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『プリシラ』自分の意思で人生を選ぶ権利があるということ。

  ひとりの女の子が、憧れのスターと出会い恋に落ち、いろいろなハードルを越えながら同棲して、現実を見ながらも結婚して、出産して、離婚して……というまでの過程が美しく描写された映画だった。
 14歳の子どもとスターの恋愛なんて、いまとなってはタブー中のタブー。『いや、子どもに手出すなよ。キスで止まればいいってもんじゃないぞ』と、けっこう最初から腹が立っていた。だけど、わたしも14歳のとき、憧れのアイドルがいたし、彼から『君が必要なんだ』なんて言われたら、家から飛び出していたと思う。子どもの無計画な危うさや、子どもを狙う(劇中のエルヴィスは純粋な恋心だったように思えたが)大人の危険さを実感して、親の保護監督の大切さが身に染みてわかった。
 脇道に逸れたが、大人と未成年が恋に落ちて、対等な関係を築けることは、まあない。エルヴィスの周りにはいつも家族や親しい友だちがいるのに、家族から離れてアメリカに移り住んだプリシラは、広くて美しい家で、いつもどこか孤独。メイクや服装だって、エルヴィスがお金を出しているぶん、彼の意見を尊重しなけれないけない。まだ幼い高校生にしては不自然なくらい、ボリュームアップした髪やまつげは、プリシラがエルヴィスがいる大人の世界に入っていこうと、背伸びをした証だと思う。『髪は黒に染めて、アイメイクはもっと濃く』のセリフをプリシラが飲み込んだのは、エルヴィスから愛されている実感があったからだろうが、次第にエルヴィスから傲慢さや凶暴さがのぞくようになる。
 誤報の婚約報道が出たら、プリシラに『俺の女なんだから割り切れ』、枕投げで無邪気に遊ぶプリシラに『男みたいに叩くな』と乱暴し、作品に対してのコメントが気に食わないと、椅子を投げつけようとする……。エルヴィスのプリシラに対する軽視が透けて見える場面はたくさんあったが、憧れのスターの妻でも、自立して生きていけなかったら、“お人形さん”だ。出産の直前まで、濃いアイメイクに凝っていた彼女の美しい横顔に、生死にかかわるような場面の直前でも、男の好みに合わせようとするグロテスクさが滲んているように思えて、正直ゾッとした。
 しかし、子どもができて、プリシラは変わった。髪の毛はエルヴィスの好んだ黒色ではなくなり、柄物の服を着るようになった。ツアーから帰ってきたエルヴィスとの写真撮影が終わると、すぐに娘を追いかけた。『子育てを経て変わった』なんて言葉は、あまり使いたくないが、いままでエルヴィス一色だった世界に、別の大切な存在が誕生したことは、彼女に大きな影響を与えたに違いない。夫婦仲は冷え切っていたのに、エルヴィスに呼びつけられて、強姦まがいのことをされそうになった次の日、彼女はエルヴィスに別れを告げた。『別れがつらくなるから』と言って立ち去ろうとする彼女に『いつかまたどこかで』と声をかけるエルヴィスはものすごくみじめに見えた。彼はプリシラのことを、『誰もがうらやむエルヴィスのパートナー』とずっと思っていたから、愛を表現する必要性を感じなくなったのかもしれない。ふたりの間に愛情はあったのだろうけど、エルヴィスとプリシラは、ずっと対等な立場じゃなかった。エルヴィスにとってプリシラは、ずっと愛情と富を恵んであげる対象だった。
 彼女がグレースランドを後にするとき、女性たちと最後の抱擁を交わすシーンで、ほんとうにプレスリー家の一員になっていたのだとすこし安心した。劇中ではどうしてもプリシラの孤独に目が行ってしまっていたから。

 彼女はグレースランドを自分の運転で出て行った。かつて、憧れの人に恋焦がれて飛び込んだ、愛と孤独の家に、自分の意思で決別をした。

★追記:どんなに大好きで憧れの相手と同棲して結婚することになっても、仕事は続けようと思いました!

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