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生きることの意味を無理に探さなくたっていい

こんばんは。Rioです!
産業カウンセラーの勉強をしておりますが、
「自殺」というのは大きな社会問題です。

ここから少しシリアスなお話です。

私の血の繋がった父は
ほぼ生き別れ状態でした。
会ったのも数えるほど

一昨年の春
父は一人で自分の命を絶ちました。

「ごめん」という遺書が
残されていました。

私の心の中は
「私が何かしていれば結果は違ったかも」
という99%の自責の念と
「ごめんと思うくらいなら
生きていてほしかった」
という1%の怒り

それと同時に
「なんでこんな辛い思いを
しなくてはいけないんだろう。
なんのために生きているのか分からない。」
という猛烈な「無」という境地でした。

「生きるのが辛い。」というよりかは
「生きるのが面倒くさい。
生きることに興味がない。」
そんな感じでした。
恐らく「無」は危険な境地なんだと思います。

でもそんな時にかけてもらった言葉が
「あなたがお父さんの分まで
人生を楽しんでください。
それがお父さんへの一番の供養です。」

その言葉でその時の私は救われました。

どんなに人から
「あなたのせいじゃないよ」
と言われようとも、私には免罪符はなく
きっと死ぬまで心の中の十字架を
降ろすことはできないと思っています。

でも私が寿命を全うできた時に
「私は人生をがむしゃらに楽しく生きたよ!」と天国の父に笑顔で会えるように・・・

一生懸命に自分の道を生きていきたい。
私が今を大切にするのは
そんな幻想的な想いが少しだけあります。
それでも立派な原動力です。

ぶっちゃけ今でも
生きる意味なんか分かりません。
でも私が一生懸命生きている一日が
自分の道を楽しんでいる一日が
きっと誰かの為になっている
と信じています。

辛かったり悲しかったら
「死にたい」とつぶやいていいと思います。
悔しかったら
「クソ」ってドアを蹴っていいと思います。

でもあなたが生きてくれる1日が
きっと誰かが生きるための
「何か」になっていると
私は思います。


あなたが目を瞑った世界を
私が諦めるわけにはいかない
私が想う楽しい世界を
創って生きたい
泥沼に咲く一輪の蓮のように
がむしゃらに美しく

今回noteを書いたのは
試験勉強の中の「自殺」という言葉で
父の死を鮮明に思い出しました。

書くのはすごく辛かったですが
(泣きながら書いてました)
私と似た境遇や気持ちを持っている方の
前を向くきっかけに
少しでもなればと思ったからです。

長い内容でしたが
最後までお読み頂きありがとうございます!

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