私は貝になりたくない。
私は貝になりたい、という有名な映画があるが、
私はある日貝になった夢を見た。
息苦しさを覚えて目を開けた私。
その眼前には楕円形でこげ茶色の濃淡がマーブル状になった二枚貝と
そのすき間からぐったりと水管を垂らし、うつろな目で遠くを見ている
アサリたちの姿だった。
寝っ転がっている態勢を立て直そうとして手足を伸ばす。
が、・・・動かない。
動かそうとしても手足が反応してこない。
不審に思って視線を自分の手足の方に目を向けた時、
自分自身も周囲のアサリたちと同じ貝殻をまとっていることに気が付いた。
「私は貝になった」
このあり得ない状況を、私はすぐさま理解し、
そして思いのほかすんなりと受け入れた。
映画や小説の影響もあってか、このフレーズと状況を
「あり得るもの」として認知してしまったのかもしれない。
それほどショックもなく、今の自分が置かれている状態を
冷静に確認できる精神状態でもあった自分にやや感心していた。
私たちは同じ場所に数十匹。
白い床、白い壁に囲まれた場所にいる。
やや冷たい水で満たされていて
どこからか水が注がれているのだろう。
その水は、澱んではおらず自分の体の倍ほどの水深があり
水面の先には、注意深くこちらを観察する人間たちの姿が見えた。
水槽の外は非常に賑やかで絶えず明るい音楽が流れ、人通りも多かった。
どこかの小売店の鮮魚売り場。
私たちは、売り物として人間たちの品定めを受けている。
そんな状況だった。
数時間後、私と周りの貝たちは
透明なトレーのような容器に居場所を移された。
どうやら買われたようだ。
人間の家に着くと初老の女性が私たちを取り出すと
水道の蛇口から出る水を私たちに浴びせながら
貝殻と貝殻をこすり合わせるようにして洗う。
洗われている時の貝殻同士がこすれる耳の奥まで響いてくるゴリゴリという音には閉口したが、その後は新鮮な塩水に満たされ、
静かで暗い、まるで海のような環境で夜を迎えることができた。
穏やかな夜だ。
先ほどまでは遠くの方で人間たちの話し声が
聞こえてきていたがいつのまにか就寝したのだろう
今 聞こえてくるのはリビングの時計の秒針が刻む
カチ…カチ…という音くらいだ。
私は深呼吸をした。
体の奥にたまっていた砂が水管から出てくる。
体内をスッキリとさせ、リフレッシュした私は心地よい睡魔に襲われる。
何も考えたくない。
何も考えつかないのかもしれない。
遠くをぼーっと見つめながら眠りに落ちていく。
隣の隣にいたやつが元気よく水面の外へ水を吐き出していた。
次の日の朝、目が覚めると塩水から出された。
水がないととても息苦しい。
せっかく一晩 体の中にたくわえた塩水が漏れ出てしまう。
不快に思っていると今度は温かい湯に入れられた。
貝になってしまってはいるが、私は風呂は好きだ。
昨日の夜を穏やかに過ごしすぎたためか思考がはっきりしないが
なんだかとても心地よい。
貝も人間と同じように風呂に入るのだろうか。
ともあれ、この極楽な状態を私はとても気に入った。
いや、極楽だったがどうも湯が熱い。
床の方からどんどん熱くなっている。
熱い風呂は好きだがものには限度というものがある。もう少しぬるくしてくれないだろうか。
ダメだ、熱い。
床からくる熱で自分の貝殻に触れると中身の体がヤケドしそうだ。
熱い、助けてくれ。
たまらず私は閉じていた貝のフタを開けた。
開けた途端、さらに熱い湯が私の貝殻の中に入り込んでくる。
熱湯を浴び、激痛に叫びをあげようとするが声が出ない。
そうか、貝は話せないのか。
煮え立つ湯の中、周りの仲間が虚ろな目で沸騰する泡に
身を任せてる姿を見たところで私は夢から覚めた。
私は、貝にはなりたくない。
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