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トンネルを抜ける Day27 / 永遠の子供

  昨日が誕生日でまた一つ歳を重ねた。「年齢はただの数字」とはよく言ったもので、この歳(あえて言わないが)になるとその言葉に妙な現実味を感じてしまう。とっくに大人になってる歳のはずだが、未だに考える。「大人の定義」とは一体なんだろうと。

  昨年も登場した、こじらせているインテリ変人の男友達「みっつん」。編集者でファッションにも精通している彼と「ハウスオブグッチ」を観に行った。映画が始まる前に、ボソボソと「ポップコーン食べたかった......」と呟く男子。それをせせら笑う私。まるで高校生のレベル。

  映画の後、みっつんは服を見ると言って映画館に併設されたファッションブランドの店に入り試着などをしていた。映画の終了時間は19時過ぎだったけれと、我々には子供がいるわけでもない、お互い独身同士だし、追われるものも何もない。だからいくらだって「時」に身を委ねることができるのだ。

  そこから適当な中華料理屋に行った後、世の中が世の中の状況でどこも店が閉まっている。それこそ「お茶をしばく」場所など皆無だったから、結局映画館のある場所からお互いが使える地下鉄の駅まで歩くことにした。どこまでも澄み渡る冬の空。ほぼ無人の官庁街の静けさは、我々の話し声や、悲鳴にも似た笑い声を、優しく吸い上げ、昇華してくれる。マスクを外して大声で笑い、誰もいない道をどちらがともなく、前に行きつもどりつつしながら歩いていく。コンビニで買うカフェオレは、気のせいか極上のカフェのコーヒーの気分だ。

  そんな時間にもいつか終焉が訪れる。駅に着いた時、その景色はまるでゲームの終わりのように、ヴァーチャルの世界から私たちを引き戻すような不思議な感覚を与えた。時間はもう夜中に近い。私たちは大人、なんだけど「背負うもの」を持ち合わせていないようにも思える(と捉えられる)若者、果ては子供のような感覚を残している。残しているし、むしろ「永遠に子供でいたい」大人なのかもしれない。大人だから、何歳になったから、じゃない。眼前にあることだけが事実。あなたが眼前にいたことが事実。この数年の中で、今後に一筋の光をもたらすことになるであろう、大切な夜。





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