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3.千歩里と咲紀

※こちらの小説は、「リクエシーブ!~receive a request~」の第三話となっております。「リクエシーブ!~receive a request~」はマガジンより読めますので、初めての方はそちらよりお読みいただけると嬉しいです。

第一話「出会い」|前話「2.さがしもの

※「我らシバクロ探偵社」は「リクエシーブ!~receive a request~」に改題いたしました。内容に変更はありません。


 その日咲紀と千歩里に会ったとき、咲紀の右目下に絆創膏が貼られていて、伽音は動揺を隠せなかった。目の下など、女子高生が怪我をする場所ではない。
「ど、どうしたんですか…?」
 千歩里にそっと尋ねる。「腕っ節の強い相手に当たっちゃってね」と苦笑したあと千歩里は、「あ、もちろん故意じゃないのよ?」と焦ったように付け加えた。
「何でも屋、なんて聞こえはいいよね。自分では出来ないこと、解決しろって、無茶な依頼も多いの」
「……たかが部活に、よくそこまで出来ますね」
「そうね。よく出来ると思う。部活だって、思ってないからかも」
「部活じゃなかったら、なんなんですか……」
 伽音が呆れたように問うと、千歩里は満足そうにふふっと笑ってこう言った。
「自己満足」

 シバクロ探偵社の教室奥に貼ってある、校内地図の前に先程からずっと咲紀は立っている。伽音はあれから一週間、部室に顔を出さなかった。本音を言えば次の日にでもすぐに来たいくらいだったが、「案件をいくつも抱えている」と聞いてしまった手前、次の日も来てしまうのは憚られた。
 咲紀は伽音のために校内地図の前に立ってくれているのかもしれない。伽音が部室に顔を覗かせ、咲紀がハッとしたような表情を見せた。それから席を立ち、ずっとだ。校内地図の前を離れない。
 咲紀がポニーテールの結び目に右手をやる。なにかを探るような仕草をしてから、「あ」と、抜けた声を出した。
「赤ペン、なくしたんだった」
「え、そうだったの?」
 咲紀がこちらに戻ってくる。
「うん。いつの間にかなくなってて。多分、ロボリーナを追ってるときに落としたんだ」
「もう、相変わらずあの子は体張らせるわね」
「まあ、それがロボリーナでしょ」
 恐らく案件のひとつなのだろう。伽音にはわからない単語が飛び交う。千歩里が「赤ペン、買いに行く?」と咲紀を気遣う。
「いいかな、伽音ちゃん。咲紀が赤ペン買いに行ってからで」
「あ、はい。……あ、でも」
「ん?」
「そういえば……」
 鞄を手に取り、ペンケースを取り出す。赤ペンを拾ったことを思い出す。そして、それは紛れもなく咲紀と初めて会ったときだ。
「これ」
「あ!」
 咲紀が弾かれたような声を出した。やはり、このペンは彼女のものだったのだ。
「これこれ!」
「やっぱり」
 何故か嬉しかった。同時に、可笑しかった。思わず笑ってしまう。
 一瞬、顔の筋肉が強張ったことを、伽音は見逃せなかった。そうだ、一週間ぶりに来たということは、一週間、学校で誰とも話さなかったということ。笑うのさえ、久しいということ。
 自覚して、本当は寂しくならなければいけないのかもしれない。本当は、悲しくならなければいけないのかもしれない。けれど、伽音は嬉しかった。
 自分にも、学校で笑える場所があること。
「え、どこで?」
「あたし、ここに来る前一度、咲紀先輩に会ってるんです。廊下で。そのとき、すごい勢いで走ってらっしゃったから。そのとき落としたんじゃないですか?」
「あー、もう絶対ロボリーナだね」
「可能性、高いわねえ。ってことはもしかして、アクロバット体験済み? 伽音ちゃん」
「アクロバット?」
「咲紀のアクロバット。ペン落とすくらいだしね。やってるんじゃないの、咲紀?」
「多分、ね」
「アクロバットって、なんですか?」
「あれ? 見てない?」
