見出し画像

進級したくなかった。


とにかく時間をとめたくなったことありませんか。すごくすごく怖くなってとめたくてたまらなかった。
1つやることを決めてやるってことは、ほかの選択肢をみないように意識的にするってことだと思うんだ。

わたしはそれをできる覚悟ができず、そんな時間をずっと過ごしてた。
分からないなりに、立ち止まり方が分からなくて、親にも友達にも本当に言えなくて、学年が上がってしまうのも、テスト勉強をすることによる一方的なインプットをするのが進んでしまうのが怖くて怖くて。

「選んだ道を正解にするんだよ」

よく聞く言葉で、小学生の時から私はこの言葉を信じて物事を継続し向き合って進めていけたことはいくつもある。とにかくやってみなよ。って声の掛け方はよくしてもらってて私は好きな人、慕ってる人からその言葉をかけてもらったら、頑張ってたよ。
単純だけど、自分を好きでいてくれてたり、慕ってる人達からかけてもらえたら、やれてたんだよ。だいたいのことは。けどそれは、とにかく目の前の事を。
ってなってたから。大人になって、将来の事に真剣に向き合ったときに、とにかく目の前の事だけ取り組むなんてこと私にはできなかった。悪いが、例えば就活の学年になってこんな気持ちになるのは私はごめんだ。けど、もうそうであったら、都合の良いように教育してしまってる日本のせいだって思うだろうな…日本の教育には、「人生」や「生き方」「自分と向き合う」という時間がない気がする。

いくら勉強をして、知識を詰め込んだところで、それを自分の人生でどうしたいのかや、自分の在り方に繋がるかなど対話の場がないのは正直辛い。



当時本当にどうしていいか分からなかった私はテストの答案用紙を白紙にして、留年をした。
今なら、休学って選択肢があること分かったけど。笑

何を考えてたかって言うと、どうしてそれをやってるの?学ぶの?っていうのを、自分の人生の中で明確にしておくってこと。
もちろん、あえて流されて新しい気づきには出会えることあると思うけれど、そうやっていく物事、時間をかけてやるものは自分なりの物差しで測って生きていくって思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?