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感情とできごとを分けると楽になる

 届いた商品を開封したら、明らかな傷がついていた…という経験は、通販をよく利用している人であれば、まあ一度か二度はあるんじゃないだろうか。

 そういう時にどうするか。

 先日、うちに届いた折りたたみデスクを開封したら、デスクの表面にえぐれたような傷がついていた。どこで付いた傷なのかは分からない。開封時につけたものでないこと以外は。何か鋭いものに当たらないと付かないような傷だ。

 デスクの天板の裏にカスタマーセンターの電話番号が書いてあった。たまたまというか、今回は大手の家具・家電メーカーの商品だったので、ちゃんと明記してあった。
 これね、たまに輸入ものだと、どこに連絡すればいいのか分からないことがあって、なかなか難しいんだよね。まあ、今回はすぐに連絡先が分かって良かった。

 購入したのはネット店舗だったので、販売元と製造メーカーのどちらに電話すべきか迷ったのだけれど、デスクの裏に書いてあるメーカーのカスタマーセンターに電話してみた。

 大手のメーカーだけあって、電話に出た女性のオペレーターがしっかり対応してくれた。同じ商品の在庫があって、すぐに交換の手続きをしてくれた。よかった。

 交換品を届ける業者に、今回の傷のある商品を預けて返品してくれとのことだったので、梱包をし直した。梱包し直しながら「こういう時に怒るお客さんって、多くはないだろうけど一定数いるんだろうな」というようなことを考えていた。

 注文した商品が傷ついていた、というのは気持ちの良い話ではない。「その日、手に入るはずだったのに予定がずれる」ということもあるし、ちょっとした動揺も入るし、カスタマーセンターに電話するのも緊張するし、状態を説明するのは手間だし、梱包し直さなきゃいけないし…と数え出すと、ちゃんとした商品が届いた時に比べると、何段階も踏まないといけなくて、ちょっとがっかりだ。

 だけど、こういう時に「ひとこと言ってやろう」みたいになるのは、やっぱり違うんじゃないかなと思う。どこかに商品に傷がつくミスがあったのだろうけれど、誰もわざと傷をつけようなんて思っていない。誰もわざと私に不良品を届けたりはしない。それでもそういうことは起きる。
 だからと言って「しょうがないよね」と我慢して、傷ついた商品を使うというのは、それはそれで違うと思う。あ、もちろん、気にならない程度の傷とか、自分が気にならないというのは別として、デスクの表面の傷みたいなものは「まあ、いいか」としちゃうと、その傷を見る度にちょっとだけ「う~ん…」という気分になる、そういうものって、小さな我慢が積もっていくからね。交換してもらうほうがいいと思う。

 で、ここで大事なのは「ちゃんとした商品が手に入る」ということなんだよね。だから、そこに付随する感情はちょっと横に置いておく。というか、そもそも感情的になるような体験ではないんだよね。

 さっきも書いたように、誰かがわざと自分に嫌な思いさせようとして起きたことではないからね。たまたま似たような経験が続くと「またかよ」みたいな気持ちになったり、ふだんから自分が周囲に軽んじられているとか、みじめな思いをしていると「なんでだよ」みたいな気持ちになったりして、傷のある商品が届くということをきっかけに、感情のスイッチが入ってしまうというようなことが起きてしまう。

 でも、それはきっかけに過ぎないし、自分のベースがイライラしていたり、余裕が無かったりすることと、そのできごとは別物だからね。できごとと感情を別のものだと考えたり、そのように扱えたりするようになると、ずいぶんと楽になる。怒りのスイッチが入りにくくなって、感情に振り回されなくなる。

 少し話は逸れるけど、何かのために自分を犠牲にしているとか、自分ばかり我慢しているとか、そういう風に感じている人って、何かや誰かを傷つけることへのハードルが下がっちゃうんだよね。「〇〇したってかまわない」という免罪符みたいなものを自分に与えちゃう。「だって自分はこんなにも我慢しているんだもの」って言い訳を立てちゃう。人よりも得をしたり、何かを搾取したり、横柄になったりしてもかまわないって。
 だけど、その考え方でもって何かや誰かを傷つけたところで、我慢の根本は解決しないから、結局、同じところをぐるぐる回るだけなんだ。

 で、話を元に戻すと、今回の場合、ちゃんとした商品と交換してもらうということがゴールなので、そこに余計な感情をくっつけないこと。ただそれだけのことを心に置いておけば、こころに波風が立たなくて済む。
 
 何事もそのようにいられたら、過度に疲れないし、おだやかな自分でいられる。トラブル対応するコスパが良くなるというのかな。

 そんなことを考えながら、梱包し直したという話。

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