りお

ほっこりほのぼの絵を描いています。

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ほっこりほのぼの絵を描いています。

最近の記事

導かれて

こんにちは。 お元気ですか? 久しぶりの記事になります。 今日は絵を描き始めた5年前から今日までのことを書きたいと思います。 絵を描くことは今では趣味以上のものとなり人間的にも成長させてもらえる大切なものとなりました。 そのことを長くなるかもしれませんが書いていきます。 2018年10月17日のことです。 iPhoneの中に写真が残っていました。 なんとなく思いつきで100円ショップで画材を揃えて描き始めました。「コンビニでちょっとジュースを買ってこようかな」それと同じ

    • ひとつの夢に包まれて

      ※夢で見た光景を物語にしました。 以下は創作文です。 僕には「レン」という弟がいました。 彼は幼少期にドラッグをやりながらめちゃくちゃな生活をしていました。 レンはその頃の苦悩をネットで書き綴っていました。 その日記が話題になり、出版されました。 絵本にまでなりたくさんの音楽雑誌などにも取り上げられました。 芸能人やミュージシャンと写った写真が雑誌に載りました。 レンは有名人になったのです。 有名人になってもレンの苦悩は消えませんでした。 ますますドラッグにのめり込み幼少

      • 命のリレー

         僕も回復のプログラムに繋がって25年。紆余曲折、様々なことがありました。辛いこと苦しいこと、たくさんありました。何度も再発もしました。素晴らしい回復の喜びも与えてもらいました。そこには仲間がいてたくさんのサポートを受けてきました。  こんなツイートをしたことがあります。 「この20年間、仲間との関係性の中でしか生きて来れなかったのは自覚しています。仲間との関わりの中でしか回復はあり得なかったのも知っています。自分の回復を保てなかったのは仲間からもらった回復を次の仲間に渡

        • 永遠も半ばを過ぎて

           永遠(とわ)も半ばを過ぎて体力も衰えてきました。生き方も考え方も年相応かどうかはわかりませんが変わってきました。  若い頃は体力が有り余っていて、その有り余った力をどこに向けていいのか分からず暴走していました。有り余った体力を上手く使えていなかったのです。  若い頃のことを思い出しこんな詩を書いたことがあります。 イキすぎだ!ヤりすぎだ!スピードを落とせ! オレは神だとガナりたて強化ガラスにダイブする オレがヤらなきゃ誰がヤる!断崖絶壁から飛び降りろ! 今日も懲りずに

        導かれて

          手放して与えられた命

           過去の記事にも書いたように僕の人生は薬を中心に回っていました。使うために生き、生きるために使うことの繰り返しでした。薬を使うこと、より多く手に入れることに執着していました。頭の中は薬を使うことでいっぱいで大切な人たちまでも巻き込んでいきました。僕の生活の大部分は薬で占められていたのです。  僕は薬を使った時、パズルのピースが嵌るように心に空いていた大きな穴が埋まった気がしました。痛みを伴う空虚さを埋めようと必死でした。薬を使ってようやく普通の感覚になれたのだと思います。

          手放して与えられた命

          あなたに生かされた命

           前回の記事では5年ぶりの再使用、仲間の愛について書きました。  仲間の献身的なサポートを受けながら僕はこの後、二回目の人生の底つきを経験することになります。今日はそのことについて書いていこうと思います。  僕の危険ドラッグの使用はどんどん加速していきました。どんどん追い詰められて行っているのに止めることができなかったのです。そんな生活が続いたある日、強い危険ドラッグを量を間違えて大量に摂取してしまいました。オーバードーズです。座椅子に座って胡座を組んだまま意識を失って1

          あなたに生かされた命

          仲間の愛

           前回の記事では崩壊したダルクでの生活のことを書きました。  そのダルクを僕は奇跡的に円満に退寮し自立ができる東京の上野のダルクに移ることになります。今日はそこでの生活、夢にまで見た一人暮らし、そして五年ぶりの薬の再使用について書いていきたいと思います。  上野のダルクに移ってからの生活はガチガチに管理された生活で苦しいものでした。あの荒れ果てた山の上のダルクよりはマシでしたが良い思い出はほどんどありません。ダルクは良い思い出を作るところでもないのですが回復という観点から