「はい」
 伽音が返事すると、咲紀が突然立ち上がり、千歩里がその場で中腰になる。咲紀は教室端まで距離を取ると、千歩里目掛けて走り出した。危ない、と伽音が声を出そうとしたそのとき。
 たん、と軽やかに咲紀が千歩里を飛び越える。千歩里の肩を右手で押す形で、咲紀は千歩里を飛び越えてしまった。まるで、馬跳びの要領で。
 これだったのだ。これ、だったのか。伽音も漸く合点する。
 あのとき、不自然に肩を押された気がした。それは咲紀が自分を飛び越えたからだったのだ。
「ははっ、これこれ。避けるより、早いんだよね」
 軽やかに咲紀が笑う。けれど伽音は、穏やかに笑ってばかりもいられない。
「あ、危ないじゃないですか……怪我とかしたら……」
「大丈夫、大丈夫。もちろん周りに危害を加えないこと前提だから」
 ま、伽音ちゃんを台にしちゃったけどね? と咲紀が笑う。そうじゃなくて。伽音が続ける。
「咲紀先輩だって、女の子なのに……危ないですよ、怪我したら」
 嗜めるような伽音の視線に、咲紀は目を丸くした。千歩里も同じように丸くしたが、先に戻ってきてふふふ、と口の中だけで笑い
「女の子、ですって。咲紀」
 お菓子を盗んだ子どものように、口角を上げる。咲紀は罰の悪そうな顔になり、伽音から視線を顔ごと逸らした。急にそっぽを向かれた形になってしまった伽音は、なにかまずいことでも言ってしまったかとスカートを握り込む。少し人と話さなければ、これだ。今まで気づいていなかっただけで、自分はコミュニケーション能力に長けた人間ではないのだと思い知る。
「照れてるの、咲紀」
 千歩里が、咲紀に問いかけるように、伽音に内緒話を打ち明けるように、いたずらに笑った。その顔は姫というより妃に近く、ほっと安心してしまうのと同時に伽音はそれがなんだか可笑しい。
 姫でも、こんな顔するんだ。
 クラスにいるもう一人の姫、相澤の顔を思い浮かべながら、思う。隣で昼食を摂るうちに知るようになってしまった相澤の表情バリエーションは豊かだ。けれど目の前の千歩里の表情を窺うに、相澤にももっと多彩なバリエーションがあってもおかしくはない。
 伽音はいつの間にか、声を出して笑っていた。千歩里も同じように笑い、教室の真ん中で咲紀だけが、恥ずかしそうに頭を乱雑に掻きむしっていた。

# # #

 正午に響き渡る鐘の音に、伽音は起こされた。
 机に完全に上半身を預けて、腕の中にしっかり顔を収めて寝ていたのに、起こされた瞬間にいけない、と反射で教科書を捲り、シャーペンを握る。しかし意識がはっきりしてきた中で教壇から聞こえるはずの先生の声は聞こえず、周りの生徒がひそひそと話している様子を認識し始めてようやく思い出す。
 自習中だった。
 教科担当の先生が風邪のため休みで、自習と知らされたときは伽音もしっかり問題集を取り出して真面目に自習し始めた。しかし向かい合ったページはそもそもその教科担任が今日の授業で復習として進める予定だったページで、自主的にやらなくても次の授業でやるだろう、という空気が教室全体に流れ始めると、ひそひそとした内緒話や手紙の行き来がそこかしこで頻発した。
 伽音も空気に流されて自習するのが億劫になってしまい、ボリュームを絞った周りの雑音に眠気を誘われ、机に沈んだのである。
 もうそろそろ、四時間目も終了する。今日は朝、母親に「寝坊した」と何度も謝られて弁当を持参していない。どうせひとりで食べるのだ。母は伽音が、笑顔に囲まれて弁当箱を開けるのだと思っている。本当は、違う。ひとりで開け、ひとりで眺め、「卵焼き美味しそう」という声は、永遠に聞こえてこない。そんな中で食べるのだ。だからいい。そんなに謝ってほしくない。むしろ謝るのは自分だと、伽音は余計申し訳なくなる。
 購買に行くのは初めてだ。当たり前に昼は混雑していると予想できるので今まで行かずに済んでいたことをいくらか安堵していたが、今日は仕方ない。贖罪の表れなのだろう。母は伽音に、昼食代を千円もくれて、残りはお小遣いにしていいとまで言ってくれた。伽音はそれを、大切に財布に仕舞い、鞄に入れた。昼食代に大切もなにもないかもしれないが、大切に使おう、と決める。
