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「たましいたち」

本当はこのことについて書こうというつもりは無かったのだが、記憶が薄れてしまう前に書き残しておきたくなってしまった。
こういった後日談のような、はたまた解説文か感想文のようなものは、作品とは切り離しておきたいなどと思ってしまうのだが。
なんだか今回は言葉にしてもいいかな、と思い至ったのだ。

それほどに心が震えることの、連続だった。

だからこそ終わった後は揺り戻しのようにぐわんぐわんとしていて少々気持ちがわるい。
身体も少し不調だ。
こういう反動は、自分を曝け出して注ぎ込み生み出すという作業をするといつも起こる。
これは幸せなことなんだろうな。
まるで、
愛で頭でも殴られたように。
想いに抱きしめられすぎたように。
そんな感情に私はまた、出会っている。

だが、浴びすぎるのがいやで、生み出したあとはふらっと手放してどこかへ行ってしまう、くらいが実は性に合う。
孤独も闇もひとりも、悲しみも寂しさも切なさも、私にとっては祈りや愛おしさとおなじように寄り添うべく存在で、そうに思うのは、もしかしたらそちら側の方が居心地が良いからなのかもしれない。
ああ、こんなふうに自分という性に呆れてしまった日のことを思い出した。
宿命に気がついてしまった、と言うと少しかっこつけすぎている。
こうやっていつも内に潜むものを外側へ表現する時、幸せになりすぎたり、満たされすぎると引いてしまう。
岩礁や火口のように、いつも荒々しくざらついていて、けたたましい。轟々と叫び燃えている。
赤く、黒く、青く、決して美しい白などではない。もし白くあるとするならそれはきっと、ささやかで静かな祈りだろう。
それらは満ち足りてしまったりしてくれない、おとなしくない、うるさいくらいに、止まない。
その源が、私を動かす。

しばらくすると、もう次の場所を見ている。
またひとりで。
それでいい、それがきっといい。
けれど、この5月の日々は、私にとって特別な気がしている。だから、残すことにしたのだ。



初夏の空気を纏った展示、絵本詩インスタレーション「白いケモノ」の開催を、無事に終幕することができた。
率直に、こんなにたくさんの人に触れてもらえるとは思っておらず些か驚いた。と思う反面、この人に見てもらいたいな届けたかったな、と思っていた人たちにお見せすることができたのが切に嬉しかった。

展示された作品たちが生まれた原始に立ち戻ると、とても長い時間を経てようやく姿を現したものから、この展示のために産声を上げたものまであり、まるで人のように多種多様だ。
ある作品は20年ほど前のある日に遡り、それから並走して少しづつ大きく育った。
またある作品は数年前の友人宅での夜の晩餐、聞かせてくれた特別な愛情と古い私の記憶が重なった、奇跡のような瞬間に遡る。
時間の中にうつらうつらと芽吹き始め、その間に何度も生と死を繰り返す。
生まれては消えかけ、また息を吐く。
機を待って、何度も立ち止まりながら、ようやくとても良いタイミングで川辺に出現することができた。

10年前までは、紙の上で完結していた私の表現。
描きおいてあとは大きな力に委ね、外側の世界へ、触れてもらえる場所へ羽ばたいていく。読んでくれた人に直接会う機会も少なかった。
それでも隣には信頼する人がいたし、ふらふらになりながらも情熱とたましいだけで歩き続け、周囲に助けられ支えられながら、駆け抜けることができた。
あのいのちが、残っていてよかったと、ようやっと本当に思えるようになったのは10年経ったここ最近だと思う。

長いか短いか。
どこから見るかでそれは変わる。
変われども変わらないのは、この10年も私は魂で生きていたということ。それだけのこと。

そうして燃え続けていた小さなたましいが、表現者と名乗りながら、やっと私以外の人にまた作品を届けることができている。

頁を飛び立ち、触れたり感じたり向き合ったりできる空間の中で作品に出会ってもらう。
こうした発表の仕方をするようになって余計にタイミングは大切な原動力になっているなと感じている。
巡り合わせ、が作品たちの産声に繋がっているからだ。
今回の展示はご縁ある友人の営むお店の目の前の、川のほとりで、大きな木箱の中と木々の揺れる外に抱かれて開催することができた。

