うちの嫁はん

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うちの嫁はんとは、1年半前くらいに知り合いました。お互いの友人を通して、知り合ったのですが、大の日本ファン。11歳年下で、75000人のフォロワーを持った猫を飼っています。人当たりがよく、さみしがり屋。家事は全く向いていません笑。コロナの自宅隔離中でメタボ化。歩くナショナルジオグラフィックといっても過言でないほど、生き物や植物に詳しく、珍しいものを見つけると、とりあえず勘弁してくれという生き物まで、持って帰ってきます。

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彼女は嚢胞性繊維症という難病を抱えています。日本では聞き慣れない病気で、すごく簡単に説明すると、様々な病気にかかりやすく、治りにくい体質です。イスラエルでは医療に詳しい方は、よく知られている病気で、白人に多い病気だそうです。見た目は全く普通の元気なよく喋る女の子ですが、毎日の投薬やヘルスケアがとても重要で、健康すぎる僕の数年間分くらいの薬の量を毎日飲む必要があり、肺に粘膜が溜まらないように、機材を使って、肺にマッサージをし、粘膜を咳と一緒に取り除く必要があります。そういった体質から、嫁はんは嗅覚を10代の頃に失っています。

付き合いだした頃、そんな病気のことを、はっきり言わなかったのですが、ある日、彼女の家に寄ったところ、見知らぬ男と2人っきりでベッドに座っていて、浮気か!と思ったら、彼女のヘルスケアの治療師でした笑。その際に彼女の健康の問題に触れて、聞き慣れない病気に、わかったようなそうでないような。あんまり気にせず過ごしていました。日常の生活もさほど病気を機にすることはあまりなく、強いていうなら、体が強い方ではないなという程度。年の離れたカップルだったので、彼女の両親や親族は、最初は反対モードでしたが、会うたびに仲良くなっていきました。

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昨年11月に突然、深夜に吐血をし、体調を崩して病院に駆けつけたことがあり、病院ではなく、彼女の健康管理を心得ているご両親の元にひと月ほど、自宅治療をすることに。そこから彼女のヘルスサポートについて向き合うことになっていきました。私も多忙の時期で日々の仕事をこなすので精一杯の時期でありながら、空いた時間は彼女の実家があるレハビムという私の家から車で1時間半ほどの距離を頻繁に往復。彼女が元の生活を取り戻す上で、僕が彼女の健康のサポートを学んでいく必要があり、また僕が肺のマッサージ治療をしていく必要が明確で、そのケアを嫁はんや嫁はんのご両親から学んでいました。そんな生活をしていると私も疲労がたまり、軽いお酒の席の後、路上でぼてっと倒れてしまいました。

これが彼女と生きていく上で、今までと同じような生活のリズムは続けれないという、私が長く続けた公邸料理人というお仕事を離職した大きな理由です。公邸料理人の仕事は自分の時間があまり持てない仕事です。料理に携わったことのある方はお分かりいただけると思うのですが、厨房にいる時間も長いですし、なんせ1人仕事なので料理を凝れば凝るほど、自分の時間なんてなくなりますし、忙しい時期はひと月ほど外に出ないような生活をしてきました。また住居が公邸内にあるということが、プライベートの維持がなかなか難しく、普通の夫婦生活は不可能だなと感じていました。そんな中で彼女のケアをしながらどう生活していこうかというのが、大きなテーマになり、僕自身も大きな決断をしていかなければならなくなりました。

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ひと月ほどの実家での治療を終え、2人で生活がきちんとできる大きくはないですが、アパートを新しく借りて2人の新しい生活が始まったのですが、やはり仕事を終えてヘトヘトの身体で嫁はんの治療サポートを行うのは慣れていない分、大変でしたが、日々こなしていく中で大分慣れてきた頃、気分転換にベルリンに住む従姉妹の家に遊びに行くかという事になり、チケットを購入したり、旅行計画を2人で立てたりと、ワクワクしていた中、嫁はんのおばあちゃんが体調を崩し、急遽、旅行をキャンセルし、病院に向かう事に。嫁はんのおばあちゃんは知り合った頃からすでに車椅子生活だったのですが、彫刻家で非常にインテリな人だったので、私も大好きな人でした。可愛い素敵な笑顔で、いつも嫁はんの実家に行くと迎えてくれていました。若い頃の写真を見せてもらったことがあるのですが、かなり美人でした。そんなおばあちゃんのことでしたので、急いで病院に駆けつけたのですが、嫁はんは病院には持病の関係で、長く滞在できません。多くの病人がいる病院は彼女にとって、非常に危険な場所で、悲しむ嫁はんを連れて、実家で待機。

翌日の早朝、おばあちゃんは息を引き取りました。悲しい時間でした。ユダヤ教の葬儀を終え、お悔やみに来られるおばあちゃんの友人や親族を迎えるために家で準備。1週間かけて、自宅に様々な人が来ます。僕たちは翌日に帰宅したのですが、振り返ってみると、この頃から嫁はんの家族に、家族の一員のように扱われ始めたと思います。

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数週間後に、僕も大きな決断をしました。嫁はんと一緒に生きていく道を作ろうと思い、離職を大使に伝え、帰宅後に嫁はんにプロポーズをしました。嫁はんは相当嬉しかったらしく、その数分後には家族から祝福のメールラッシュ笑。。たまたま僕が嫁はんにプロポーズした日がおばあちゃんの誕生日でした。全く知らなかったのですが、それがおばあちゃんの死の悲しみが大きな祝福という喜びに変わったようです。

嫁はんの病気のことは、今日まであまり話さないようにしてきましたが、2人で話し合った結果、悪いことをしているわけちゃうねんから、隠さなくてもいいやんという事に。僕は付き合いだした頃から、嫁はんの病気に関しては全く気にしておらず、むしろ家を散らかさずに掃除しろよ怒とそっちが気になります笑。

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オープンにすることで、いろいろな事を言われます。同情されることもあれば、逆に悪意を感じることも言われます。嫁はんの抱える難病は、この国では障害者扱いになり、様々な特権を嫁はんは持っています。例えば順番に並ばなくてよかったり、治療費を国が負担してくれたりなど。ただ生活は自分自身で支えなくてはなりません。基本的に彼女はよっぽどのことがない限り、順番に並びます。コロナ感染から最近は数回、その特権を薬局などで使いましたが、知り合ってから彼女が身体障害者カードを提示したのはここ最近です。車椅子などに乗っていれば多くの人が障害者としてサポートの必要性を理解してくれますが、嫁はんの場合、見た目が普通なので、障害者カードを見せないと全く伝わりません。そのせいか、カードを見せても、心無い言葉が帰ってくることもしばしばあります。そういうこともあり、比較的、病気のことは隠す面がありましたが、最近のコロナ感染の問題で、それどころでなかったのが正直なところです。

僕たちがオープンにしたのは、嫁はんと同じ病気を持った人や、見えない障害を持った方々が多くいるという事、多くの人に理解してもらいたいというより、嫁はんと僕の生き方が、そういった人たちに良い影響が与えれたらということを考えた上です。特に同情させたいわけでもなく、変なこと言われても気にしてませんが、朝が大の苦手な嫁はんが、起こすと病気を理由にして起きないことは確信犯なので、そこは気にしています笑。





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