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noteをはじめたわけ : 編集者の仕事と、自分自身の表現について

はじめまして。
私は川端りつ子といいます。1992年生まれ、今この記事を書いている時点では、26歳になったばかりです。

名前は本名ではありません。仕事は、ウェブメディアの編集者をしています。

具体的に、そしてかんたんに説明すると、

インタビュー記事を企画して、
ライターさんと一緒に取材に行って、
書いてもらった原稿に赤入れして、
世の中に出す

ということをして、お金をもらっています。

「文章」とか「日本語」とかが小さな頃から好きだったので、それに関わる仕事はとても楽しいです。やりがいもあります。

だけど、なんだか物足りなくなって、noteをはじめました。

高校生のころ、作家になりたかった。
短い小説らしきものを書き溜めて、ホームページを作ったりもしました。来てくれる人はせいぜい1日に50人くらいだったけれど。

本を読むのが好きだった。
ライトノベルみたいなものから読みはじめて、乙一とか、石田衣良とか。謎のドストエフスキーブームを経て、友達に勧められた村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』を手に取りました。夏だった。いわゆる純文学というものを読んだのは、それが初めてでした。

それから日本文学を読み漁った。
芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫、谷崎潤一郎。泉鏡花に、夏目漱石、志賀直哉。中でも好きになったのは、川端康成です。

部活にも入らずに本ばかり読んで、国語の成績だけは良かったけれど、それ以外は散々なもの。
数学なんて、テストで40点以上とったことがなかった。

大学は、数学なしで受験できるところを探し、なんとか上智大学の文学部に進学しました。

書き散らした長編小説は、結局完成しませんでした。
そしていつか、書くことさえやめてしまった。

大学時代はとにかくたくさん合コンをしました。商社マンや広告代理店、時には野球選手や芸人、某男性アイドルグループのメンバーとだって。

人間って面白いな、と思いました。
それまでの人生で拾い集めた、嫌なところといいところを、たくさん持っている。

この時のことは、いつかもっとnoteにも書きたいなと思っています。

その後の就職活動は、うまく行ったともいえるし、行かなかったともいえます。

ある大手広告系企業に入社しましたが、一年でやめてしまいました。
なんとなく「クリエイティブなかんじ」に惹かれていたけれど、そのクリエイティブさすら自分の中で言語化できていなかった。そのくせ、「思っていたのと違う」といっちょまえにふてくされたのです。

今勤める会社とは、そんな遅れてきた反抗期の時代に出会いました。
「僕も、新卒で入社した会社を一年でやめているから、気持ちはよくわかる」
と、人事のSさんは言いました。
「川端さん、うちの会社に来ない?」

そして、私は1社目の会社を辞めました。辞めるまでには何度も話し合いをしました。会社は採用にも育成にもお金をかけているので、一年でやめられてはたまりません。考え直すよう、説得をされました。

だけど、私の心はもう決まっていたのです。会社には申し訳ないけど、私の人生だから。そんなふうに考えながら、どこか意気揚々としていました。

新しい会社は、最初の会社よりずっと小さかったけれど、仕事はそれまでやっていたものより断然楽しかった。自分の作った記事が世に出たときは感動したし、たくさんの方に見てもらい、反応があるのはうれしかった。

だけど、人間は欲深いものですね。
私は、高校生だったあの頃、感じていた気持ちを思い出してしまったんです。

「編集者」は、自分のメッセージを伝える仕事ではありません。あくまで、誰かの思いを伝える手伝いをする。それをたくさんの人が見てくれるよう、「編集」する。

だけど、できるなら、私の思いだって誰かに見てほしい。そう思ったのです。ほんの少しでいいから、私の感じたことを知ってほしい。
そして、少しでも「いいな」と思ってほしい。

だから、私はnoteをはじめました。
これから、短い小説や、エッセイなんかをあげたいと思っています。

何を書くか、書けるのかは、まだ少ししか見えていません。
こんな私ですが、お付き合いいただけると、とても嬉しいです。






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