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【食事環境の大切さ】美味しいものがまずくなることがある

こんにちは。久しぶりのnote更新です。
今日はふと思ったことを書こうと思います。

みなさんはどのような環境で食事していますか?

大きく分けると、
・誰かと一緒に食べる
・一人で食べる
のどちらかだと思います。

一人での食事を孤食とも言ったりしますが、確かに幼少期の孤食は問題かなと思います。

ですが、例えば一般的な家庭で育ち、社会人になり一人暮らしを始めて、毎日一人でご飯を食べているというパターン、私はさほど問題ないと思うんです。

人によるかもしれませんが、私の場合は一人だろうがなんだろうが、おいしいものはどうしたっておいしいことに変わりはないので、一人で食べても幸せな気持ちになれます。

なので、一人で外食も良くしますし、「一人で食べるご飯っておいしくないな」と思ったことはありません。

恐らく幼少期に健全な家庭環境で健全な食事をしてきた基盤があるからなのかなと自己分析していますが、とにかくおいしいものはおいしい!


と、ずっと思っていたのですが・・・

なんと、この理論が覆される事件が起こりました。


今から数か月前…
「コロナがおさまらないから忘年会はなし」と職場で決まっていたのですが、「飲み会はなし」というだけであって、ランチ会をしようという話になっていました。

職場には死ぬほど大嫌いな上司がいます。

「行きたくないなぁ~」と、ものすごく憂鬱な気分でしたが強制参加だったため致し方なく参加。

ランチ会の場所は地元で有名なとある和食料理屋。
予約しないととても入ることができないほど人気のお店です。

あろうことか、奴は私の目の前に。

もうこの時点で気分は最悪です。

顔を見るだけで、なんとも言えない気持ち悪さが込み上げてくるのをグッと堪えて、食べながらもひたすら時間が過ぎるのを待ちました。

このような環境での食事がおいしいわけがありません。

正直味はよく覚えていませんし、お店は全く関係ないはずなのに「もう行きたくないな」という印象すら植え付けられてしまいました。


家に帰り夫から「どうだった?」と聞かれ、「なんか微妙だった…あんまりおいしくなかったな」と答えたのですが、私は雑食なので「まずい」と思ったことがこれまで生きてきた中、ほとんどありません。笑

それで気が付きました。

「ああそうか。一緒に食べる相手が嫌いな相手だと食事ってまずくなるのか。」

一人で食べるご飯だって全然おいしいと思っていた私は、「食べる相手なんて関係ない」と思っていました。

とんでもないです。関係大ありです。

「おいしかった」という記憶って味だけの問題じゃないんだなって初めて実感しました。

なので、「一人で食べるご飯は寂しくて味気ない」と思う人にとって、一人の食事はおいしくないのかもしれないなと気付きました。

考え方や感じ方は人それぞれ。

中には嫌いな人と食事しても、おいしいものはおいしいと思える人もいるのかもしれません。



それにしても…

私はご飯をまずいと思ったことがほとんどないと言いましたが、実は嫌いな人というのもこれまでほとんどいませんでした。

もちろん、「苦手だな」「関わりたくないな」と思う人はたくさんいましたが、食事がまずくなるほど嫌いな人ってそうそういないと思います。

苦手な相手でも、みんな良いところって探すとたくさんあるもんなんですよ。

ですが、ご飯がまずくなる上司の良いところを頑張って何度も何度も見つけようと試みましたが、私には無理でした。

強いていうなら、凶悪犯罪のニュースが流れてくるのを見て「この人よりかはマシなのかな…?」と思えるくらいです。


ご飯がまずくなる上司は、

・セクハラ
・パワハラ
・虐待
・不正/違法

なんでもありの世界は俺を中心に回っている男だったので、そりゃご飯もまずくなるってわけです。

最後はただの愚痴になってしまいましたが、「ご飯は心身ともにリラックスできる環境で食べるのが良い」とまとめて、終わりにしたいと思います。

お読みいただきありがとうございました。


ご飯がまずくなる上司と同じ空間にいることで、食事の時だけでなく仕事にも支障が出てくるようになったため、退職しました。

先ほど挙げた犯罪行為に関することは全て上に報告してからしれっと辞めました。

顔も思い出したくない人間だけど、更生することを願ってます。

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