キミと嘘、プラス心。7
第七章 動き出す
静かな部屋のカーテンの隙間から光が差し込む。普段はこんな遮光カーテンを引いて寝てしまったら、母に起こされない限り起きることが出来ないあたしは、その僅かな隙間の光で目を覚ますことができた。
ここは、モヨの家だ。広い一室を借りて寝たはいいけれど、あまりに場違いな感じでしばらく眠れなかった。たぶんついさっき目を閉じたばかりだったと思う。
ベッドサイドのテーブルに置いておいたスマホを手にとって、寝たまま時間を確認する。
午前五時二五分。
やっぱりまだ早い。だけど、もう日が煌々と登っている。今日は晴れらしい。また目を閉じてウトウトとし始めたあたしは、手からスマホが落ちて落下したのも気が付かずに眠ってしまっていた。
ソーセージを焼いているような香ばしい匂いが鼻腔をかすめる。うっすらと、目を開いた。すぐ顔の横にあったスマホを手に取り見ると、午前八時四十分。
「うわっ! 寝すぎたっ」
一気にダブルベットの上で飛び跳ねるように起きて、カーテンを開ける。窓の向こうの見慣れたはずの町の壮大な景色に見惚れつつ、いい匂いのする方へと急いだ。
「あ、おはよー詩乃。ご飯出来てるよー」
笑顔でテーブルに朝食を並べるモヨに、あたしは寝起きのボサボサの髪をかきあげて笑った。
テーブルに着く前に身支度を整えて来て、モヨの用意してくれていた焼き鮭と厚焼き玉子とソーセージとトマトサラダを目の前に、具沢山味噌汁を啜った。
「モヨ、今すぐお嫁に行けるね」
「ほんと? 誰が旦那かなぁ? 孝弥だったらいーなぁ」
「え? モヨ、孝弥の事好きなの?」
先に朝ごはんを終えていたモヨが頬杖をつきながら言った意外な答えに、あたしは驚いた。
「だって優しいじゃん。カッコいいし」
「まぁ、それはそうだけど、孝弥ってなんかいまいち何考えてるか分からないとこあるよね」
「たしかに! そんなとこもまた良い男度上げてんじゃないのー?」
そう言ってケラケラ笑うモヨに、あたしは安心した。昨日のモヨは、今まで見たことのないモヨだった。たぶん、あれが本音のモヨなんだとは思った。でも、だからって、今目の前で楽しそうに笑うモヨだって、取り繕って出来た笑顔をしているわけではないことくらい、あたしには分かる。
「昨日のこと……」
あたしが厚焼き卵を口に運んだ瞬間に、表情を一変させたモヨが呟いた。
「ごめん、なんか唐突に凄いこと頼んじゃったなって、寝ながら後悔してたんだ。何の関係もない詩乃に、知らない人の死を知らない人に伝える……なんて。おかしな話だよね」
そう言って視線を落とすモヨは、いきなり弱々しく見えた。
「孝弥のお姉さんだもん、知らない人ではないでしょう? それに、沖野さんって人とは一度きりだとしても、あたし会ってるし。それに、嘘……ついちゃってるんだもん、謝らなきゃいけないから。知らないからこそ、二人を良く知るモヨが伝えるよりは、あたし辛さはほとんど感じ無いと思うよ」
泣きそうなのを、眉を目一杯下げて必死に我慢するモヨに、あたしは笑顔を向けた。
キヨミさんがどんな人なのか、沖野さんがどんな人なのか、あたしには、なんにも分からない。だけど、あたしは沖野さんが悲しむ顔は見たく無いと、嘘をついてしまった。
あたしがついてしまった嘘だから、あたしがちゃんと真実を伝えなければいけないと思う。だから、あたしはモヨのお願いを受け入れたんだと思う。
「あ、あたしね、キヨミさんとの思い出のある喫茶店〝鈴蘭〟でバイトすることにしたの。マスターかっこいいし、今度詩乃も来てみてよ」
「バイト?」
「廃墟かってくらい蔦で覆われた昔っからの喫茶店だよ。最近近くにflavorfulってカフェ出来たらしいけど、そんな今どきなカフェなんかには負けない哀愁っていうの? 渋みが最高なんだよね。まぁ、お客さんは全然だけど、落ち着くのよ」
「……モヨ、flavorful知ってたんだ」
「え? 名前だけね、行ったことないよ」
「昨日あたしが持って来たチキンサラダとかflavorfulのやつだよ。あたしのお気に入りなの」
「え?! あの美味しかったやつ?! テイクアウトとかもやってるんだぁ。やっぱ今時は違うなぁ」
モヨは尚も敵対心むき出しで自身のバイト先の鈴蘭の方が素晴らしいと話し始めるから、あたしは聞いているフリをして美味しい朝食を平らげた。
「もし、東京に行く予定立てたら、あたしも一緒に行くよ。ホテル代とか交通費とか払うから」
「え?! そこ出してくれるって凄い嬉しいんだけど……でも、そんな寂れた喫茶店の稼ぎじゃ」
親がいくらお金持ちでも、いつそのお金の縁まで切られるかは分からない。だからモヨはバイトを始めたんだと思った。
「あたしは父親の都合に合わせられるから。お金の心配はしないで。なんなら超高級ホテルのスイートでもとっておく?」
悪戯に笑うモヨに、あたしは冷や汗が出てしまう。
「いい。そんなとことってもらったら、あたし一睡もしないで朝を迎える自信しかない。安心して眠らせて」
「あはは、詩乃面白い。分かった、スイートはやめとくね」
何も面白い事などない。
モヨとの価値観の違いは一目瞭然で、でも、だからってモヨが偉ぶるわけでもなくあたしと一緒に笑ってくれていることは、本当に嬉しい。
「とりあえず、帰ったらあの名刺に連絡してみる」
意気込んで、あたしはモヨの家を後にした。
