私がメンタルヤったとき
メンタルやったことあります。病名としては、適応障害。
結果的に休職しなかったし、部署には伝えなかったのですが、運がよかっただけだなと思っているので、おすすめはしません。
状況
元々派遣で入った会社だった。社員になりたいなら自ら手を挙げろ、という風潮。でも社員たちは朝から晩まで会社に居るので、そんな激しい働き方自信ないわ、と、何となく更新を続ける日々。派遣が手を挙げても、なれるのは「契約社員」であって「正社員」じゃないしね。
でも2年が経った頃、当時の上司に契約社員登用の打診を受ける。声をかけられたこと自体は嬉しかったし、契約なら責任もないし、目標達成面談とか査定とかないし、まあいいかと。あとはシンプルお金の話ね。
契約社員になってからは、輪をかけて忙しくなった。月次決算のときは終電なんてザラ。年次決算のときは1時とか2時まで仕事して、そのあとお風呂と仮眠のためスーパー銭湯、とか。DX化や働き方改革の少し前だったから、たぶん効率の問題もあったけど。月の残業時間は80~90hくらい。
それでも不思議と飲む時間は捻出していて、会社の人といちばん飲みに行っていたのはこの頃だろう。基本断らなかったし、確かに楽しんでもいたんだ。
きっかけ
きっかけは、その1年後、契約社員から、正社員になったことだった。
派遣→契約はたまにあれど、その当時は契約→正社員はほぼいなかった。しかも、私に声をかけてきたのは役員だった。
手取りが減るし責任増えるから断るんじゃないのかしら、と思っていた、とあとから言われたけど、それとんでもねえ残業のおかげだし、契約社員は賞与もぽっちりだし。今回断ったらもう声かけてもらえないだろう、と思って勿論、諾。
でも別にすぐに何かが変わるわけじゃない。期毎の目標設定とか、昇/降格とか、そういうのが増えただけ、と思っていた。
仕事の忙しさも変わらない。でも、無期雇用になったことで意識は変わったのだと思う。
この仕事の仕方、暮らし、ずっと続けるの、無理。
仕事中に涙が出るようになった。涙が出そうになったらトイレに行ってたけど、前述の通り忙しいので、おちおち離席していられないので、慣れてくると(慣れちゃダメよ)目もとをぐいっと指先で拭って、視界をクリアにして、業務続行。
あと、機嫌が悪くなった。このときのことでいちばん反省して、自己嫌悪しているのはそのこと。でもそのときは、機嫌が悪いこと、感じが悪いことさえ、自分が悪いとは思わず、会社を恨んだ。
「私は本来楽観的で優しくて朗らかな人間なのに、そんな私をお前らが変えた」と思っていた。
診察
食欲がなくなることはべつにいい(よくはない)。
でも眠れなくなることは赤信号だとわかっていた。それで受診した。最初は家の近くのメンタルクリニック。でもこういう問診を受け慣れていない私は、全然うまく話せなかった。なんか平気そうに振舞ってしまった。
2回目は産業医。忙しくて家の近くのクリニックに行く暇もなかったので、いやいやながら人事部の、比較的気安く喋れる人に枠を取ってもらう。
でもこの時もうまく"診察される"ことができなかった。気を抜いたら泣いてしまいそうで、むっつり押し黙る私。何しにきたの。
産業医から人事へ、人事から所属部署の上長へ、という流れで話が通ると知った私は、今度は人事部長へ。
結果、約束の1か月を、普段の残業80h→50hにおさめて、部署では何食わぬ顔で過ごした。どうやって30hも縮めたかって、こっそり休日にやったり、「約束の1か月」の後に倒しただけだよ。(解決になってない)
寛解?
でも残業絞ったせいで、よく眠ったせいで、回復した。きっと症状的には軽かったんだろう。つらかったけど。
この数年後にまたぐぐっと忙しくなったときがあったけど、そのときはまたああなるんじゃないかってこわかった。
プロパーの子が早朝から遅くまで会社に居ると、口うるさいおばちゃんと思われてもいい、声をかけてやいやい言うようになった。もう誰にもああなってほしくないと思った。なんか尻すぼみだけど、私は【治った】。
でも、私が思った、言った、言われたことはすごく残っている。
「あの頃よりマシだからなんて思っちゃダメ、私たちにはもう鬱やら適応障害やらへの轍があるんだから、またそうなる可能性は多分にある」
勿論運よくまだなったことのない人にだって可能性あるけど、私たちはいち度そこに行ったことがある、草を踏んでできたみたいに、道筋をつけてしまった。だから、みんなで健やかに生きようね。