逃げ去ります。
G 主は、私の穀物倉と、私のすべての手のわざを祝福してくださり、私に与えようとしておられる地で私を祝福されます。
H 主は、私をご自身の聖なる民として立たせてくださいます。私が神の民として選ばれたこと、また、私に主の名がつけられているのを見て、地上にいる全ての民が私を恐れます。
I 主が恵みの倉、天を開き、時にかなって雨を降らせ、私の手のわざを祝福されます。私は多くの国々に貸すことがあっても借りることはありません。
J 主は私をかしらとならせ、尾とはならせない。ただ、上におらせ、下へは下されません。
(申命記28:1〜13)
3.イエス様の血潮は私のために永遠の契約を成し遂げて下さいました。(ヘブル13:20)
4.イエス様の血潮は私を父なる神、すべての人々、すべての被造物と和解させ、平安を下さいました。(エペソ2:13〜16)(コロサイ1:20)
5.イエス様の血潮は私のすべての罪を赦してくださいました。(エペソ1:7)
6.イエス様の血潮はすべての罪から私をきよめます。(1ヨハネ1:7)
7.イエス様の血潮は罪に定める全てのことから私を弁護し、私に敵対するサタンの訴えを無効化し、今まで一度も罪を犯さなかったかのように私を義と認められます。(ローマ3:24)
8.イエス様の血潮は主のものとするために私をきよめ、主に献身する者として私を聖別します。(1ペテロ1:2)
9.イエス様の血潮は死んだ行いから私の良心をきよめ、生ける神に仕えることができるようにされました。(ヘブル9:14)
10.イエス様の血潮は聖なる神に仕えるために、私をまことの聖所に入らせます。(ヘブル10:19)
11.イエス様の血潮は私がサタンとその全ての力に打ち勝つようにさせます。(黙示録12:11)
12.イエス様の血潮は私の永遠に続く喜びの源です。(黙示録7:14, 17)
Dr. Atef Meshreky Prayers and Prophesying (Build Up Your Inner Man)より

毎日の悔い改め

1.心から生じる罪(神に仕えられないようにする罪)

(主イエス)『悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしりは心から出て来るからです。』(マタイの福音書15章19節)

2.肉から生じる罪(神の御国に入れないようにさせる罪)

『ガラ5:19 肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、21 ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。』(ガラテヤ人への手紙5章19~21節)

3.心に神がおられることを嫌がる罪(死罪に当たる罪)

『ロマ1:28 また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。29 彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、30 そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、31 わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。32 彼らは、そのようなことを行えば、死罪に当たるという神の定めを知っていながら、それを行っているだけでなく、それを行う者に心から同意しているのです。』(ローマ人への手紙1章28~32節)

4.真理に至らない罪(子孫にまでおよぶ罪)

『2テモ3:1 終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。2 そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、3 情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、4 裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、5 見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。6 こういう人々の中には、家々に入り込み、愚かな女たちをたぶらかしている者がいます。その女たちは、さまざまの情欲に引き回されて罪に罪を重ね、7 いつも学んではいるが、いつになっても真理を知ることのできない者たちです。』(テモテへの手紙 第二 3章1~7節)

——————-

どう思われますか?

私達は全員罪を犯しており、神の裁きにふさわしい者達です。しかし、父なる神様は彼の独り子を信じる者達のための裁きを満たすためにキリストを送られました。創造神かつ永遠の神の息子であるイエスは、罪のない人生を送られたのですが、私達が受けるはずだった罪の罰の身代わりとして死んで下さったほどに私達を愛しておられます。彼は葬られ、聖書に書かれている通りに死人の中から甦られました。もし、あなたがこのことを本当に信じ、心から信頼するなら、イエスのみをあなたの救い主として受け取り、「イエスは主です」と宣言して下さい。そうすれば、裁きから救われ、天国で神様と共に永遠を過ごすことになります。


あなたはどう応答されますか?

もしあなたがクリスチャンではなく、今クリスチャンになりたいのであれば、ただこう言って下さい。「主イエス様、私の罪を赦して下さり感謝します。今日、私はあなたに従うことを決めました。私をあなたの家族の中に受け入れて下さい。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。」

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詳しくは以下のリンク先を参照して下さい。
👉【福音】新しく生まれ変わる!(新生の祝福)
https://note.mu/risingdestiny/n/nb11945f61b7a

永遠のいのちを受け取る(4:56)
https://youtu.be/m13Yae40ot8

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【預言の学び】預言とは&個人預言を受ける際の注意点(改訂版)
イエス様もなさった個人預言 の聖書の実例の解説、現在の個人預言の映像リンク集付き
https://note.mu/risingdestiny/n/n916fab966ed5

【なぜ、ライジング・デスティニー(シャイニング・デスティニー)を始めたのか(過去20年間の日本宣教史年表付) 】
【The Reason We started Rising Destiny (Shining Destiny): The History of Japanese Mission in the Past 20 Years】
https://note.mu/risingdestiny/n/nc415e4303df2

皆さまからの尊いサポートは活動費として大切に使わせていただきます。ありがとうございます。

note, SNS, WEB上にいる中国の異端のカルト宗教・全能神に関しての注意喚起

【教理の学び】三位一体(トリニティ)と現代の異端
https://note.com/risingdestiny/n/n534048dc9cd1
三位一体(トリニティ、the Trinity):正統なキリスト教の教理
あなたを永遠に愛しておられ、あなたを唯一無二の存在として創造された、父なる神、子なる神イエス・キリスト、聖霊なる神は、まことにして永遠なる唯一無二のただおひとりの神(創造主)である。父、御子、御霊は、それぞれお互いに永遠に愛しあっておられ、同時にただ一つの唯一まことの神である。
全能神教会(全能神)The Church of Almighty God:中国のカルト・異端。キリストが女キリストとして中国人女性として再臨したと説く。全能神の教祖・趙維山(ジャオ・ウェイシャン 1951年~)は自らを「大祭司」と唱え、大学受験に失敗し精神的に病んでしまった女性・楊向彬を「女キリスト」に祭り上げた。彼女は趙維山の愛人となり、後に妻となる。暴力、洗脳、ハニートラップ、スパイ活動など違法かつ強制的な布教活動を行なう。入会を断る、脱会を希望すると、「護法隊」と呼ばれる実働部隊が出動し、耳を削ぎ落とすなどの残忍行為を行なう。実際に死に至ったケースもあるという。2014年、中国山東省のマクドナルドで全能神信者が布教活動をし、勧誘拒否した女性を店内でモップの柄で撲殺する事件も起こっている。(2014年山東招遠カルト殺人事件)趙維山夫妻は、中国政府から弾圧を受け2000年頃に米国に逃亡している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/2014年山東招遠カルト殺人事件
フェイスブックグループ「キリストの羊」、フェイスブックページ及びブログ/HP「聖書の部屋」は一見するとそれと分からないが、「全能神」のサイトなので要注意。全能神信者がよくSNSでシェアしている。全能神信者は、人種(例.中国人が日本人に成り済ます)や性別を偽ってSNSアカウントを大量に作って勧誘活動を行なっている。noteの「高橋 智也」氏(momo125)、「ひで ひろ」氏(biblestudies)は全能神なので注意。
👉異端カルト110番
https://cult110.info/category/zennoushin-kyoukai-chinese-cult/


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