生きづらさと病気の話。

 生きづらさは、小学生くらいの頃から抱えていたと思う。

 まず友達との関係性というものにぶち当たった。
省かれたり突然無視されたり、学校へ行くのが億劫だった。

 私に原因があるんだろうと考えても、何が原因か自分で見つけ出せなかった。今でもよく分かっていない。

 当時は学校には必ず行かないといけないという認識が強かったのと、いじめという概念がなかったので誰にも相談することなく過ごしていた。

 そして家庭環境の崩壊。
今までも仲の良い家庭ではない意識はあったけれど、「少し変わった家庭」というふうに納得させていた。

 一家離散も、母親からの支配も、全て「少し変わった家庭」で考えないようにしていた。

 今のパートナーとこの先も暮らしていきたいと考えた時に、「家庭環境」から「自分自身」にはっきりと焦点を当てたかもしれない。 

 「精神科へ行くこと」や「薬を服用すること」に抵抗がありつつも、とにかく行ってみようと思った。今までの恋愛が長続きせずに終わっていた原因が私にあるのなら、治したいと思った。

 行く前に自分の症状をネットで検索して、もしも医者から何か病名を言われてもショックが少ないようにある程度予備知識をつけた。なんとなく、「うつ病」や「躁うつ病」に当たるんじゃないかと構えて向かった。

 だけど、診断は「複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)」。

 PTSDについては、名前とその原因については軽く知っているつもりだったけれど、まさかの診断に私がですか?という驚きで心がいっぱいになった。

 戦争や災害でのトラウマやストレスからのものだという予備知識が崩れた瞬間。

 病名がついたことによるちょっぴりの安心と、こんな私が病気だと診断された戸惑い(もっと辛い人がいるのにその病名で合ってるのかな、私の生い立ちを深刻に捉えすぎじゃないか?という感じ)。そしてこれから自分はどう生きようかという不安。

 今までの記憶の中で「確かにあの時のあれはPTSDの症状だったんだな」と納得できる反面、じゃあこれからどう向き合えばいいの?という気持ち。病名がついたからといって生きづらいが生きやすいに変わるわけではない。当たり前だけど、一番見過ごしていた現実だと思う。

 薬によって症状の軽減は見られても、やっぱり根本的な原因が私の中にある限りこの病気と付き合っていかなければならない。

 かと言って、ずっと抱えていくつもりはない。

 いつ解放されるか分からないし、このまま死ぬまでトラウマと闘うことになるかもしれないけれど、なんとか気力だけで原因と向き合っている。

 向き合い方は人それぞれ。私は絶縁というきっと知らない人が見れば逃げに見えるような、けれど実は想像以上に大変な向き合い方で日々原因をチクチク潰している最中だ。


 ※お写真はnotsugiさんから拝借いたしました。ありがとうございます。

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