「かわいそうだね?」「夢を与える」に共通した海外文化。

「かわいそうだね?」「夢を与える」綿矢りさ著を読んだ感想です。正確には「夢を与える」はまだ途中ですがこの2作に共通しているのが日本とは違う海外男性の文化です。

結婚相手や、お付き合いしている女性がいるのも関わらず、違う女性を自分のマンションやアパートに住まわせていることをパートナーである女性から責められるという場面があるのですが、海外の文化では、困っている人を助けるのが当たり前であり当たり前のように、女性と同棲を始める海外男性の2度にわたる登場に綿矢りさはこのような男性に出会ったことがあるのではないか?ということを思いました。

正直、これまで現実世界でも小説の中でも、結婚しているもしくはお付き合いしている女性がいるのに勝手に違う女性のためにアパートを借りて同棲を始めたり、自分の住んでいる住処に女性を住まわせるという経験を聞いたことがなかったもので、「かわいそうだね?」を見たときはなんとなく海外の文化としてそんな感じもあるのかなぁ?と思いましたが、「夢を与える」にも登場するこの文化はなんだか綿矢りさのトラウマを連想させるようにまたこの設定が出てきたのか?なぜだ?と疑問符が浮かびあがりました。

どちらも、生活に困窮している女性を就職したり仕事が安定するまでという理由で恋愛感情ではなく「人助け」の一環としてやっているのだという男性の主張ですが、「夢を与える」に関しては明らかに恋愛関係はあり、これはもう、海外男性が浮気をした時の言い訳のパターンなのではないだろうか?という気さえしてきます。

パートナーから「あの親しそうにしていた女性は何なの?」と聞かれたら「彼女は日本に来たばかりで困っているから、助けてあげているんだ」という善人ぶった言い訳に「へーそうなんだ。じゃあよくしてあげて」という答えが日本各地で海外男性とお付き合いしている日本人女性の間に繰り広げられているのではないだろうか?

もちろん、海外男性に対する嫉妬というのも沸きあがってくるものの、困っている人をみたら助けてあげようという善人思想が刷り込まれた日本人からすると責めるに責められないという絶妙な立場に陥る言い訳である。

特に海外文化というものを知らない島国日本人からすれば寛容な立場をとらないと海外の文化とのギャップに自分がグローバルスタンダードな人間ではなく国際化以前の古びたガラパゴス日本人としての価値観が露呈することを恐れて一歩突っ込んで話すということがなかなかできにくい言い訳でもある。

はるばる海を渡って見慣れない日本という国に重農する外国人を助けようとするおもてなしの精神も顔を出すかもしれない。知るか。

結婚相手でも、お付き合いしているパートナーであれ、安心させてやれ!海外日本関係ない!大事な人を不安にさせるな!レディファーストではなくパートナーファースト精神を養ってから日本に恋!

そんな感じの返答もありなのではと思います。

海外男性は女性に対して優しいから困った人がいると一緒に住んで、生活に困らなくなってきたら巣立つように彼氏の家からいなくなっていく。というのは海外の文化なのだろうか ?ちょっとわからないので有識者の解説を求めます。

ではでは~~。

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