10 ストーム・ストーン・スリリング

「すごい雨だ」

 そう声に出せば本当に、すごい雨なんだと再確認する。窓に叩きつけられる雨粒はどれも大粒の真珠よりも大きくて、大きな音を立てて弾けて消える。安アパートがこんな大雨、耐えきれるのだろか。外壁の大きなひび割れを思い出して深くため息をつく。

 思えばここ最近、こんな天気ばっかりだった。そろそろ寝ようかと思って布団に入ろうとすると途端にザァと雨が降る。屋根も壁も何もかもが薄っぺらいこの部屋で、一夜を過ごせるのだろうか。

 毎晩の悩み事はそれくらいで。あとは将来に対する漠然な悩みくらい。でもそれはもう時間が解決してくれるとしか思えない。なあなあで就活なり勉強なりして、企業に就職するなり大学院に進学するなりして。

 こんな時に吸う煙草ほど美味いものはなかった。今が良ければそれでいいんじゃない? そう考える。今さえ良ければ。今のこの一瞬に幸せを見つけることができれば。ニコチンが肺を満たしてくれる幸せを噛みしめていた。

 ざあざあと自然の騒音を聞いていると心が穏やかになるような、ささくれだつような。このままで良いのかと不安になるときもあれば、これが安寧の地だと落ち着くときもある。全部がまちまちだ。まちまちな人生。ムラだらけ矛盾だらけ。

「どうにもならないなぁー」

 声に出すとなんだか間抜けで、それがすこしおかしくて笑ってしまった。火花が弾けるみたいな粒の音、このまま屋根が崩れて下敷きにでもなったら人生は思わぬ方向へ進んでいくのだろう。そのまま命を落とすも良し、生き延びて半身不随になるも良し。うーん、どっちも捨てがたい。潔く死ぬのも醜く生きるのも好きだ。

 天気が悪くなるとセンチメンタルになるらしい。やはり農耕民族は太陽の下でしか生きられないと言うことがわかる。こればかりはどうしようもない。太古の昔に刻まれたDNAは今、書き換えることは許されていないらしい。どうやって書き換えるのかもわからない。

 このまま大雨が続ければ人間は少しずつおかしくなってしまうのだろうか。私のような人間が少しずつ増えていって、無気力な駄目人間の集団へと化してしまうのだろう。ああいやだ。この国は終わりだ。憂うことはあっても変えようとはしない。ゆっくりと水たまりの中に沈み込んでしまうのだろう。

 一息。白い煙が口から出る。昔はドライアイスの塊をふざけて舌の上に乗せてみたりしていたが、それと少し似ているような気がしなくもない。今では有毒を吸ったり吐いたり。これは成長なのだろうか。命の灯火を削りながら生きるなんて矛盾の塊だろう。けれど大人になればなるほどそういう面倒くさいことが増えてくる。好きじゃないのに好きと言ったり、嫌いじゃないのに嫌いと言ったり。行きたくも無い行事に参加して楽しいと言わされたり、行きたい行事に限ってつまらない事件が多発したり。子供の頃のように無邪気で純真な気持ちはどこかへ忘れてしまったようだ。

「ちょっと! またこんなところに閉じこもって!」

 玄関が騒がしい。キンキンと甲高い声には聞き覚えがあった。バタバタ土足で上がってきたのは見覚えのある女の子。

「なんだよ、趣味なんだからいいじゃないか」

「何回も言ってるでしょ。精神衛生上悪いって」

 また煙草なんか吸って! そういって口先に加えた煙草まで奪い取られてしまった。灰皿に押しつけられたまだ吸えそうなそれをじっと見つめていたら彼女が盛大にため息をついた。

「あのねえ、気持ちはわかるよ? でも毎日利用するのは逆効果だって」

 腕を引っ張って無理矢理立たされる。そのままぐいぐいと外へと引きずり出される。外は大雨――ではなく。人工的な光に包まれた清潔感あふれる廊下だった。窓から見えるのは息をのむような満点の星空だ。小さな岩の粒がコツコツと窓に当たるが、そんなものは日常茶飯事。

 しばらくの沈黙。彼女は私が話し出すまで何も言わないつもりなのだろう。深々とため息をついて頭を掻いた。

「わかったよ。悪かったって」

 『大学生三年生・梅雨・大雨モード』を切断した彼女は怒ったような顔で(メチャクチャに怒ってはいるのだが)私の腕をきつく握った。

「しばらくは煙草もやめて」

「それは約束できない」

 センチメンタルな気持ちは吹き飛んで、今はただ夕食のことだけしか考えられない。彼女の手料理は世界で一番美味しかった。

「仮想現実が現実になる瞬間が怖いな」

「毎日使ってるからそういうこと言うんだってば」

 私が一言漏らすたびに彼女は目くじらをたてる。確かにそれも一理あった。

 もう二度と体験できない日本の四季を体験できるリラクゼーションルームは未だに若者の間で大人気だった。わざわざ私も連日予約して利用する身だ。地球に隕石が衝突してはや一億年。次の安寧の地が見つかるまでの宇宙船生活は悪いものではなかった。着々と人種がおり混ざって、新しい種族としてのんびりと時間を過ごしていた。

 その過程で、娯楽として生み出されたこのリラクゼーションルームに私は取り憑かれていた。見たこともない、感じたこともない日本という地に憧れ、焦がれ、虜になっていた。

 大学生という不思議な役職も面白い。社会的な責任があるわけでも無し、かといって好き放題するわけでも無し。今の私には理解できるものではなかった。その課程でタバコというものも知った。

 さて、そろそろ現実のことでも考えようか。今までの学生ごっこはもうおしまいだ。彼女の料理ほど現実の私を癒やしてくれるものはないのだから。

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