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生活のために仕事をしているのか。仕事のために生活をしているのか。

生活のために仕事をしているのか。仕事のために生活をしているのか。

一体どっちなんでしょう?自分は生活のために仕事をしたことがない人です。小さなころから恵まれていて、大人になっても働かないと生活できない。そんな環境にはなかったように思います。仕事も仕事をしていないと何となく社会から見られる好機の目というものが気になるからということも言えます。

しかしながら、家庭をもって子どもを育てる上においてお金の重要性をしみじみ理解して働かないとお金がもらえないということは理解しています。

生活のために仕事をするということは明治ごろからの言葉のように思います。食うために農作業をするというのは江戸時代の庶民の大部分を占めていたことでしょう。しかし、明治になってから第3次産業の増加とともに食うために仕事をするという文化はお金を稼ぐために仕事をする。そのお金で生活をするために仕事をするのだという文化に変わってきたのだと思います。

しかし、生活のために仕事をしているという実感が少ないという自分はおかしいのかと思っては見たものの、太宰治の代表作であり、日本で一番売れている小説である「人間失格」において次のような文章が掲載されています。

人間は、めしを食うために生きているのだ、という説は聞いた事があるような気がするけれども、金のために生きている、という言葉は、耳にした事が無い

https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/301_14912.html

そのあとに「いやまさか」と続いて金のために生きている人もいるかもしれないという一考を太宰治は見せています。

「太宰治」自身、裕福な家の生まれであり、食うに困ったことがないということもあるのでしょうが、生活のために仕事をしているわけではないということが一般の常識として通用するものではないことを「人間失格」の発行部数が訴えかけています。

それでも、食うために仕事はしなければならない人の方が多いのでしょう。自分もその一味であることは言うまでもないのです。

ことさら、今は仕事のために生活をする人も少なくないように思います。仕事をする。一定の決められた時間に一定のパフォーマンスを出すために仕事以外の時間を費やしている人も多く、生活をするために仕事をしているのではなく、仕事をするために生活をしている人も少なくないでしょう。驚くことにその仕事のために多くの時間を費やしているにも関わらず、その仕事をしたくないこととしてとらえている人の数です!これこそが人間が生きる苦しみといえるような「業」を背負って生きている人間たち!ということを言えそうです。

まさか、一定の仕事をしなくても生きていけると思っているのは錯覚だったとは。あるいはやはり資産家の上位のみ仕事をしなくても生きていける。その下99%はみんなしたくもない仕事に生活をささげて今日という人と命を削っているということの事実はやはり人生の残酷さを物語っているといえましょう。

生活のために仕事をしているのか。仕事のために生活をしているのか。

今どちらのために生きているのか、今一度自分に問うてみたいと思います。

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