【追想】亡き祖父に寄せて「願わくは、我に七難八苦を与え給へ」第1回

茹だるような7月のある日、いつものように残業を終え、汗をかきながら帰宅してLINEを見ると、母から連絡が入っていた。

「入院している祖父が危篤です。今晩が最期になるかもしれません。」

私はそもそも祖父が入院していることすら知らなかった。あまりに突然だったので、どう反応していいか分からなくなって、しばらく返答に迷ってしまった。兎にも角にも、今晩が最期かもしれないのだ。行かなければならないだろう。
私の地元へ行くには複数の電車を乗り継ぐ必要があり、少なくとも2時間半はかかる。きっと今から行けば実家に泊まることになるだろうから、着替えも持っていこう。背中には最低限の荷物、そして心には少しの戸惑いと焦りを携えて、私は家を出た。

ようやく電車に乗るころには21時を過ぎていた。つい30分ほど前に降りてきた階段と反対側の階段を登り、通勤の時に乗る電車と同じ電車に乗った。
こんな時間にこの方向に乗るのは初めてかもしれない。意外と人が乗っていたので驚いた。こんな時間に登り電車に乗るやつなんて居ないだろうと思っていたのだ。
乗客はみんな疲れた顔をして座っていた。一方の私はとても座る気分にはなれず、ドアのすぐ横に寄りかかり、徐々に明かりが落ちていく夜の街を眺めていた。

この約1年半、新型のウィルスはあらゆる人々を遠ざけた。私もずっと地元に帰っていなかったから、この間に祖父は体調を崩し、入院していたのだろう。もう90を超える祖父なのだから、全く不思議な話ではないし、こんな日が来るのは必然であるはずだ。

だとしても、せめて最期くらいは会っておきたい。果たして間に合うだろうか。
まだ幼い頃、乗らなければいけないバスの時間に間に合わず、途方に暮れてしまったことがあった。受験生の時、受けたかった模試の申し込み期限に間に合わず、受けられなかったことがあった。
私は私の人生において、色んな事に間に合わなかった。大事になった事も、ならなかった事もあった。後悔してる事も、してない事もあった。
それから、少し胸が締め付けられるような淡い経験もあった。

今回は間に合うだろうか。
私にできることは、ただ電車に揺られることと、乗り換える電車を間違えないことだ。それに集中するしかない。
間に合うかどうかは、自分の努力だけではどうしようもないこともある。

窓に映る自分に、ただ運命に流されて生きる自分と、ただ電車に乗るしかない自分の両方が重なった。

(つづく)

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