ファッションという文化

ファッションという文化が好きです。もう、ずっと好き。

中学生の時に、クラウディア・シファーがランウェイを歩いている画像を、当時普及し始めたインターネットから拾い、コピー紙に印刷して部屋の壁に貼って飾っていました。あぁ、懐かしい。それがファッションの世界を知る入り口でした。

ファッションとひとことで言っても、そこには無限に広がる世界があって、何もひとことではあらわせない。それでも、わたしから見たファッションについて、文字で表してみたいと思います。

ファッションが面白いところは、それが生物(なまもの)であるということ。今日何を着るのか、という個で起こることから、素晴らしい洋服のデザインが生まれてくること、ひとつのデザインがムーブメントとなって世界を席巻する流行りとなる全体のことまで、全て「今」があって、人間がいて、常に変化していく。

そして、究極的に自由であるということ。宗教上、法律上の制約を除けば、何を着たってどんなファッションが好きだっていい。買うという行為があるので、経済的にも制約がありますが、、、。

さらに、素晴らしいデザインの洋服があるということ。この世界には、大きなブランドから、少数生産のブランドまで、星の数ほどのデザイナーがいると思います。そのデザイナーたちが、それぞれ発表する洋服たち。好みはあれど、かっこいい洋服がたくさんあります。卓越した職人技とデザイナーの天才的なデザインが融合したアートピースのようなワンピース(国産の軽自動車が買えるくらいの値段だったり!)、ヴィンテージのめちゃくちゃかっこよく色落ちしたリーバイスの501(これは高くなくても探せば自分の超絶フィットサイズが見つかる!)、若いストリートブランドで「今」を切り取って洋服にしたようなすぐにでも着たいTシャツ、手つむぎの綿生地に手刺繍の花が散りばめられたどこかの民族衣装のようなブラウス、、、。そして、トムフォード時代のグッチのジャケット、フィービー時代のセリーヌのウールコート、マーク時代のヴィトンのバック、カール時代のシャネルのセットアップなど、各メゾンの名品の数々。心躍る、気分上がる、素晴らしいデザインの洋服が、たっくさんある!それを自由に選んで、好きに合わせて着る自由。世界中で人の数と同じ数だけ着こなしがある。なんと面白い文化なんでしょう。

一方で、ファッションにはネガティブな面もあります。世界的一大産業であるが故の、環境破壊や労働の搾取、人権問題、洋服の廃棄問題などなど。細かく挙げていくとキリがないかもしれません。以前ファッションの仕事に携わっていた時、ファッションショーのサイクルにより、春夏シーズン・秋冬シーズン・リゾート(クルーズ)シーズンと年3回のシーズンサイクルを延々繰り返し、それに合わせて冬のセール・夏のセールとプライスダウンを行い、そこで売れなければアウトレット行き、アウトレットに出店がないブランドは廃棄という流通に辟易し、服を売る意味さえ分からなくなったことがあります。

そういったファッションに関する社会的問題を知った時はショックでした。面白く素晴らしい文化は、そういった影の部分も持ち合わせているという事実。ただ好きなものを買って着ればいいだけではないんだ、買う側の責任(もちろん、売る側の責任も)。令和の時代になっても、メディアはまだまだ消費を煽る発信をしているけど、実際はもう消費社会の限界がきているのかもしれない、と感じます。

それでも、だからこそ、そういった問題を知った上で、できることがある、と思い至りました。

「買い物は投票だ」と言われています。消費者が社会的問題の事実を知った上で、何を手に取るか、何を買うか、選ぶことができる。環境問題に取り組んでいるブランドである、労働の搾取を絶対にしていないメーカーである、オーガニックな素材の使用や、環境に配慮した工場で生産されているなど、消費者が勉強し、選んでいくこと、それは必ず未来に繋がっていると感じます。なぜなら、10年前、20年前は、これほどまでにサステナブルやSDGsというワードは叫ばれていなかったけれど、今や身近に感じることができるような社会の流れが確実にできている。全部でなくてもいい、ひとつでもそういったブランドやメーカーを選んでいくことに、大きな意味があると強く思います。

わたしたちは、とんでもなく自由なファッションの文化の中にいます。いつだって、ファッションの世界を覗けば、わたしたちを楽しませてくれるものたちが出迎えてくれる。それは今この瞬間のものだし、次に覗いた時には全く変わっているかもしれない。それに、今を生きているわたしたちが作る文化でもある。今日の着こなしが、そう、ファッションという文化を作っていくんだ。


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