淡い色の主人公たち - 堀江敏幸『雪沼とその周辺』
先日槙野さんという方の以下のnoteを読み、堀江敏幸作品の素晴らしさに関して改めて考えてみた。
槙野さんはnoteのなかで、「世界はときどき、じかに私に触れてくる。」そして「堀江作品には(恐ろしいことに)いつもこの種の特別な日の気配がある。」と表現している。私はまだ堀江作品を全て読んだわけではないが、それでもこの表現にとてつもなく共感をしてしまった。
私の中で堀江作品は、いつも淡い色だ。彩度が非常に低くて、優しい色。赤や青といった既知の色として区分されている色ではない。わかりやすい主張があるわけでなく、声が大きいわけでもなく、ただ、そこに自然と在る。
そして、出てくる人物には少しだけ影があり、繊細だ。そのレンズを通じて映し出される世界を見ていると、つい自分も日常を細やかに、解像度高く、受けとめられるかのような錯覚をおこす。そして、その錯覚がなんとも心地よい。
なかでも、『雪沼とその周辺』は美しくて、でもどこか寂しくて、惹き込まれる。『雪沼とその周辺』は、雪沼という架空の土地に暮らす人々を切り取った短編集だ。それぞれ独立した物語だけれども、本編には影響しないほんの一部で、人々が重なりあっていく。
この小説では、どの短編の主人公も、何かの「終わり」を意識しているように感じる。ボーリング施設の運営や、息子の死への執心に、区切りをつけようとしている。そして、その「終わり」のシーンに焦点を当てているにもかかわらず、短編の終わりに物語が終わらない。
「終わり」にその人の美意識がもっとも反映されるとよく言われる。その「終わり」を丁寧に描き、主人公の世界の切り取りかたを提示しながらも、最後は読者にゆだねることで、世界を解像度高く飲みこむような錯覚が読者に起きているのかもしれない。
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