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東京クリームソーダ物語

 テストの点が良かったからと、学校から『クリームソーダ券』をもらった。好きなお店にいって、クリームソーダを一つ頼めるのだという。切符みたいな分厚い紙に、ぼこぼこした活字で『クリームソーダ 一点』と書いてあった。

「いいなあ。あたしも欲しい」

 ナノカがうらやましそうに言った。ナノカは数学と国語が得意で、クラスの中でもかなり上位の成績だった。だから、このチケットはもらえるはずなのだけれど……。

「あたしは『モナカ券』だったから、なんか微妙でさ。まあでも、ありがたく使わせてもらったけどね」
「へえ、毎回同じじゃないんだ」
「そう。テストのたびに違う券がもらえるんだ。この前は、クッキー券だった」

 そうやって話していると、湯船に浸かっていた人たちはみんな上がってしまい、熱いお湯に浸かっているのは、わたしたちだけになった。銭湯の景色は変わり映えしないものだ。黄色い洗面器。ソーダ色のタイル。富士山と東京タワー。アジサイやタンポポの模様が刻まれたガラス窓に、鏡。モクモクした湯気。

「ねえ、クリームソーダだったら、いいとこ知ってるよ。この後行かない?」

わたしは、もちろん賛成した。


 お風呂上がりの夕涼みほど、贅沢な時間はない。都会の夜風が、ほてった肌にさらっと気持ちよかった。道路は車のテールランプで真っ赤になって、まるで川みたいに見えた。街灯の光が川の流れに反射してキラキラ光っている。空には大きな満月が出ていた。

 ナノカはズンズン歩いていって、急な坂道を幾つも登った。都会にこんなところがあったのだろうかというぐらい、静かで暗い場所に出た。どこかの山の、展望台らしかった。そこかしこに大きな木があって、その影が地面に落ちていた。

「見える? あそこ」

 人差し指の先に見えたのは、さっきまでいた銭湯の煙突だった。むくむく白い煙を吐いている煙突の上に、赤や緑でピカピカ光っているのが見えた。

「……あそこ?」
「アイス屋さん。煙突の上にあるでしょう」

 そう言って、ナノカは当たり前のように空中に足を踏み出した。トントントンと空気の上を歩いてって、彼女はあっという間に小さくなっていく。わたしはどうしようと迷って、思い切ってジャンプした。

 次の瞬間、視界に飛び込んできたのは、夜の闇に白く浮かぶ建物だった。アイスクリーム屋の赤いネオンサインが眩しい。レトロな雰囲気の建物だ。壁や屋根が黒っぽくくすんでいて、看板の文字だけが赤くギラギラしていた。足元に目線を落として、ぎょっとした。わたしたちは透明な地面の上に乗っていたのだ。まるでプールに浮かんでいるように。

「すみませんね。近頃は、うちみたいな店は目をつけられてしまいますんで、こういう風に煙突の上に乗って営業しているんですよ」

 声の方を見ると、背の高い女の人が立っていた。真っ黒な髪は長くてサラサラで、青い瞳をしていた。浴衣姿で下駄を履いている。外国のお姉さんみたいだと思った。でも、どこの国なのかはよくわからなかった。不思議な雰囲気のある人だった。

「クリームソーダ二つください」

 わたしが券を差し出すと、ナノカも券を差し出した。この前もらったけれど、使っていなかったのだという。女主人は慣れた手つきでアイスを作り始めた。小さな丸い氷と、緑の葉っぱが二枚。それからピチピチしたさくらんぼが一つ出てきた。グラスにソーダ水を満たされると、白いアイスクリームは南国の島みたいに浮かび上がって、ゆらゆら揺れた。

 アイスクリームをスプーンで掬い取ると、パチパチと白い火花が飛び散った。

「線香花火を混ぜてあるんですよ。隠し味にね」

 お姉さんが教えてくれた。なるほど、よく見ると、ソーダ水の中に黒い点がいくつか沈んでいた。それはゆっくりと燃え尽きていく。パチパチと弾けるような音を立てて、だんだん弱々しくなっていく。やがて溶けるように消えてしまう。それでも、ほんの一口食べるだけで幸せになれる気がする。クリームソーダは魔法の飲み物だ。

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