解放された外の世界で、心の内側に触れてもらう。
非常に不思議で素敵な世界が静かに生まれた。
爽やかに潤む風が吹く、5月に佇む。
不思議な引力のある場所だった。



5月に入ってからはずっと、会期中一週間の天気が気になって仕方なくなる。
初めての試みである屋外での展示。
天気の変化を想定しどうやって対応させようかという点を考えるのも、創作の中では初めての感情だ。
布を使うことは決めていた。白い布にくるまれる、こどものようなことばたちを想像していた。
紙は濡れてしまったら終わりだが、布は濡れても風と太陽がまた乾かしてくれる。
まだ梅雨には早いし、ここは風の国だから。

昨今の天気予報はまことに緻密で、日々繊細に変わりゆく雲の流れや気温の上下を知らせてくれる。
開催日の数日前に設営テストをした。別の場所にあった2mの四角い大きな箱を、人力で運び、川辺の柳の木の下へ持ってくる。
静かに佇む箱は、すでに語らずも鼓動を感じる。
それに呼応してか、河畔を行く人々の足も視線も箱に吸い寄せられていく。毎日この場所を散歩や通勤通学で使う人たちにとっては、違和感でしかないだろうし、遊びに訪れた人にとっては不思議に見えるだろう。
不思議なもので、箱が現れると逆に、この道をこんなにたくさんの人々が通っているのだなと思う。
小さな変化でここに生きる人々の鼓動をも感じるのだ。

開催前日、設営に訪れると怪しかった天気がみるみるうちに青い空へと変わった。
春から初夏へ移ろう、柔らかな空気が優しく舞う。
なんとなく、大丈夫だ、と確信して柳の木によろしく頼みますと挨拶して明日を迎える準備を終えた。

会期の一週間、結論から言えばあの場所と、思いを寄せてくれた人々のおかげで、無事に終えることができた。
その七日間はなんとも不思議で、全ての天気に晒され、天の神様がみな集まったような日々であった。

日曜日、幕を開けると白に覆われた曇天。タイトル通りか、白いケモノで埋め尽くされた。
翌日、箱の開け閉めをするため朝から訪れると、まだ空は薄雲が停滞していた。ところが昼に差し掛かる頃には、刺すように日差しが散らばり突き抜ける青空がみるみる広がっていった。燦々と遊ぶ日差しのせいで白い布はやたら眩しく目に届く。箱の中の影は濃く、川の水流が鐘の音のように凛と響いた。
翌日も大気は揺れうねりながらも、美しい月が夜空に輝く。
ところが次の日、そぼ降り始めた雨は夜を越え、大地を流れ濡らしていった。雨の重みで外に掛けられた大きなタペストリーを支える木材は弛んでしまった。
不安定に蠢く大気、初日の空のように白んだかと思えば、終幕を目前に駆け抜け吹き荒ぶ風。轟々と走る音が窓を揺らし私はそわそわする。風はついにタペストリーを攫い川へ連れ帰ろうとした。
まるでシシガミ様が全部連れて行ってしまったかのように、翌日はまた透き通る青空がやってきたが、帰ってきた時のような大風でもあり、木々も雲も楽しげに笑っていた。
そしてまた空は白んで、「白いケモノ」は幕を閉じたのだ。

助けを借り、何度も様子を見に行き、なんだか手のかかる子のようで愛おしさが増した。
全ての自然を受け止めて、ただそこに佇む作品たちは誇らしくも逞しくもある。
隣に立つ柳の木のように。
はるか昔から横たわる川のように。
まるで芽吹いて咲き誇る、いきもののような顔をして帰ってきた。



2022年のnoteに「蟲」「飛ぶ者たち」「精霊」という、虫にまつわるお話を書いた三部作がある。
そこにも記したのだが、私は虫がなんだか寄ってくる。
ずっと苦手だった、特に蝶はわけもなく逃げ回るほどに。(逃げると追いかけてくる。)
東京に暮らしはじめてから虫たちは事あるごとに我が家へ遊びにやってきた。緑豊かで有名な大きな公園が近くにあったが、それだけではないような気さえして、不思議や繋がりを感じるようになる。
なんだか守られているようだったなと、後になって思った。

今回の展示は屋外に一週間ほど置かれ開け放たれたもの。
街の中を流れる豊かな川、ほとりに立つ立派な柳、新しく生まれ変わった煉瓦造りの河畔に植栽された多種多様な草花と、元々川辺に生息する草木たち。
虫たちの暮らしに優しいその場所というのもまた、導かれた縁なのかもしれない。

