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仲間の愛

 前回の記事では崩壊したダルクでの生活のことを書きました。

 そのダルクを僕は奇跡的に円満に退寮し自立ができる東京の上野のダルクに移ることになります。今日はそこでの生活、夢にまで見た一人暮らし、そして五年ぶりの薬の再使用について書いていきたいと思います。

 上野のダルクに移ってからの生活はガチガチに管理された生活で苦しいものでした。あの荒れ果てた山の上のダルクよりはマシでしたが良い思い出はほどんどありません。ダルクは良い思い出を作るところでもないのですが回復という観点から見てもあまり充実した成果はありませんでした。そこで回復と成長を見出せなかった自分のせいもあるのですが。

 でも、そこのダルクでは障害者手帳の二級の申請をしていただき障害者年金の二級をいただけることになったのです。そのことには本当に感謝しています。

 その上野のダルクに三年くらい居て生活保護ではありますがアパートを借りて夢だった一人暮らしが始まることになります。ダルクにはもう10年くらい居たので自分の城が持てるということは本当に夢のようなことでした。アパートでの一人暮らしは始めは本当に楽しくてキラキラ輝いていました。ダルクで一緒だった仲間がアパートに泊まりに来てくれたり、仲間のアパートに泊まりに行ったり本当に夢にまで見た生活が始まったのです。

 でもその頃の自分の回復のモチベーションは「もうダルクには戻りたくないから薬は使いたくない」というものでした。それほどダルクでの生活は長く苦しいものでした。そのモチベーションも決して悪くはない歯止めだったとは思うのですが、それでは続きませんでした。ある時から生活が乱れてきて一人暮らしができるようになった感謝の気持ちを忘れて行ったのです。薬物依存は感謝の気持ちを忘れたり回復のプログラムの実践をやめてしまうと薬を使わなくても症状が悪化してしまう病気です。少なくとも僕の場合はそうでした。

 そんな一人暮らしの生活が荒れ放題になり生き方も悪化していき二年半が経った頃、僕はまた薬を使ってしまうことになります。薬を使わない期間はそれでも5年間続きましたが。使った薬はその頃に流行っていた危険ドラッグでした。ネットで出会った女性の家で使いました。そのうち自分一人でも使うようになりどんどんハマって行くことになります。その頃の危険ドラッグは今まで使ったどんな薬よりも強烈で危険なものでした。ヘロインよりも強烈だと言っていた人もいるほどです。そんな薬を昼夜問わず使い続けました。女性と一緒に性的なことに使ったり売人と一緒に使ったり、そういう人たちがアパートに出入りしていました。

 部屋にはデリバリーしたピザの箱が積み上げられ部屋は土足になり酷い有様でした。その頃のエピソードはたくさんあって書ききれないほどです。一つだけ書くとしたら、女性の前ではとても言えない恥ずかしいことをしてその動画をフェイスブックに投稿してしまったことがあります。父親とも友達になっていたからさあ大変です。本当に恥ずかしい思いをしました。催物で仲間と会った時に「あの時、お父さんは心配していたんだぞ」って言われました。ちなみにその動画のことは最高の芸術作品だと思っていたんだから本当に狂っていました。

 そんなめちゃくちゃな状態の自分でしたが、その時も仲間は親身になって見守ってくれて寄り添ってくれました。薬でおかしくなっている僕にフェイスブックのチャットや電話で朝まで付き合ってくれました。その時に仲間がかけてくれた「回復に関心を持ちなさい」という言葉がとても心に響いたのを覚えています。今でも大切にしている言葉です。「止まらないからこそ、正真正銘のアディクトだと、自信を持ちなさい!w」こう言われたのもなんだか嬉しかったです。「あなたもNAをやれば変われる。正直に生きると薬より解放へと導かれるよ。楽しく最後まで生きれる様に望みは捨てない事だ。なんかあれば、結局は、仲間だよ!」そう言葉をかけてくれました。

当時の仲間からのメッセージ

 こんなこともありました。僕が薬を使ってダルクとNAのミーティングから良いメッセージをもらって帰ってきた後に机の上に散乱した大量の薬を目の前にして使うか捨てるか迷っていた時のことです。仲間に電話して言われたことはシンプルでした。

 「使えば解決するの?」

 その言葉を聞いた時、「ああ、そうだな。使っても何も解決しないな」と思い散乱した大量の薬をトイレに流せたことがありました。仲間は何もかもわかっていたのです。薬を使う使わないだけではなく、僕の解決しなければならない問題はもっと根深いところにあって、それを解決しないといつまで経っても生きづらいままです。薬を使っても解決しないし、薬を使わなくなっただけでも解決しない。そこに問題が残ったままなのです。その根深い生きづらさの部分はたぶん一生をかけて取り組んで行く課題です。

 薬で狂っていたとはいえ、そこまで親身になってくれる仲間との関わりの中で僕の中の何かが変わったと思います。仲間は僕を助けることで自分自身の回復を保つことができることをよく知っていました。僕は以前、こんなツイートをしました。

 『この20年間、仲間との関係性の中でしか生きて来れなかったのは自覚しています。仲間との関わりの中でしか回復はあり得なかったのも知っています。自分の回復を保てなかったのは仲間からもらった回復を次の仲間に渡してこなかったから...なのも認めます。だからいつかまた仲間の中に戻りたいです。』

こんなツイートをしたこともあります。

 僕が依存に苦しんでいた時
 仲間は経験を語ってくれた

 薬を使って
 ミーティングに行ったら
 おかえりなさい
 と言ってくれた

 僕は生かされた
 だから
 苦しんでいる仲間がいたら
 同じことを返したい

 こういう意識が本当の意味で芽生えたのはこの頃だったと思います。仲間が身をもって教えてくれたのです。

 ここまで書いてきましたが、そんな仲間の親身のサポートを受けながら僕はこの後、二回目の人生の底つきを経験することになります。長くなってしまったのでそのことは次回の記事に書きますね。今も苦しんでいるアディクトに言いたいです。どうか助けを求めてください。自分だけで抱え込まないでください。仲間を頼ってください。そこに出口はあります。

 結局は仲間でした。
 仲間を恨んだこともあります。
 疎ましく思ったこともあります。
 でも結局は仲間でした。
 自分から遠ざけない限り
 仲間はいつも共にいてくれます。

 どうか手を伸ばしてください。
 助けを求めてください。
 そこには愛があります。


 読んでいただきありがとうございました。

絵も描いているよ♡

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