 時計の針が進むにつれて、内緒話は内緒話でなくなっていく。自習時間の終わりが見え、緊張が解れて空気は弛緩する。声のボリュームは少しずつ上がり、皆教科書を仕舞いだす。少し早い昼休みに入りだす周りに対して、伽音は場違いに問題集を広げ、その文字を追った。頬杖をつき、シャーペンを指に挟んで揺らし、決して定刻までは昼休みに入らない。
 伽音は、周りのクラスメイトとは違う。伽音にとって、「昼休みに入る」ということは「弁当を広げる」ことか、「魔法の箱を探しに行く」ということだ。クラス内は昼休みの空気でも、周りの教室が授業中である以上、決して昼休みは訪れない。当然席を立ちあがれないし、教室を出るなど以ての外。
 今はまだ、周りと同じにはなれない。声のボリュームで昼休みの突入を決めてしまえる、周りとは。

 購買は、当然混みあっていた。
 食堂の一角に設けられたそのスペースには疎か、食堂に来たのも初めてだ。入学直後にあったクラスごとの校内探索で一度来た覚えはある。しかし、実際機能している「食堂」に来たのは、今日が最初になる。
 藤ヶ丘学園の食堂は、当たり前に広い。飲食スペースであることを考慮してか、室内は明るく、グループで利用できるような四角い長机から、少人数で利用できるような丸テーブルまで揃えられており、白や薄いクリーム色で統一された食堂はもちろん清潔さにも欠いていない。奥のキッチンからは美味しそうな匂いが漂い、昼休みに入って間もないというのに食堂は早くも賑わいを見せていた。
 購買は、ごく小さなコンビニだった。お菓子の類や嗜好品は置いていないものの、パンやサンドウィッチ、おにぎりと、高校の購買にしてはバリエーションが豊富で、飲み物もお茶、ジュース、コーヒー、紅茶などが置いてある。くるりと裏側の棚に回れば、ノートや文房具も充実していて、そこには咲紀が愛用している赤ペンの姿もある。
 小さなその敷地に、生徒が何人もいて、お互いに体をずらし合わないと通路を通れない。伽音は人波に揉まれながらもパンコーナーの前で立ち止まり、どれにしようか考える。
「あら、伽音ちゃん」
 聞き覚えのある、綺麗な声に呼ばれて、誘われるように振り向くと、そこには千歩里が立っていた。購買に押し寄せる人の波をものともせずに、美しく笑っている。千歩里にはあまりにも似つかわしくない場所で千歩里が笑っていることが単純に違和感で、伽音は率直な疑問を抱いてしまう。
「どうして、いるんですか?」
「え? わたし結構よく来るのよ、購買」
 意外でしかなかった。姫はいつでも専属のコックが調理したものしか口にしないものだ。当然千歩里も、何段にも積みあがった重箱を持参して、水筒には温かい紅茶が入っているものだと思っていた。
「伽音ちゃんは、パンにするの?」
「はい。今日はお母さんが朝、寝坊したってすごく謝ってて。お弁当作る時間なかったみたいで」
 あたしはそんなの、全然気にしないんですけど。言いたい言葉が、喉に引っ掛かる。母親も仕事へ行く支度をしなければならない中でそれでも伽音にごめんねと何度も謝る姿を、再び思い出したからだ。罪悪感に胸を掴まれ、言葉が詰まる。
「いい子なのね、本当に。ねえ、伽音ちゃん。わたしと咲紀、部室でご飯食べるけど、伽音ちゃんも一緒に食べない?」
「え、いいんですか?」
「もちろんよ」
 誰かと昼食を食べること。それは伽音に、しばらく忘れられていた行為だった。途端に嬉しさがこみ上げ、手の中の財布を握り締める。
「パンにするなら、このクリームメロンパンがおすすめよ。中のクリームが甘すぎなくてしつこくないから、口の中に残ることがないの」
 千歩里に勧められ、ひとつはクリームメロンパンにする。もうひとつはふたつ入りのマフィンにして、食べられるかなと思いながらも持ち帰ればいいかとすぐに思い直し、千歩里と一緒に飲み物を選ぶ。
