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お金って?〜豊かさの循環について

仕事は長続きしたことがない。

男と一緒かも(笑)。

最初、一見華やかな仕事に就いたけど、30の手前で辞めてしまった。

それからはいろんなバイトをしながら細々と。

お給料はそこそこよかった仕事だから、辞めた後、めちゃくちゃ後悔した時期もある。

本っ当に切羽詰まった時には、パパ活的なことも(まだそんな言葉はなかったけど)、頭をよぎったし、人によっては、際どいと思われるようなバイトもしてた。

でも、今思えば、あのまま勤めてたら、私は多分、体も心もぼろぼろになってただろうなっていうのと、あと、今以上に輪をかけて、ろくでもない人間になってただろうな、って思う。

だから。辞めてよかったし、全部よかった。


結婚してからも、いろんな時期があった。

二人だけでもカツカツの時期や、子供が産まれてから、雑誌には、子供が小さいうちに貯金しようとか書いてあるけど、どうやりくりしても貯金なんて全然できない時期や、義父母の入院だ手術だ介護だって、日々の節約なんかでは追いつかないくらい次から次へとどーんとお金が飛んでいった時期や、夫の親族の借金を肩代わりしないといけなくなった時期とか、とにかくいろいろ。

その中には、子供の習い事をやめさせたり、私のものは何ひとつ買わなかったり、美容院にも行かなかったりした時期もあったりした。

そんな時期を何年か過ぎた辺り、私は、自分のことを、ふっと、愛おしく思えた瞬間があった。

私って、毎日めちゃくちゃ頑張ってない?
これ、小説やドラマの主人公だったら、めちゃくちゃ健気じゃない?

何で年寄りにばっかりこんなお金かけなきゃいけないんだろう、とかそういうろくでもないことはしょっちゅう思うけど、でも、もし小説やドラマの主人公が、そういうこと言ったら、なんて正直な、人間らしいキャラクターだろう、って私は思う。

そんなふうに考えたら、自分のことが、すごく可愛いと思えた。
愛すべきダメダメキャラだと思えた。

とっても不思議なのだけれど、そのすぐ後くらいから、いい出会いがあったり、チャンスを与えてもらえたりして、私の人生に、流れができた。

そうして、彼に出会って、また加速度的に人生が動き出して、いろんな出会いがあって、今の私がいる。

今、お金がかかる状況であることや、自分以外のことで予測し得ないことが降りかかってやっぱりお金が出ていく、とかあるのは前と変わらないはずなのに、それでもなぜか、お金の面も、私の心理的な面も、きちんといい感じに流れている。

とっても不思議。


何でだろう、って思った時、私は、愛をもって、行動しているからかもしれない、って思えた。

これまでの、お金がカツカツだったり、とにかく出ていく一方だった頃のことを考えると、多分、私はいろんなことにがんじがらめになっていたり、とにかく不満だった気がする。

こうでないといけない。
この年代ではこれくらい貯金がないといけない。
これくらいは稼がないといけない。
無職であってはいけない。

子供の習い事もやめさせたのに、
私、自分のものなんか何にも買ってないのに、
何で夫の兄妹は何にもしないのに、うちばっかりが義父母のことを全部押し付けられるのか。

そんなのの数々。

そんな思いのもとに出されたお金や私の行動は、そりゃあ、愛とはかけ離れてて、およそ循環なんてしないだろうなあ、って今は、思う。

こうでなきゃいけないとか、手放して
私ばっかり損してるみたいな思いを手放して

お金なくたって、無職だって、ま、今は、そういう時期なんだよね、って思ってあげる。

何で私ばっかり、って思ったら、自分のために、存分にお金も時間も使ってあげる、自分を満たしてあげる。

そうしていると、自分自身が愛に満たされて、自分の行動も、愛からのものに変わってゆく気がする。

愛も、豊かさも、循環するものだから、愛も、豊かさも、自分のもとへ戻ってくる。

そんな気がする。


私は田舎育ちだから、田舎の狭い社会の中での、長男の嫁とか、本家の嫁の大変さみたいなものを知ってる。

田舎でなくても、子供の数が少なくなって、でも介護が必要なお年寄りは増えて、っていう今の時代に、嫁や子供以外にも、ただの親戚であっても、誰かの介護やお世話をするような状況ってたくさん出てきてると思う。

最近思うのは、そんな役割を、一体どれだけの女性が、甘受せざるを得ない状況にあるんだろうか、っていうことと、そこから女性が解放されたなら、一体どれだけのパワーが溢れるだろうか、っていうこと。

だから介護を放棄する、とかそういう話ではなくて、それが、役割だから、とか仕方ないから、って不満とともに疲れ切ってやるのではなくて、まずは、女性が自分を満たして、自分を愛して、そうして、心からの愛をもっての介護なりお世話なりができるのであれば、それはどれだけ、この世が愛に溢れるだろうか、ということ。

それは、役割に縛られ、亡くなっていった、無数の女性たちの霊を癒やすことにもつながってゆく、ような気がする。

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