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おもんない人間


 3月末に退職してから初めて、元職場の仲間と食事をした。↑の記事に出てきた同期入職の友だちだ。彼女とは職場だけでなく、プライベートで食事や買い物、旅行にも行ったことがあるけど、ベタベタした関係ではなく、飛び石的にプライベートで会う、といった関係を30年間、続けてきた。

 その夜もいろいろな話をしたけれど、そのほとんどが直近の彼女の戸惑いやストレスについての話だった。もちろん私はその話を聞くために(というと語弊があるけれど、詳細は引用記事を)彼女を食事に誘ったのだから、それでかまわないのだ。

 「自分ばっかり話を聞いてもらっちゃって…」と話がひと区切りついたところで彼女は言い「COCOAさんって自分の愚痴とか弱音とか、あんまり言わないよね」と遠慮がちに付け加えた。「仕事してた時もそうだったし、家のことも」と。遠慮がちなのは、翻してそれが「強がりだ」とか「さびしい」という指摘にならないように、という彼女の気遣いというか、ていねいさゆえの配慮だと感じた。

 たしかに彼女の言う通りで、私はあまり愚痴や弱音を吐き出したりしない。言っても仕方がないと思っているところが往々にしてあるのと、幼い頃から母親の愚痴や弱音を“聞く側”にいて、“いかにうまく聞くか”というところが自分の生命線みたいに感じて育ったので、自然とそうなったんだと思う。子どもは母親に嫌われたら生きていけないと感じる生き物だから。

 そんなわけで自分の愚痴とか弱音ってあるっちゃあるけど、それよりも他人のソレのほうを優先してしまう癖みたいなものがある。彼女に「COCOAさんって…(以下同文)」と言われた時にも、あれほど嫌で辞めた職場なのに、なんの愚痴も不満も思い浮かばなくて、自分でもびっくりした。「あんまり無かったんだよね、自分の職場での不満って(←嘘)」「上層部に対する不満はいっぱいあって腹立って辞めたけどね」と半分本当で、半分嘘なセリフが我知らず口から出ていた。家のことに関しては夫には何の不満もないけど(←これは本当)、夫のメンタルはまだ回復途上なので、彼女は心配してくれているのだと思う。だけど、それとて良い方向に向かっているので、今さら誰かに話してどうこうもないなぁ…というのが正直な気持ちだった。

 つまんない人間だなぁ、私。

 その代わりと言っては何だけど、この間、夫の実家に降って湧いた話を彼女に披露した。

 その話を聞いて彼女は「実は今日、食事に誘われたのって、COCOAさんが夫の田舎に行っちゃうって話なのかなって、ドキドキしてたんだ~」と笑顔で言った。「いや~それはない、ない」と私も笑った。

 「また近いうちに」そう言って、ゆっくりご飯を食べて、お茶をしてから別れた。

 家に帰ってから「そういえば(私の)元の職場のこと、私、いっさい聞かなかったな」と思った。薄情と思われたかな、と少し気になった。でも、聞いたところでなぁ(←繰り返し)。

 言ったところで/聞いたところで 

 そう思ってしまう自分は何だか薄いなぁ、と思う。おもんない人間だなぁとも。まあ、それでも食事に誘えば、来てくれる友だちがいるのだから、こんな自分でも悪くないのかもしんない。そう思っとこ。

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