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04 蛾が止まった鉛筆とキャンプ場

 ぶるると身震いしてくしゃみをひとつ。夏とはいえ、夜の山奥は冷えるものだ。望遠レンズをのぞき込んで、それからのんびりと小さなコンパクトチェアで伸びをする。ぎしりと嫌な音がするけれど、気にしない。これが唯一の楽しみだから。長年愛用している安物だけど、親しみの方が勝る。ジジジと赤道儀が鳴った。先輩から譲り受けたものだ。そろそろ買い換えなきゃと思ったものの、コンパクトチェア同様愛着が湧いているからなかなか捨てられないのだ。

 毎年賑わっているこのキャンプ場でも、どうしてか今日はあまり人がいなかった。小さな子供の明るい声や、賑やかな人の声。嫌いじゃないんだけどな。テントもぽつりぽつりとある程度。全部のテントは明かりがすっかり消えていて、星空を撮るにはもってこいだったけれど、すこし寂しかった。

 新月。俺を照らすのは星光り。赤色に光るコンパスで方角を確認しながらのんびりシャッターが切りきれるまでを待つ。

 シャッター速度はそこまで長くはない。三十秒。けれど、スマホもテレビも使えないこの野外では一時間でも二時間にも感じた。ぼうっと手にした鉛筆をもてあそぶ。もう片手にはバインダー。コピー用紙を挟んで何を書こうか迷っている最中だった。

 書く内容はいつも決まっていない。とりとめも無いこと。思ったこと。考えたこと。もしくは何かのイラストとか。

 望遠鏡の絵は描き飽きたし、カメラも何度も模写はした。星空は写真で撮れるし、特に描きたいものはなくなっていた。心の底で小さく波立つものをすくい上げる子のわずかな時間が俺のささくれだった気持ちを溶かしてくれるようだった。さて、今日は何を書こうか。……そう考えているうちに一枚目のシャッターが切られる音がした。うん、なかなかいい写りじゃないか。どれ、今度は角度を変えてもう一枚。

「うおっ」

 手元に違和感。思わずコンパスの光で照らすと鉛筆の先に拳ほどの大きさの蛾が止まっていた。明らかに山からの客人だ。山奥なものだからこれくらいのことで驚いていてはいけないのだが、こんなにも近距離で見ることになるなんて。

 鉛筆を取り落としかけるものの、いま落としたらこの蛾がどこに飛び立つのかわからない。それに顔めがけて飛ばれたらたまったものではない。慎重に慎重に姿勢を崩さず、蛾を刺激しないように光を当てないようにした。虫の習性なんて知ったものではないが、蛾はなんとなく光に寄ってくるようなイメージがあるから、外した。蛾はいつからそこにいたのだろうか、ぴったりと鉛筆の先端に羽を休めたままぴくりとも動かなかった。

「お前も星を見に来たのかな」

 ふとその吐いた言葉がどこか引っかかって、無性に書き留めたくなった。鉛筆に止まった蛾。満天の星空。どうしても偶然以外の言葉で表現したかった。書きたい。けれど、蛾が。ううん、もどかしい。

 どうしたものかと心の中で頭を抱えていると、カシャリとシャッターが切れる音。もう三十秒が経過したみたいだった。一瞬の出来事のように思えて仕方がなかった。

 その音に驚いたのか、バサバサと大きな音を立てて蛾が飛んでいってしまった。顔面直撃は免れたが、頬をかすめてどこかへいってしまった。一瞬。また山へ戻ったのか、それとも他のテントの様子でも見に行ったのだろか。どっちにせよ、もう俺には関係のないことだ。

 また、写真を確認して、角度を変える。新しい景色へ。

 静かな世界で、俺と、蛾と。

 コピー用紙にそれらを書き殴って、またチェアに深く腰掛ける。文字はゆがんでいるのだろうか、読めないんだろうか、それも、太陽が出るまでわからない。それが面白いのだ。

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