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推しがミューズの世界線

セルジュ・ゲンズブールにとっての
ジェーン・バーキン。
ジャン=リュック・ゴダールにとっての
アンナ・カリーナ(などなど )。

わたしが好きだなと思ったフランス映画は大抵、
とても素晴らしい監督と、
その監督が愛してやまない「ミューズ」によって
出来ている。
(※芸術家とミューズについて、なにそれ?って思った方はぜひ一度調べてみて下さい)

監督は好きな人の魅力を良く理解して撮ってるんだから、ミューズたちは作品の中で最高に輝いていて
キュート。
監督の人間性に加えて、役柄の外側にあるミューズ(彼女たち)の本質さえも映し出している気がして、
私たちは作品を離れて彼女たち自身をもっと深掘りしたくなる。(もちろん監督のことも。)

「愛してやまない"ミューズ"」というのは恋愛感情だけじゃなくって、その人の全てが自分の表現したい芸術と合致すると思えるような、
「僕の撮る映画の主人公は、全てにおいて君しかありえない」って思えるような。
多分、そういう人。

可愛い人も、かっこいい人も、
性格いいなって思う人も、
生きてたらそれなりに出会うんだけど。

何かを作ろうって思った時に、
好きな人が、自分が生み出そうとしている作品の世界観にちょうど合うんだとしたら、
それってかなり奇跡だと思うんだよね。


わたしは人の写真を撮る事がとても好きで、
ずっとポートレートの作品を作りたいって思ってたの。
そんな時に出会ったのが今一緒に作品を作ってくれている被写体の子なんだけど、
そもそも"被写体"を抜きにしたってわたしはその子を推していて、そういう人が似た感性を持ってて同じ方向に向かって作品を作れる人だって分かった時、
わぁ、奇跡だなって思ったんだよね。


「推しがミューズ」って多分最強なんだよ。
作品を作ってる時も楽しいし、
絶対良い瞬間しか写したくないし、
"好き"の感情でしか写せない瞬間や表情や
気付かない魅力ってある。

それを、映画や写真や音楽を通して
ミューズである君が分かってくれたらうれしい。
みんなそんな気持ちで作品を作ってるんだと思うの。

とにかく、わたしは君の素敵な瞬間を
たくさん撮れるように頑張りたい。
そもそも君はそのままで充分素敵なので、
あとはわたしがそれぞれの瞬間を最大限伝わるように捉えるだけ。

…みたいな気持ちで撮ってるんだから、
ね、そんなの絶対良い作品にしかなんないでしょ?笑

そんな環境でポートレート撮影出来るって本当に幸せすぎるし作品作りの上で完璧に理想すぎるなぁっていつも思ってます、
ありがとう。







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