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p.4【研究】なぜポル・ポトは知識人を虐殺の対象としたのか?

私は「なぜポル・ポトは『知識人』を虐殺したのか-農本主義革命の帰結」と題した研究をしていました。そして、先日、半年間に及ぶ研究を終え、無事、成果論文を提出しました。そのため、今日はその研究について書こうと思います。

知識人虐殺が起こったのは1970年代のカンボジア。
そして、知識人を虐殺した政権の指導者、ポル・ポトとは、カンボジアの比較的裕福な家に生まれ、フランス留学を経験することができたほどの優秀な知識人でした。
そして、そのポル・ポトが政権を握った時、知識人を虐殺するという残虐な政策が行われました。
彼らにとって知識人とは、単に知識や教養を持つ人だけではなく、ラジオを聞く人、眼鏡をかけている人、少しでも外国語を話せる人などまでもが知識人とされ虐殺されました。
では、なぜ、ポル・ポトは知識人を虐殺する必要があったのか?研究してみて、私が出した答えは2つ。

1つ目は、ポル・ポトらにとって知識人は思想改革が容易な存在ではなかったため。
ポル・ポト政権が掲げる理想の国家は農本主義の国。つまり、知識人は高い知識や教養を持つため、この政権にとって反対派となり、理想国家建設の阻害要因となると考えられたということです。

2つ目は、ポル・ポト自身が優位に立って革命を成功させるため。
ポル・ポト自身が知識人であり、留学に行ったりと人々よりも優位に立てることが多かったと思います。しかし、そのポル・ポトの地位を脅かす存在が、知識を持つ優秀な知識人。だからこそ、彼は知識人を殺害することで、革命を成功させられると考えたのだと思われます。
しかし、この負の歴史を乗り越えたカンボジアで、現在、フン・セン政権による独裁化が進んでいます。そのため、この虐殺の歴史が繰り返されることが懸念されます。
このような悲惨な虐殺などが起こった後の平和構築や、和解方法がご専門の、私の担当であったC先生と、もっと議論して、もっと色々考えたかったのですが、半年という期限付きの研究であり、私の研究テーマに対する答えは見つかったため、私のインディペンデントリサーチは幕を閉じました。またいつか、個人的にこの研究の続きの幕を開きたいと思います。

最後に、C先生、本当にありがとうございました。私が半年間頑張れたこと、今も研究したいという想いを持てていること、興味感心知識の幅が広がったのは、紛れもなく先生のおかげです。
また、C先生と何か熱い議論ができるように、私自身最強の知識人になりたいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

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