設営の日に、箱の側面に下ろすイベントタイトルの布を貼るために、脚立に登った。
ざらざらとした茶色い壁面に、鮮やかな黄緑の芋虫がくっついていた。
柳の葉で壁から下ろして、真下の木の台の上にそっと移動してもらった。
ごめんね、よろしくと声をかけてから設営を続ける。

車輪の部分が高めで、浮いている箱。
でも葉や壁を伝い、蟻や蜘蛛、小さな虫たちはいつも通りそこを行き来する。
柳の木に布を巻きつけた展示は、蔦のように立派な幹に巻き付いて生息する葉の横に、並ばせていただく。そこもやはり蟻たちの通り道だ。黄色い小さな卵が産み付けられていた。
白い大きなタペストリーでは、3ミリほどの美しい玉虫色の命が、柔らかな布の上で静かに絶えていた。
命が集まる場所。生まれて死ぬ、循環の中に、生きていることと生きていたことを詩ったことばたちが揺れる。
作品の意図や意味は、受け取ってくれた人のもので、その中ではもうたった一つの作品に生まれ変わっていると思っている。
言葉は、それほどまでに自由だ。
でも紛れもなく、いのちを、たましいを詩った作品たちであった。ここで生まれたことの意味を小さな命たちが私に伝えてくれた。

終幕の日、夕暮れを待ち最後に訪れると、あの芋虫がいない。
もういってしまったのか。そう思ったが、あのイベントタイトルの布が風に靡く、その後ろ壁に、見たこともない迷彩柄のような美しい翅の蛾が張り付いていた。
なんとなく、あの君ではないかと思った。
ここで、生まれたかったんだな、そんな気がした。

翌日の撤収で、くたくたで、けれど誇らしい瞳の作品たちを回収し終える頃には、あの美しい蛾も飛び立ったのかいなくなっていた。
また虫たちに、見守れていたのだろうか。
やっぱり神様は、見ている。
白いケモノたちのたましいも、どうかよろしくと祈ってすべてのインスタレーションが幕を閉じた。



河畔を行く人々が足を止めて眺めたり、箱の中を覗いたりしてくれる。そんな素晴らしい環境で無事に一週間も開催できたのは、私だけの力では決してない。

外の展示作品を気にかけ、助けてくれた人たちがいた。
それはこの河畔を愛し愛される未来を願う人たちばかりだ。
私はこの街の住人ではないが、この展示が生み出した世界が、時間が、少しでもその愛に寄り添えていたらいいなと思っている。

歳月の中で育まれた繋がりと芽吹いたご縁で、今だからこそ触れてもらえた人たちがいる。
それは去年では叶わないことだし、10年前では出会えてすらいない。
その時には生まれてない作品と共に、今ここでやっと邂逅できた。
想像すらしていなかった景色。
かけがえのないおひとりお一人の言葉と想い。
受け取った手のひらが熱かった。
それは私に深く大きな、喜びを与えてくれた。

そして、私をずっと前から知り、見届け続けてくれる友人たちの存在がある。
物心つくかつかないかくらいに出会った友人には、あなたはあなたのままあなたを生きていけばいいと言われたことがある。
それが誰かを救うと。
描くことも紡ぐことも伝えることもやめずにここまできた私を、彼女たちはいつも許し認めてくれた。
救われているのは、私の方なのだ。
だから、彼女たちに見てもらえたことは、とても意味のあることだった。
そして、彼女の子供たちにも。

今この瞬間、生きてここにいることの輝きが、引き寄せあい交差してたましいを震わせた。

この世界に生きる自分以外のすべては、外にある。外の世界へ一歩出ればみんなに出会える。なら自分というたった一個のこの窓辺からは、世界はどんなふうに見えているだろうか。
その世界の窓が少し開いて、川辺の風と、人々の声が入ってくる。
どこか懐かしく、新しい音色。
それを愛せたらきっと未来は悪くない。



遠くへ飛んでいったと思ったら、心はそんなに離れてなかった。或いは、戻ってきてもついこの間会ったように時空を越えられる人間関係がある。
そういう人とは、たいてい、初めて会った時も初めてじゃなくてずっと前から友人だった、ように感じたりする。
馬が合うとか気が合うとかどこか似ているから、なんていう程度ではない。初めましてなんかじゃないみたいに、知ってた、というような感覚だ。
多分たましいが長いこと繋がりを持っていた人なんじゃないかと自然に思う。

