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【映画感想文】映画「スパークス・ブラザーズ」―表現者としてのスパークス―

私はスパークスと出会った

私がスパークスと出会ったのはNHK BSプレミアムで2022年1月23日に再放送された「笑う洋楽展」という番組である。みうらじゅん氏と安齋肇氏があるテーマに基づいて洋楽の動画を見ていき、突っ込んだり茶化したりする、非常にゆるく楽しい番組だ。私はこの番組でスパークスが紹介されているのを見た。

彼らは兄弟で、イギリスツアーではクイーンが前座を務めたこと、ボーカルのラッセルのオペラティックな歌唱法はフレディ・マーキュリーに影響を与えたと言われていること、そしてブライアン・メイは彼らに参加しないかと誘われていたことなどが紹介された。

そして、彼らがイギリスのテレビ番組にて演奏している姿が映された。弟・ラッセルのその歌声は確かにフレディ・マーキュリーを彷彿とさせた美しいものだったし、兄・ロンの個性的な佇まいには目を奪われた。

「ものすごく変わったバンドだ」と思った。


映画のトレーラーを観た

それっきり、スパークスを考えてこなかった。

しかし、4月にスパークスのドキュメンタリー映画なるものが日本で公開になったのだ。その映画こそが「スパークス・ブラザーズ」なのである。

そのトレーラーを見る限り、私はこのバンドを知る必要があるのではないかと強く思った。なぜなら彼らは多くのミュージシャンに影響を与え、そして今でもその佇まいのまま活動しているようなのである。私としてはデュラン・デュランのニック・ローズとジョン・テイラーがインタビューを受けたこと、それだけで見たくなった。私はデュラン・デュランのルーツを知りたいのだ。

そのトレーラーは以下の通りである。


映画を観た感想―表現するということ―

そのトレーラーに焚きつけられた私は映画を観に行った。

まず、感想の前にこのバンドについて私が解説を…する資格はない。あまりにも“にわかファン”過ぎるからだ。

もし解説を必要とする方は是非、映画館で公式パンフレットを手に入れてほしい。

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では、この映画の感想を述べたい。

この映画ではロンとラッセルの「メイル兄弟」の生い立ちに始まり、1970年の結成から現在までを追っていく。彼らはその長いキャリアの中で常に“表現者であること”を貫いていたように思う。

例えば、兄のロンはチャップリン(もしくはヒトラー)と呼ばれるほどに個性的で、その見た目を現在も保っている。そして、ピアノを演奏するときも手元ではなくどこか空を見つめている。しかし、時には前に出てきて笑顔で踊りを見せたり、ストリップのように服を脱いだりする。極めて奇天烈である。コメディのような、もしくは演劇のような面白さに、観客は思わずクスリと笑ってしまう。

ミュージシャンの話なのに、音楽的なことではなく、見た目の面白さの話をするのか?と思われるかもしれない。

私はそれでいいと思う。なぜなら音楽は突き詰めて言えば一つの“表現”だと思うだからだ。

これは私の考えだが、音楽は演劇にも美術にもなり得るし、コメディにもなり得る。全ての表現は境目なく、互いに関わり合っている、と思う。

音楽を軸にしつつ、ユーモアを体現してきたスパークス(特に兄のロン)にとっても、表現するジャンルの境目は良い意味で曖昧なものだったのではないかと考える。

本作でレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーは以下のように発言する。(上記に貼り付けた3番目のトレーラー参照)

「ポップ音楽で僕が戸惑うのは、ユーモアに対する受容性の欠如だ。だからスパークスは世界最大になれない。面白すぎて。」

ユーモアは面白い。だからこそ残念ながら、観客は本気でそれを受容しない。

しかし、その面白さをしっかり受容できれば私たちはもっと音楽(及び表現全般)を楽しめるのだろう。

さて、私は通算25枚(多い!)のスパークスのアルバムを聴かなければいけない。何しろ、彼らの歌詞は皮肉的だというのだ。そして、時代と共に音楽ジャンルも大幅に変えてきた。もっと、彼らの表現に触れ、その歌詞やサウンドからユーモアや皮肉を知りたいと強く思った。




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