 千歩里は真っ先にグレープ味の炭酸飲料に手を伸ばし、またも伽音を驚かせた。
「炭酸、飲むんですか?」
「ええ。三時間目が体育でね。ずっと炭酸飲みたかったのよ」
 姫ならば、紅茶だろう。譲ってもスムージー、味わいがすっきりしたりんごジュースやオレンジジュースが妥当な気がする。
 炭酸、という姫にはまったくそぐわない選択に、千歩里はお姫さまのようであり、お嬢さまのようでもあるけれど、その実決してそうではないのだろうと、至極当然なことを伽音は思った。同じ世界に生まれついた人間だと思えないほどの美しさや所作をもっていても、恐らくは一般的な家庭(もちろん本当に大豪邸に住む御嬢様だという可能性も捨てきれないが)で生まれ育っているのだ。
 伽音は、落胆するどころかむしろ安心し、親近感さえ覚えてしまう。砂糖たっぷりの炭酸飲料に迷わず手を伸ばすくらいには、千歩里は近しいところにいる。
 伽音は甘いカフェオレを手に取り、ふたりでレジに並んだ。誰かと隣に並ぶことや、笑いながらレジを済ませることは本当に久しぶりで、自然と気持ちが軽くなる。そんな些細な嬉しさすら、伽音にとってはしばらく経験していないことだった。

 千歩里がドアを開けると、金属の擦れる綺麗な音がする。シバクロ探偵社の部室に人は不在で、伽音が最後に覗いた日となにも変わっていないように見える。千歩里は四つの机で作られた島の、奥の椅子に座り、伽音はその向かいに腰かける。
「咲紀先輩は、まだ教室なんですか?」
 昼休みは、すでに十五分ほど経過していた。千歩里と一緒に購買にいなかったということは、咲紀は弁当持参なのだろう。しかしまだ部室に姿がないということは、なにか教室に用事でも残してきたのだろうか。
 伽音の問いかけに、千歩里は少しだけ笑った。
「多分、依頼を少しだけこなしているんだと思う。もう少しで来ると思うから、一緒に待っていてくれる?」
 柔らかい笑みと、柔らかい言葉。千歩里は購入したばかりのパンと炭酸飲料を、触りもせずにまるで、躾を施された幼子のように膝の上に両手を乗せ、背筋も崩さず薄い笑みを浮かべている。
「もちろん待ちますけど……。昼休みも、ですか? 一応、部活動ですよね? 放課後だけの活動じゃ収まりきらないくらい、依頼が多いんですか?」
「そんなことはないのだけれど……。あの子は、責任感が強いから」
 それは伽音にも、なんとなくわかる気がした。「生徒の困りごとを解決する」と銘打っているだけあって、咲紀は自分が怪我してしまうことも厭わないし、千歩里もそれを良しとしている。咲紀には自分から厄介ごとに首を突っ込んでしまいそうな雰囲気すらあり、依頼が絶えないというのも納得だ。自分の時間や自分のこと以上に、きっと咲紀は依頼者や依頼を大切にしている。そしてそれは千歩里も同じで、咲紀のことを了承してサポートするという意思が感じられた。
「伽音ちゃんの『魔法の箱』も、きっと見つかると思うわ。ごめんなさい、すぐに見つけることができなくて」
「いえ。それは全然、気にしないでください。自分で一か月近く探しても見つからなかったんだから、そんな簡単に見つかると思ってませんし……。むしろ、こんなことを引き受けてくださって、本当に感謝してますから。ひとりだったらきっと今頃、心が折れて学校に来なくなっちゃってたかも」
「亜梨沙ちゃんからの、大切な贈り物だものね。連絡はしてる?」
「いえ……。魔法の箱が見つかっていないし、それに今のままじゃ、亜梨沙になにも、話せることがないから……。亜梨沙だって、わたしがたくさん友達を作った藤ヶ丘に、帰って来たいと思うんです。わたしがひとりぼっちのままじゃ、亜梨沙も楽しみにできないだろうし、心配させると思うから」
 亜梨沙からは、ゴールデンウィーク中に国際郵便で手紙が届いた。異国の地から伽音になにかが届けられるのはもちろんそれが初めてで、伽音は緊張しながら封を開けた。