絵本詩、なんていう少し不思議な定義も、生まれた所以があるのだが。
言うなれば字の如くでもあるし、私が肩書きを手放したからとも言える。

そもそも絵もない、頁もない、この作品たちのどこが絵本なんだろう。
けれど私のある詩を受け取り、絵本だといった人がいた。
そうか、と私は理解した。
その人とは、そういう、おそらくはたから見たら説明不足のような言語で、思考も感情も共有できてしまった。たましいの双子、などと語らった夜もある。
彼女の言葉がなければ、絵本詩インスタレーション「白いケモノ」は生まれていない。

彼女もまた、私を信じてくれているひとりだが、いつも遠く離れた場所にいて、なかなか会うことはできない。
旅人のようなたましいの彼女が、最終日の午後、本物の旅人のようにふらりと現れた。
幻のようで、現実か確認したかったが、実感するまでに時間がかかった。
夢見心地で不思議な感覚でいると、遡っていつかの日に彼女と夢を追いかけた頃を思い出したりもした。
けれど言葉を交わしていくと、さっきまで話していたように遠い日が昨日になる。
私の現在地がここにあることをようやく実感し、久しぶりの再会を果たした。

遠くから見にきてくれた、彼女と、彼女を通じて親しくなった友人。彼らは作品に直に触れるのは初めてで、それぞれに受け取った心の模様を私に伝えてくれたのがとても印象深い。

受け取り手に委ねている、私の作品たちに、ゆっくりと丁寧に向かい合ってくれた。

私は震える心で彼女と抱き合った。
こんな風に言うときっと彼女にしか伝わらないだろうが、宇宙みたいで感動した。
それから安心した。

また遠くへ行っても大丈夫だし。私はここにいる、だから大丈夫なのだ。



不思議な引力で、たくさんのいのちとたましいが集まった。
今はもう見えなくなってしまったが、出会ってくれた人のそれぞれの中で生きているのだろうと思う。
また出現することがあっても、その時出会う、私も、あなたも、吹く風さえも、もう今の私たちとは違う。違うけれど、その中には確かにたましいがあって生きている。

まだ十代の頃に、憧れを抱きながら背伸びして訪れる店があった。
尖ってた店で、若者たちのパンク的な聖地、みたいな雰囲気のように記憶している。
鋲だらけのライダースの人とか、0ゲージのボディピアスとか、古い映画のポスターとか、ビリヤードボールのウォレットチェーンとか、手で触ると光線が集まる水晶みたいな玉とか、麻のマークとか髑髏の置物とか。
世界の端っこみたいでかっこよかった。
そのお店の入り口には、こじゃれた吸い殻入れが立っていた気がするのだが、それよりも鮮明に覚えているものがある。
材質は忘れてしまったが、立てかけられた看板に手書きで文字が殴り書かれていた。
なんと言う言葉かは明かさないが、その言葉がずっと頭に残っていて、その言葉を信じてきた。
偉人の格言でもなければ、美しい名言でもない。
けれどまるでタトゥーのように彫り込まれ、消えることはなかった。
その店はもうないし、周りに聞いても誰ひとり店名すら覚えていない。
それでもこんな風に、残るものが、この世にはある。

言葉には力があり、神秘でもありまた脅威でもあることを、私は知っている。
畏怖の念を忘れない。
でも、それが誰かを救うのなら、そんな想いで言葉を紡いでいる。

作品のひとつには、私にとって特別な小さな家族と最期の散歩をした場所での、降り注ぐように輝く夜空を忘れずに生きてきた、私のたましいが込められている。
心の拠り所にしている大切なその場所は、大きな川と蒼く繁る木々と、空と風と話せる場所。
今もあの時も、同じ場所ではないし、でも同じ世界にあって、そこに私が生きているんだと思う。
「それは重たくて痛くて
でも
離さないほうがいい、そんな気がした」
だから今は言葉だけ携えて、燃えながら祈りながら、私は私を生きていく。

だから、
あなたはあなたの魂で生きてほしい。
ちゃんと見ているから。大丈夫。

あのイベントタイトルの布。刺繍した日付は、特別な誕生日。