note連続小説『むかしむかしの宇宙人』第82話
星野さんと荒本さんと入れ替わるように、お父さんと健吉が隣にやって来た。バシャリが明るく言った。
「周一、お世話になりました。あのとき周一が下宿させてくれなければ路頭に迷うところでした」
「いいんだ」
お父さんは一言だけそう言い、それ以上言葉を継がなかった。でも、わたしにはわかる。
二人に会話なんかいらない。そのまなざしで、ありったけの気持ちをかわしているんだ、と。
ふいにお父さんが健吉の背中を押した。
「ほらっ、贈り物があるんだろ」
緊張した面もちの健吉が、ためらいがちに一枚の紙をさし出した。バシャリの似顔絵だった。
背広の上から腹まきをまいたバシャリが、満面の笑みを浮かべ立っている。
「私ではないですか。これを頂戴できるのですか?」
健吉がこくんと頷くと、バシャリは感激の息を吐いた。
「素晴らしい似顔絵ですよ。ありがとうございます。これも私の宝物にしますよ」
すると健吉が前を見据え、必死に声をしぼり出した。
「バッ、バシャリ……今まで、ありがとう」
めったにしゃべらない健吉の言葉にみんなが驚き、一斉に注目した。健吉はひっくひっくと力いっぱい涙をこらえていた。
けれど耐えきれずにぼろぼろと涙をこぼした。
「健吉、泣いているのですか。たしかに別れとは悲しいものです。泣きたいときは泣きなさい。私も一緒に泣きましょう」
バシャリがおいおいと声をあげて泣きはじめた。あまりに豪快な泣きっぷりにみんなは苦笑いを浮かべる。
だが、太郎、次郎、三郎、節子、順子とマルおばさんの子供たちが「行かないで」とえんえん泣きはじめ、それに近所の子供たちも加わった。
しんみりした空気が伝染するかのように、一人、二人とすすり泣くと、最後にはみんなが涙目になった。マルおばさんも号泣していた。
わたしは心に空洞ができたように、ただぼんやりとその様子を眺めていた。
たっぷり別れを惜しむと、宴会はさらに盛り上がった。荒本さんが近所の人たちに円盤に関する講義をはじめ、爆笑の渦がまき起こった。
なぜか興味を示したマルおばさんは、その場で研究会の会員になった。おじさん連中は浴びるように酒を飲んだせいか撃沈し、あちこちから高いびきが聞こえる。おもちゃ箱をひっくり返したみたいな騒ぎになった。
騒ぎまわって疲れた子供たちを隣の布団部屋で寝かせる。こうなることを見越して、ありったけの布団をしいておいた。
健吉が寝息をたてたのを見届けてから、注意ぶかくふすまを閉めて廊下に出ると目前に壁があった。
ひっと悲鳴をあげそうになるのをどうにかこらえる。壁の正体は、バシャリの胸板だった。
「驚かせないで。何かあったの?」
「幸子、行きましょうか」
「どこに?」
「このまま円盤で故郷に帰ります」バシャリは厳粛な面もちで答えた。
にぎやかに宴が続く公民館を二人でそっと抜け出した。バシャリは両手に大きなふろしきをぶらさげている。
みんなからもらった餞別だ。どこに行くのと訊きたいけれど、のどにふたをされたように声が出せなかった。
着いた先は、近所の児童公園だった。くさりかけた板塀が、満開のさくらを囲んでいる。
そうか、さくらの季節だったんだ、とその風景にしばし見とれた。
「やあ、実に見事なものですよ。このさくらは日本にしかないそうですね。辺境で何もない国だからこそ、これほど素敵な植物を神様は与えてくれたのでしょう。
実に、粋なはからいです」
バシャリがしみじみと言った。ふと我に返ると、わたしは尋ねた。
「ここで何をするの?」
「何をって、ここに円盤を保管していたのです」
「ここに?」
ぼろぼろのすべり台と鉄棒しか目に入らない。どこからどう見てもただの公園だ。
「幸子、ちょっと離れてください」
言われるままにうしろに下がった。バシャリが片膝をつき地面に手を置くと、その部分がぼわっと光った。
その直後、光が噴水みたいに地面からふきだした。あまりのまぶしさに目を閉じた。ようやく明るさに慣れたので、ゆっくりとまぶたをあげる。
目前の光景に息が詰まった。
そこに、円盤があった。
直径は三メートルほど。鏡を液状にしてそれを塗ったかのような、一点の汚れすらないぴかぴかの銀色。
横から見ると皿を上下合わせたように対称で、上部では青白い光が点滅していた。
外周は、世界一正確なコンパスで描いたように完璧な円形だった。まさに、円盤だった
わたしは唖然とした声をもらした。「……本当にこんな形してるのね」
バシャリは誇らしげに言った。
「アナパシタリ星では、想像が現実になりますからね。宇宙のどの星の子供も、想い描く空飛ぶ円盤の形はこれですよ」
わたしは円盤をさらに観察した。車みたいにエンジン音も振動もなく、立体の絵を眺めているような感覚に陥る。
ハッと周りを見回した。街中にこんなものがあらわれたらとんでもない騒動になる。すると、バシャリが諭すように言った。
「大丈夫ですよ。他の人間には円盤は見えません。幸子にだけ見えるように視覚波長を変えています」
ほっと緊張の糸をゆるめると、バシャリは早速円盤の点検をはじめた。バシャリが上に飛び乗っても、円盤はぐらつくことなく静止したままだ。
あらゆる角度から調べ上げ、時々眉をしかめては円盤にふれる。すると、その箇所がぽっと青白く光った。
あまりに不可思議な光景を、わたしは放心したまま眺めていた。
しばらくすると、バシャリが安堵の表情を浮かべた。
「どうやらどこにも大きな故障はありません。いやあ、良かったです」
そして、なごりおしそうにわたしを見た。
「幸子、いよいよお別れです。今までお世話になりました」
お別れーー目前にせまった現実に立ちつくした。
「立ち寄る予定ではなかった地球ですが、これほど楽しく充実した日々を送れるとは思いませんでした。
すべて幸子のおかげですよ。本当にありがとうございました」
バシャリが、深々と頭を下げる。
何を言ってるのよ。ありがとうが言いたいのは、わたしよ……
そう、言いたかった。けれど、どうしても声にならなかった。わずかでもいいから間を延ばしたくて「そうだわ」と、買いものかごからおはぎを詰めた弁当箱を手渡した。
「これっ、帰り道にでも食べてちょうだい」
バシャリはむしゃぶりつくようにふたを開け、「おはぎではないですか!」と感激をあらわにした。
「最高のお土産ですよ。帰り道に美しい星々を眺めながら頂戴いたします」
バシャリが円盤のふちに弁当箱を置くと、弁当箱は音もなく、するんと中へと吸い込まれた。バシャリが満足そうに腹まきをなでる。
「幸子の腹まきとおはぎに、星野の小説、健吉の似顔絵、すべてが私の宝物になりました」
「……良かったわね」
「ええ、これで何も思い残すことはありません。では、ラングシャックでエネルギーを回収しますか」
ラングシャックという言葉に思わず反応した。
「そうよ。一体、ラングシャックはどこにあるの?」
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