外は太陽がすでに高く上っていて、気温も上昇している。エアコンの適温に管理された中にいたあたしは一気に外気に触れて全身から汗が噴き出す。
家まで歩いて帰ることにしたのだが、もうすでに首すじを大量の汗が流れていて辛い。
「今年の夏も、暑くなりそうだなぁ」
思わずそんな事を呟きながら、足止めを食らってしまった踏切前で空を見上げた。真っ青な空に白い雲がモコモコと美味しそうな形を作っている。
ようやく梅雨のどんよりとした気分から抜け出したような空だけど、あたしの心はまだ晴れる事はない。
沖野さんの気持ちも、いつまでも曇らせておくわけにはいかない。
この空のように、黒い雲で覆われ隠された嘘が、時間と共に清々しく晴れわたって仕舞えばいいのに。
ガタンゴトンと電車が通り過ぎて遮断桿が上がる。あたしは踏みしめるように一歩を歩き出した。
家に帰ると、ひんやりとした店内を通って家の中へと入った。外の気温と中の気温の違いに、天国と地獄のような差を感じつつ、あたしは母に帰宅を伝える。
「ただいま」
「おかえり。どうだった、楽しかった?」
「うん、モヨ凄いとこ住んでた。料理も上手で美味しかったし、なんかちょっとした旅行気分だったよ」
「そう、良かったわね。お友達は大事にした方が良いからね。なんだかこっちに帰ってきてからずっと元気がなかったけど、モヨちゃんのおかげで詩乃の笑顔が見れて安心したわ。いつでもまた遊びに行ってらっしゃいね」
「お母さん……」
思わず泣きそうになってしまう母の優しい言葉に、あたしはぐっと堪えるために手を握って大きく頷いた。
「すみませーん」と、お客さんに呼ばれた母を見送り、あたしは自分の部屋へと上がっていった。
モヨの両親の事を聞かされて、改めて自分が如何に大事にされているのかを痛感させられる。弱い自分の心が情けなくなってくる。
大きなため息を吐き出しつつ、あたしは閉まっておいた沖野さんの名刺を引き出しから取り出した。
悩んでいる暇なんてない。 何もなくなったあたしには、あの頃欲しくてたまらなかった自由や時間はたっぷりある。後悔しないように、行動できる範囲で行動して、あの時みたいな失敗をしないようにしたい。
すぐにスマホを取り出して、名刺に書かれていた電話番号をゆっくりとタップした。
時刻は午後二時五十八分。
少々中途半端な時間だけど、時間を選んでいたらいつまでたっても電話をかける事などできないと思って、迷わずにスマホを耳に当ててコールがなるのを待とうとした。
刹那。コールは一体、いつ鳴っただろうかと思うほどに早く、着信に答えてくれた沖野さんの声が聞こえてくる。
『はい、沖野です。どちら様でしょうか』
あの時聞いた声とはまた違うスマホ越しの声に、あたしは言葉が出てこなくなってしまって、沖野さんの困惑する声が聞こえてくる。
『あの、どちら様でしょうか、間違いですか?』
通話を切られてしまう。そう思った瞬間に、あたしは慌てて名前を名乗った。
「あ、雨宮です! 雨宮詩乃……です……」
最後の方は小声になってしまって、聞き取れたかどうか分からない。
今度は沖野さんの方から、何も聞こえなくなってしまった。
もしかして、間違い電話だと疑われて、一足違いで通話が終了してしまったんじゃ。
そう思ったその時、スマホからため息のような深く長い声が聞こえてきた。
『……あぁ、本当ですか? あの時の、雨宮さんなんですか?』
優しい声色はあの時と同じ。スマホの向こうで笑っているのか、泣いているのか、あたしは沖野さんの表情が今どういうものになっているのかが、どうしようもなく気になって仕方なくなった。
「……はい。あの、あたし沖野さんに伝えなければならないことがあって……それで……お忙しいとは思いますが、少しだけ、お時間いただけないでしょうか」
たどたどしく話すあたしの言葉をしっかりと最後まで聞いてくれて、沖野さんはすぐに返答してくれた。
『もちろんです。雨宮さんのご都合はどうですか? 僕がそちらへ伺います』
「え! あ、いえ。あたしが行きますので、そちらで会う事は出来ないですか?」
『来てくださるのですか? それは、助かります。実は今週中に片付けなければならない仕事がありまして。それが終わってからだとそちらへ出向くのは来週以降になってしまうのです。なので、来て頂けるのなら、仕事の合間に会えるので有難いです』
丁寧に、沖野さんは安堵したように言ってくれて、あたしは行動を起こすことの大切さを知ったような気がする。ここで相手に任せてしまっては、また伝えるチャンスを逃してしまうところだったかもしれない。
だったら、話は早い方が良い。
「あたし、今無職なので暇なんです! だから明日にでもそちらに向かいます。後はまた連絡しますので、よろしくお願いします」
意気込むあたしに、一瞬スマホ越しの沖野さんが引いているような気配を感じた。
キヨミさんの事を伝えなければならないのに、沖野さんに会う事が楽しみになっているような態度だと感じて、あたしまで自分で自分に引いてしまった。
「あ……す、すみません」
『はは、面白い方ですね。では、お待ちしております。雨宮さんの番号登録させていただきますね』
「……は、はい。では、また」
ぎこちなさの残る形で通話を終了させたあたしは、すぐにモヨに明日出発する事を告げるために電話をかけた。
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