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07 ばあちゃんの家

 田舎のセミはしつこく鳴く。いや、都会もそうだけど。でも、感覚的に田舎に行けば行くほど一匹の鳴いている長さがどんどん長くなっているような気がしてならない。

 みーーーーんみんみんみんみん。

 ほら、長い。それにしつこい。それに比べて都会のセミはあっさりしている。シュワシュワシュワ。ジュワジュワジュワ。たくさんのセミが一気に鳴くから気分がうっとうしくなるだけで。田舎は、たった一匹のセミが精一杯頑張っているような気がする。都会がオーケストラなら田舎はストリートミュージックだ。どっちも僕は好きだけど。いや、そういう問題じゃない。

 とにかく僕が言いたかったのは田舎のセミはびっくりするくらいに長く鳴くってこと。みーーーーんみんみんみんみん。

 ばあちゃんの家は無人駅を降りて一時間に一本のバスに乗って、山の方へ向かったさきにある一軒の家だ。大きな門があって、それは教科書の挿絵にあった羅生門にそっくりだった。もっと小さい頃に羅生門を知っていたらあの門には出入り口があって老婆が住んでいると信じてやまなかっただろう。

 大きな家だ。昭和初期から一度も建て直さずにここまできた歴史がぎっしり詰まった屋敷とでも言うのだろうか。

 お盆は家族全員集合してこのばあちゃんの家に戻ってくる。親戚が全員そろう、一年に一回の大イベントだ。さっきも叔父から頭をぐしゃぐしゃになでられた。

 そんな喧噪が過ぎ去って、一段落。縁側で僕はぼうっと庭を眺めているところだった。大人達は夕食の準備や世間話で忙しいらしい。いとこ達は携帯ゲームに夢中。僕は一応一番兄さんで、年の近い子はいないから夕食までの時間は宙ぶらりんになるのだった。

 縁側から見る庭が好きだ。腰の低い植え込みの向こうには無限の青空。ぱっきりと分かれた青と白は鮮やかで、どこかまた懐かしい。

 毎年眺めるこの景色が一生続いてくれると、信じていた。

「かき氷、たべるかね」

「うわっ」

 いつの間にかとなりにはばあちゃんが座っていた。もっと詳しく言えば、ひいばあちゃん。ひいじいちゃんは五年前に死んだ。すっかり頭は真っ白で背も大分縮んだようにも思う。布みたいなワンピースを着て、腰を直角に折り曲げたばあちゃん。嫌いではなかった。唯一気に入らないのは急に気配が消えることだろうか。ふっとばあちゃんがいなくなる瞬間。もう二度と会えないような気がして寂しくなってしまうのだ。

「かき氷、ばあちゃん作っちゃるけんのう」

 毎年、ばあちゃんのかき氷を食べている。手回しで、取っ手が銀色の古めかしいかき氷器でゴリゴリと氷を削り、上からシロップをかけてくれる。透明なお皿はキンキンに冷えていて、うっかり取り落としてしそうなくらいだ。

 同じくらい冷えた銀のスプーンで掬って食べる。縁側はちょうど日陰になっていてひんやりと気持ちよかった。

「トモヒロ、お前将来何になりたいんや」

 ばあちゃんは僕が食べている最中に横から口を出す。梅干しを食べた後みたいなしわしわの口。笑っているのか泣いているのかわからない皮膚に埋もれた目元。ばあちゃんの体から線香の匂いがした。

「まだ決まってないよ」 

 手に着いたシロップを丁寧になめとってからぶっきらぼうに応える。まだ高校受験も終わっていない。将来の事なんてずっとずっと先の話だと思っていた。

「はやめに決めといた方がええ。そのぶん頑張れる時間がいっぱいあるけぇのぉ」

「うん、そうだよね」

 わかっている。そんなことくらい。けれど、どうしてもスーツを着て会社へ向かう父さんみたいに僕がなれるとは思えなかった。僕は将来、何になるんだろう。わからないけれど、ワクワクする気持ちと不安な気持ちがぶつかり合って、変な感じになった。

「ばあちゃんは、応援しとうよ」

「ありがとう、ばあちゃん」

 僕が横を見るとばあちゃんはもうすでにどこかへ行ってしまったみたいだ。線香の残り香が確かに鼻の中で残っていた。そんなに早く動けたっけ。そんなことを考えても答えは出せそうになかった。手のひらに残った溶けかけのかき氷はまだ冷たいまま。

「トモヒロー! 買い出し行くから着いてきて!」

 母さんの声が聞こえる。返事をして立ち上がり、かき氷の器を置きに行くために台所へ。もう夕食の準備はできていたらしく、がらんとしていた。立ち上るおいしそうなおかずの匂い。サンドイッチ、ミートボール、パスタ、回鍋肉、野菜炒め、おにぎり……乱雑にいろいろな料理がずらりとならんでいた。

 台所に置かれっぱなしの木の椅子に、ばあちゃんが座っていた。

「応援、しとるよ」

 くしゃりと顔を丸めて笑ったばあちゃんが、どんどん薄らいでいくのがわかった。気配が消える瞬間。とてつもない不安に押しつぶされそうになった。

「ばあちゃん、待って!」

「トモヒロ、どうしたの?」

 何もないところに手を伸ばす僕の背後から母さんの声が飛ぶ。支度が遅い僕の様子を見に来たのだろう。

「だって、ばあちゃんが」

 僕は混乱していた。もしかして、よく怖い話で聞く、あれなんじゃないか。死ぬ前に見える、幻覚みたいな。

「ばあちゃん? 今は昼寝してるじゃないの。夕飯になったらケロっと起きてくるよ」

 

 夕食時、ばあちゃんはケロっと起きてきて食卓の誕生日席で誰よりもご飯を食べていた。僕が昼間の話をすると「この家はあたしのもんだから自由に移動できるんよぉ」と、入れ歯を飛ばしながら笑っていた。


 

 

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