【読書日記】山本文緒さんの絶筆、人はいつか..というのは綺麗事なのだろうか
外は大嵐。風雨の音がすごくてとても外に出る気がしない。
それでも午前中に予定があると出ねばならぬという悲壮感満載のわたし。
生きるって大変なことだな。と考えつつ先日読んだこの本のことを思う。
山本文緒さんのことは、人気作家さんという認識しかなくて、あまりよく知らなかったのでこの本が初読み。
『自転しながら公転する』こちらも気になってはいたのだけれど。
さてこの、『無人島のふたり』
胃が痛いと思ってあちこちの病院で検査したけどわからず、治らず、そして膵臓がんのステージ4bと診断、いきなり余命半年と判明。
物言わぬ臓器、いわなさすぎる。
山本さんは体調が悪化するなか、自分の様子を客観視した、どこかふんわりおだやかな雰囲気まで纏いながら、でも苦しみもあることも書きながら日々の日記、病から逃げてしまいたい逃病記としてこの本を記すのだ。
軽井沢での自宅で、夫と2人、このふたりがタイトルになっている。
書けたら書こう、また明日。
が最期の、最後のページ。
がんは、世間とのお別れの期間が長い病気だ、とも書いてあって、父を癌で亡くしている私はどれほど辛かっただろうな、もっともっと話をすれば良かったと、どの闘病記を読んでも通奏低音のように自分への後悔が鳴り響く。
だから少し逃げていた。こういう本から。
でもこの本を手に取って、読んでしまった。
読みたい、読みたくなるのは、自分が生きている間は、大切だった父のこと忘れないできちんと思い出して感謝の想いを伝えて行くべきだという気持ちがどこかにあるから。
そこを認めて、また山本さんというかけがえのない作家さんが命を搾りながら書いたこの文章と、残した作品をやはり読んでいくことも、自分にできる大きな何かにインプットしていくことにつながるなと感じた。
山本さんは、抗がん剤治療を一度やって、体力的に無理、抗がん剤治療で死んでしまうというほどの辛い思いをしたことから、その選択はしていない。
緩和ケアから終末医療へ。
月単位ではなく週単位で告げられる命。
私には来週が来ないかもしれない、と明晰な頭で思うこと、それは考えを文字化している作家さんにとってどれほどのことか。
彼女の本は、悲壮感というのはあえて出さずに書かれているので、その奥深くの気持ちは抑えられた行間から読み取る。
命はいつか終わりが来る。
それは自分にとって受け入れららることなのか、ということ普段は向き合わない。
それに向き合うのがこの本。
読んで良かった。
だから多少の苦労には根を上げない。
それもまた含めて自分の人生だから。
でも少しこれからは自分のためにもう少し軸足を置こうかな…と考えさせられた一冊でもあった。
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