          仲間の愛

          崩壊した施設で

           前回の記事ではどん底を抜けた先のダルクでの人生の再出発について書きました。今日は施設移動した先でのダルクでの生活について書いていこうと思います。  前回の記事で書いたダルクの責任者の仲間から「りおは時間がかかる。とことん付き合うから」「そうだ。ここがお前の家なんだよ」と言ってもらったにも関わらず今までいたダルクを僕は後にすることになります。「煮詰まってしまった」というそれだけの理由で。煮詰まっていても嫌な思いをしていても、それを抱えながら嫌な気持ちを持ちつつ続けて行くとい

          崩壊した施設で

          どん底からの出発

           今日はいよいよ八方塞がりのどん底からどのようにして回復していったのか書いてみようと思います。前回の記事はこちらです。  実家にもインターネットで出会った友達の家にも居られなくなりダルクに助けを求めました。あれだけ嫌だったダルクに助けを求めたのは自分でも意外でした。  ダルクでの生活が始まりました。  初めは薬が止まりませんでした。でも仲間は温かく見守ってくれました。ミーティングで使ったと告白するたびに笑顔で拍手をしてくれてハグをしてくれたのです。何度使っても仲間はチャ

          どん底からの出発

          出口はある

           今日は東京で何もかも破綻し実家に戻ってきてからのことを書きます。今回も重い内容なので無理だと思ったらすぐにこのノートを閉じてください。  東京から実家に連れ戻されて、命が一つあるだけで何もかも失った気分でいました。借金の肩代わりや全ての尻拭いを両親にさせてしまいました。自尊心なんてものも全て打ち砕かれていました。鬱状態が酷く寝返りを打つのもしんどかったのを覚えています。ずっと部屋に引きこもりインターネットをしながら精神安定剤と市販薬を乱用する日々が続きました。その頃のイン

          出口はある

          どうか生き延びて

           今日は高校を卒業してからのことを書いていこうと思います。重い話になるので無理だと思ったらすぐにこのノートを閉じてください。  高校生の頃の記憶はほとんどありません。どうしようもないクズ学校だったからです。生徒も教師もバカを通り越してクズばかりでした。はっきり言ってこの三年間は時間の無駄でした。ここで文字数を割くのも勿体無いのでこれ以上は書きません。  高校を卒業して東京の専門学校に行くために上京しました。今では死語になったマルチメディア系の専門学校です。でもその専門学校

          どうか生き延びて

          怖くてもいい強がる必要はない

           今日は小学生から中学生の頃のことを書きます。  その頃の記憶もあまりありません。でもその後の人生に大きな影響を与えることがありました。小学生の頃は勉強はあまり好きではありませんでしたが毎日が天国のように楽しかった記憶があります。学校が終わった放課後に友達と野球をしたり他愛のない遊びをしたり子供じみた悪いことをしたり、毎日が夢の中のようで、この楽しい毎日が永遠に続くかのようにも思っていました。とにかく遊ぶのが好きで友達から「遊びの王様」と言われたのも覚えています。  でも

          怖くてもいい強がる必要はない

          そこにあった愛

           幼少期から保育園の頃の記憶です。  ほとんど忘れてしまいましたが覚えていることを書きます。  僕は8人の大家族の家に生まれました。母さん、父さん、ばあちゃん、じいちゃん、大きいばあちゃん、姉ちゃん、妹、僕の8人家族です。「ちこ」という真っ白な猫も飼っていました。僕は虫や動物が大好きでした。  それでは覚えていることを箇条書きにしてみますね。 ・母さんが毎日、寝る前に布団の中で絵本を読んでくれたこと。 ・父さんが毎日、街灯の下にカブトムシを獲りに連れて行ってくれたこと。

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          プロローグ

           僕の世界を知ってほしい。  僕がこの世界に生きていること。この世界と僕はどんなふうに繋がっているのか。この世界で僕とすれ違ってきた人たちのこと。今もこの世界で僕と関わってくれている人たちのこと。  そしていつかいつか。  君の世界が知りたい。君の世界と繋がりたい。  この世界で君と一緒に生きてみたい。  僕の生い立ち。苦しかったこと。どんなことに心を動かされてきたか。病気のこと。今のこと。ゆっくりゆっくり綴っていきます。  たくさんの人に読んでほしいけれど、たった

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