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雨の夜、オノマトペに

 夜鷹の群れが歩くのは、決まって雨の夜だ。電球に照らされたウィンドウ街を、どこへともなくフラフラとさまよいながら、自動車や市電のライトを遮る。高鳴るクラクション、サイレントムーブメント。夜鷹が鳴くのは、お腹が空いているからではない。きれいな言葉を探し求めているからだ。

 言葉であふれている場所は、案外うら通りにある。百貨店の隙間に、大きなビルに取り残された暗い住宅街に、鉄条網に覆われた草はらに。雨は水たまりを作るから、言葉を反射するのだ。夜鷹は、人の言葉を食べてしまう。だから言葉を探す。

「それでは、今宵の集会はこれにて閉会です」

司会の夜鷹が言った。

「みなさま、明日もまた、お集まりくださいますよう」

そう言うと、一人一人と黒い闇が欠けていく。またそれぞれ、自分の言葉を探す旅に戻っていくのだろう。

 一人の夜鷹が、路地に倒れ伏していた。まだ若いようで、黒いコートからのぞく手や頬は、白くなめらかだった。雨がさっきから夜鷹の全身を濡らして、体温を奪っていく。するとどこからか、はなうた混じりの赤い傘が跳ねてきた。ぴちぴちちゃぷちゃぷ、オノマトペ。

「この人は……」

 それは、寝そびれたトワイライトだった。トワイライトは、夜鷹をのぞきこんだ。小さな手で、彼のほほをピチッと打った。若い夜鷹はうっすらと目を開いた。

「大丈夫ですか」

 トワイライトはそう声をかけた。けれど答えはない。力のない青い瞳が、ぼんやりと空を見ているだけだ。トワイライトは考えた。このまま、この若い夜鷹が死んでも、それは仕方のないことだ。言葉を食べてしまった夜鷹の運命だ。でももし、今、助けられたら? 彼女は思い出した。自分も昔、人間に助けられたことがあると。その時に命を助けられたから、こうして生きていられるのだと……

「あなたを助けましょう」

トワイライトは言った。

 火鉢の火が赤々と燃える頃、夜鷹は目を覚ました。白い蒸気が立ち込める、アパートメントの一室だった。フカフカの布団にくるまって、彼は寝ていた。

「ここは、どこ?」

夜鷹は言った。

「わたしの部屋です」

トワイライトが答えた。

「僕はどうしてここに? あなたはだれ?」
「私はトワイライト。今日は寝そびれたの。あなたは、雨の中で倒れていたのです」

夜鷹は雨という言葉に反応して、窓を見た。外は暗くてよく見えなかったけれど、しとしとと雨のふりしきる気配がした。そして彼は思い出した……

「ああ、そうだ。集会があったんだ。集会に行かなければ。でも……どうして僕はここにいるんだ?」
「行かないほうがいいわ」

トワイライトは、彼の青い目をのぞきこんで、キッパリと言った。

「あなたはまだ若いツバメよ。なのに毎晩、群れをはなれてこんなところをうろつくなんて。あなたは、ただ言葉を食べているだけです」

夜鷹は驚いて彼女を見た。そしてため息をついた。

「そうなのかもしれないね……でも、仕方ないんだ。この街で暮らすには、多かれ少なかれ、言葉を食べていかなければならない。正直に言えば、この仕事、僕には向いていないよ。あの集会の仲間たちだって、みんな心の中では同じことを感じているはずだ」
「ええ。でも、あなたは若いわ。まだやり直せるし、もっと他にいい仕事があるわよ」
「そうだね……ありがとう。でも僕は、今の仕事が好きなんだ。仲間たちと夜を飛びまわり、言葉を探してさまよう生活がね……ねえトワイライトさん、君はどうやって暮らしているの? この街には、他にもトワイライトがいるの?」

 トワイライトは立ち上がると、火鉢の火を掻き回した。山吹のドレスをはたいて、白い灰を落とした。窓ガラスにくっつく雨粒と、雨粒で反転した赤黄の街灯と、うねうねした模様を目に入れた。そして、新しいオノマトペを唱えた。リョコンリョコン、トカラントカラン。

「私以外、ほとんど死んでしまった。だから、トワイライトはもういない」
「死んだ? どうして」
「理由はいろいろある。病気になったり、事故にあったり、それから、夜鷹になってしまったり」

夜鷹は起き上がった。そして、おそるおそるトワイライトの顔をのぞきこんだ。

「君は大丈夫なの?」

トワイライトはうなずいた。

「なんとか耐えている。あたらしいオノマトペを唱えている。でも、最近眠れないの。夜が強すぎるからだと、私は思う。街の人たちが、星を雇い始めてしまったから。空が、まぶしすぎる」

 トワイライトは泣き出した。涙がドレスにくっつくと、山吹が墨の色に変わった。ポツポツ、ポツポツ、雨だれが涙の音を奏でる。
夜鷹は立ち上がると、窓をピシャリと閉めた。そして雨粒と涙で変色した山吹色の彼女を抱きよせた。

「ごめんよ、トワイライトさん。僕がふがいないばっかりに」

トワイライトは泣き続けた……リョコンリョコン、トカラントカラン……

「……いいの。母さんが、迎えにきてくれないから。しょうがない」

夜明け前の青みがかった薄暗がりの中で、二人の夜鷹は、白く抱き合ったまま、長いこと動かなかった。

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