#1 毒親と絶縁計画〜きっかけ編〜

 私は二十数年間、母として存在した人間と縁を切ろうとしている。
この記事を書いている現在、計画進行中だ。

 今回は、毒親と絶縁計画〜きっかけ編〜である。 

 生い立ちやらなんやらは他の記事で書いているので省略。(気になる方は下からどうぞ)

 簡潔に言えば、好きな人を毒親に会わせたくないという気持ちがきっかけだ。

 好きな人が出来て結婚を意識するようになったら、両親に紹介することは当たり前の文化である。

 私の場合、新型コロナウィルスの影響による緊急事態宣言の真っ只中で、いつ挨拶しようかと考えていた。
 けれど世間は終息の見えない状況、迂闊に帰省などできない。かと言って親への挨拶を引き延ばしにするのも気が引ける。ひとまず電話で挨拶をすることにした。

 電話で申し訳ないけど、と前置きして彼と母が電話で話した。
母も緊急事態宣言が終わったら会おうねと言っていた。それに私は了承した。

 そして緊急事態宣言の開けた一月後。母から何故挨拶に来ないのかと連絡があった。

 こちらにも生活があり、仕事の再開でバタバタしている。それにLINEではあったけれど、何度かやり取りだってしていた。そもそも彼は母に電話で挨拶をしている。

 ブチ切れた様子の母は涙ながらに「何故電話の一本も寄越さないのか」と責めた。

 ちょっと待って、電話したじゃん。母の主張を全て聴き終えてから、事実と違う点など頭をフル回転させて説明した。


 直接会えないのは流行病で仕方がないことであるということ。そして緊急事態宣言が開けてすぐに会える状況ではないということ。これについては母も理解している様子。

 そしてしっかり電話で彼と話をしているということ。これに関しては丸っきり記憶が飛んでいるようだった。電話していた時の様子を振り返って、母が酒を飲んでいたことを思い出した。どうやら酔っていたせいで覚えていないらしい。

 それについて電話で挨拶をしたということを説明しても、「そんな記憶に残らない程度の挨拶ってどうなの?」と自分を棚に上げた主張で聞く耳持たず。

 そして最後に捨て台詞、「挨拶に来るなら一発殴られる覚悟で来い」と来た。

 一つ、ここで補足を入れさせてほしい。母が酒を飲んでいない時に電話すれば良かったのでは?という疑問を持った方へ。母はアルコール依存のため、酒を飲んでいないタイミングは仕事中か運転中くらいである。よって、これについてはなかなか難しい。

 さて、この流れを持ってしても私は母に彼をどうやって会わせるべきかと悩んでいた。

 この頃の私は、母を毒親だと確信していなかったし、ただただ恐怖の対象で従わなければならないと信じていたからだ。

 彼と話して、「好きな相手のお母さんに向けて言いたくないけど、お母さんおかしいよ」と言われて初めて、私は彼の気持ちを完全に無視していると自覚した。

 大切な彼が殴られるかもしれない。そんな状況へどうして連れて行こうとしているんだろう。そもそも彼にとって電話とは言え緊張するであろう挨拶を全く覚えていない。私が相手方の両親に忘れられていたらどう思うだろう。

 自分を守ることで必死だったことに、罪悪感と嫌悪感を感じた。

 そこからはあっという間に連絡を取らないという考えに至った。
大切な人を守りたいし、私がこれまで受けてきた苦痛のほんの少しも彼に感じて欲しくない。

 絶縁、なんてやり過ぎじゃないかと思う人もいるかもしれない。

 この先、母の寿命は平均的に見てあと三十年程だ。約三十年を母からの支配に耐えるなんて、今までを振り返って考えると胃がキリキリしてくる。

 一人暮らしをして五年とちょっと。この物理的に距離のある間も苦しめられていたことを考えたら、絶縁して自分や大切な相手の為に生きるということを選択したい。

 あぁ、なんて親不孝な子供だろう。私の子供はそんなことない。

 そう思っている人は要注意。母から見た私はいい子であり、突然何の前触れもなく絶縁状を送りつけてきた娘だ。

 誕生日だって毎年お祝いして、たまに実家に帰省して、老後のことも会話していた。

 親不孝で結構である。私の親は、随分昔に毒に侵されて死んでしまったので。

 続いては、〜計画編〜である。
計画と、ざっくりとした説明を添えたものになる。冒頭でもお伝えした通り、まさに計画進行中なので、失敗したことや想定外のことなどはその都度記事にする形となる。

 2020.8.6 
すぐ絶縁したい方や、すぐ参考にしたい方は、現時点では別の成功した方の話を調べる方が効率が良いと思う。


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