 何枚にも綴られた手紙には、海外での生活をスタートさせた亜梨沙の元気な近況と、連絡先が記されていた。写真もいくつか入っており、変わらない笑顔に伽音は安堵すると同時に、やはりどうしようもない寂しさがこみ上げた。写真は綺麗な風景や、亜梨沙一人で写っているか家族で写っているものだけで、現地の子と仲良く写っているものが一枚もなかったことだけが救いだった。外国は学期の始まりが九月だと聞くし、それは当然なのかもしれないが、それでも伽音はほっとしてしまう。
 クラスが違っても変わらず親友でいられたように、もちろん住んでいる国が離れても親友でいられる、という自信はある。けれど自分には友達が一人もいない現実で、亜梨沙に友達ができた現状を見せられるのは、寂しさ以前に置いて行かれてしまいそうな、心許ない気持ちになってしまう。
「多分亜梨沙も、それはわかってるっていうか、気づいていると思うんです。だからきっと、気を遣って連絡してこないのかなって」
 返事も、手紙に記されていたメールアドレスへのメールも、伽音は亜梨沙に送っていない。寂しがっているかもしれないとわかっていても、連絡できない自分がいる。
 亜梨沙、どこ? 魔法の箱、さんざん探したけど見つからないよ。それだけでも、連絡はできる。亜梨沙はヒントをくれるかもしれない。でもそれでは駄目だ。伽音がきちんと自分の足で探し、自力で見つけることに意味がある。伽音は、そう思う。
 耳触りの良い金属音がして、伽音は振り向いた。そこには弁当箱を抱えた咲紀がいて、伽音と目が合うとすぐに笑ってくれた。
「伽音ちゃん。いらっしゃい」
「お邪魔してます」
「ごめんね、待っててくれたんだ」
 咲紀が千歩里の隣に座り、漸く全員揃う。伽音が同席していることになんの疑問ももたず、当たり前に受け入れてくれるその姿が、ただただ嬉しい。
「じゃあ食べようか。いただきまーす」
「いただきます」
「いただきます」
 伽音はまず、千歩里が勧めてくれたクリームメロンパンの封を開けた。開けた瞬間に甘い香りが鼻孔を擽り、一口齧るとなるほど、さっくりとしたクッキー生地の歯ざわりがとても良い。そのまま食べ進めると千歩里が教えてくれたクリームに行き当たった。千歩里が言っていた通り、甘すぎないクリームは、甘いクッキー生地とそれから柔らかいパン生地と一緒に含むと、ちょうど良い。
「本当ですね。このメロンパン、美味しいです」
「でしょう? わたしも大好きなの。近所で売ってほしいくらい」
 その言葉を示すように、千歩里も伽音と同じメロンパンを頬張っている。
「咲紀、どう? なにか成果は得られた?」
「ん? うん。ひとつ解決したよ。ほら、落とし物探してほしいってやつ」
「ああ。キーホルダーですっけ。くまとうさぎの」
「そうそう。さっき渡してきた」
「やっぱり、落とし物とか探し物とか、そういうのが多いんですか?」
「うん。八割から九割は落とし物や探し物かな」
「そうなんですね。おふたりはどうして、シバクロ探偵社をやっているんですか?」
「懐かしい質問ね。ね、咲紀」
「あははっ。ほんと、懐かしい」
 藤ヶ丘学園高等部には、「空き室部」という特殊な部活動が存在する。「第二の帰宅部」とも呼ばれる空き室部の活動はその名の通り、「空き教室を利用すること」。藤ヶ丘学園は、とにかく建物が大きいため、高等部には使われていない空き教室が多数存在する。しかし、空き教室が多いと防犯上の面からも危ないし、管理も行き届かない。そこで作られたのが、空き室部だ。
 空き室部は、ほかの部活動と違って部員が集合することはない。そのため、部員全員でなにかひとつの活動を行うことは、おそらくただの一度もないだろう。それ故部員のほとんどがほかの部員を知らないし、何年生の誰が所属しているのか、詳細を知る者もいない。もちろん顧問もいなければ、部費も出ることもない。
 繰り返すが、空き室部の活動は「空き教室を利用すること」だ。藤ヶ丘学園高等部では、部活動と認められるには十人、同好会でも七人のメンバーが確認できなければ活動を認めてもらえない。そこで空き室部の部員になり、七人未満しか集まらなかったグループは空き教室を利用する名目で、活動ができるのだ。
 空き室部は、その特殊性から他の部活動の入部届とは種類が異なる。グループのメンバー、グループ名、グループの活動目的と活動内容を記入して提出し、その内容が認可されれば晴れて空き室部に入部、空き教室が与えられる。
 グループを設立してしまえばその後は自由で、メンバーの増減も問題なく、その際の届け出も不要。グループを解散する場合のみ、空き教室を返却する届を出す必要がある。
 非常識な活動や、学生としての行いを大きく逸脱した行動、問題さえ起こさなければ、グループが消滅することはないが、逆に一度でも問題を起こせば強制的にグループは消滅、解散となり、空き教室の使用も認められなくなるのだ。
「それで千歩里が、ある日いきなり『空き室部に入らない?』って言ってきてさ。わたし、部活動はするつもりなかったし、空き室部なんて聞いたこともなかったから。びっくりして」
「わたしが空き室部の説明をして、探偵社をやらないかってもちかけたの。今思えば、その当時読んでたミステリー小説の影響ね、ほとんど。わたしは局長ってタイプでもないし、間違いなく咲紀の方が似合ってたから。話をするうち、咲紀もどんどん乗り気になってくれて」
「千歩里が持ってきた入部届にもさ、最初、『クロシバ探偵社』って書かれてたんだよ。いやいや。『創立者は千歩里でしょ』ってわたしが言って、『シバクロ探偵社』になったんだよね」
 思いがけない歴史を聞かされて、伽音は動きを止めていた。思い出したようにパンを咀嚼して、飲み込む。
「おふたりは、その、昔から知り合いなんですか?」
「ええ。幼馴染なの。わたしたち」
 幼馴染。その言葉に、伽音は自然と亜梨沙を思い出す。亜梨沙を幼馴染と呼ぶには知り合った年数が浅いけれど、その絆に匹敵するほど、自分と亜梨沙の関係性は深いと思う。
 メロンパンを食べ終えて、伽音はカフェオレのキャップを開ける。舌に絡みつく甘さが、何故かちっとも嫌ではない。
 千歩里の炭酸が、もう半分ほどになっている。咲紀が、お弁当の中からウインナーをわけてくれる。どうしてまだ出会ってまもない自分に、こんなに良くしてくれるのだろうと思わないでもないけれど、おそらくきっと、事情を知ってしまったからという義務感からではないと、思える。そう、思わせてくれる優しさが、咲紀と千歩里にはある。
 幼いころの話、藤ヶ丘学園中等部を受験したときの話。咲紀と千歩里のエピソードはどれも楽しく、自分までその場に居合わせたような気持ちになってしまう。
 美しい藤ヶ丘のチャイムを、これほど残念な気持ちで聞いたことは、伽音にとって初めてだった。予鈴が鳴り終わり、三人とも席を立つ。美術棟を離れ、千歩里たちと別れる廊下で、ありがとうございました、と頭を下げた伽音に、千歩里はまたね、と声をかける。
「わたしと咲紀は、いつもお昼は部室で摂っているから。伽音ちゃんも、遠慮せずいつでもいらっしゃい」
「魔法の箱も、探してるから。心配しないで」
 不意に、泣きそうになってしまう。一緒の時間を過ごそうと、誘ってくれるだけでなく、「伽音ちゃんさえよければ」と、変な気遣いを見せないふたりに感動すらしてしまう。
「じゃあ、また明日。来てもいいですか?」
「ええ、もちろん」
「待ってるね、伽音ちゃん」
 きっと咲紀は、待たせる側だろう。そんな小さなことすら可笑しくて、伽音は笑ってしまう。
 教室に向かうまでの足取りが、驚くほど軽い。スキップして走り出し、ドアの前で飛び跳ねてしまいたくなる。
 「なにかを共にする約束」。それがこんなに嬉しくて、心が跳ねてしまうことなんだと、伽音は久しぶりに思い出す。 

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