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加藤大治郎〜130Rに「74」は消えず〜

チーフメカニックの山路※に声をかけられ、加藤大治郎は目を覚ました。ピット※の壁際のベンチに仰向けのまま、ゆっくり息を吐く。
※山路敏幸 97年〜98年のカストロールホンダのチーフメカニック
※ピット  サーキット場の車両の整備施設
レース前によく寝れるなとスタッフには言われるが、レースが近づけば近づくほど、眠くなるのだ。身体中の細胞が泡立って、溶け出すような気だるさと気持ち良さ。いつか山路に話したこともあるが、分からんと一蹴された。

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1997年、鈴鹿で行われた全日本ロードレース選手権の初戦を大治郎は欠場していた。直前に交通事故を起こし、大腿骨を骨折したのだ。
だから今日の菅生サーキットでの第2戦が大治郎にとって初戦だった。
ベンチに仰向けのまま、配管が剥き出しの天井を見つめていると、なぜかホッとする。
「足は大丈夫か?」
山路の言葉に小さく頷いて大治郎は上半身を起こした。頭を掻くと、大きなあくびが漏れた。「そろそろテストだ。サスペンションは若干硬めにしてある。シケイン※でのバタつきに気をつけろ」
※直線の後にある小さなS字カーブ。
着ていた白のパーカのフードが首に巻きついている。払うと、どこから紛れ込んだか、桜の花びらが一枚はらりと膝に落ちた。
それをつまんで、スタンドに固定されたNSR250※に近づく。
※この時期、大治郎が乗っていた2スト250ccのレーサー
「山路さん、タンク開けてよ」
「なんだ?ガスの残量なら確認したぞ」
「いいからいいから」
山路が蓋を開けたタンクの中に、大治郎は花びらを落とした。それを見て山路が慌てたように言う。
「おいおい、変なもん入れんなよ。ホンダからの借りもんだぞ」
「大丈夫だよ、山路さん。NSRも日本製でしょ?きっと桜が好きだよ」
山路が苦笑する。
「ったく。お前としゃべってると調子狂うぜ。レース前だってのに、まるで緊張感がねぇ。そろそろツナギ(レーシングスーツ)を着てくれよ」
壁に掛けたレーシングスーツに大治郎は足を通した。
山路さん、そんなに気張ることじゃない。
初戦のポイント※なんて大したことじゃない。
※ロードレースは一戦一戦のポイントで争われる
こんなことは、ちょっと散歩に行くのと一緒だ。

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NSRに跨り、ヘルメットのシールドを閉めると、いつも少し世界が暗くなる。隣りで、スロットルを細かく回して、エンジンの吹けを確認している山路を遠くに感じる。
「もういいよ、行ってくる」
大治郎の言葉に山路が頷いて手を上げる。メカニックスタッフが左右に分かれ、前が開けた。
クラッチを離してアクセルを開けると、NSRはスッと前に出た。宙に浮かした足をステップに乗せ、車体を左右に振る。軽い。いい感じ。2速に入れてアクセルを捻るとカーン!というエキゾーストノートと共に車速が上がっていく。ゆっくり行こう。やや上体を伏せ、4速80キロでピットロード出口のホワイトラインを突っ切る。
「随分安全運転じゃねぇか」
コースに飛び出していく大治郎の後ろ姿を眺めながら山路が呟く。
「でも、大治郎は速いですから」
スタッフの言葉に山路が笑う。
「知ってるさ。あいつは寝ながら走ったって速いんだ」

6速全開150キロ。
ホームストレートを走りながら、鼻歌が漏れる。
100キロを超えたあたりからエンジンがややぐずる。戻ったら山路さんに言わなくちゃ。
第1コーナーが迫り、中指と人差し指でブレーキを握り込むとディスクローターが悲鳴を上げた。腰をズラして車体を倒し込み、バンクしたまま第2コーナーのインへ突っ込む。アクセルをじりじり開くと、唸りながらNSRが車体を起こし始める。同時にアウトに振られるが、ハンドルを押さえ込んでアクセル全開でコーナーを脱出する。

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蝶が見たいな、春だし。NSRと同じ、白いモンシロチョウがいい。そんなことを思いながら、次の左カーブへ滑るように進入していく。

この年、大治郎はこの菅生での第2戦から第5戦までを連勝し、終わってみれば10戦8勝という圧倒的な強さで全日本250ccクラスを制した。

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その勢いのまま、大治郎は世界選手権の日本GPへスポット参戦した。

3歳で父親から与えられたポケバイに跨った時、「あ、手が生えた」と思った。おたまじゃくしみたいに。
何か、ずっと足りないと思ってた。それがようやく揃って、これで走れる。そう思った。
乗り方を教わり、アクセルを捻った瞬間、周りの景色が後ろに吹き飛んだ。練習で連れて来られた秋ヶ瀬サーキットの第1コーナーがすぐ迫ってきた。曲がり方はまだ教わっていない。見ていた大人達が悲鳴を上げる中、大治郎は身体中の細胞がふつふつ泡立つのを感じていた。気持ち良いその感覚に身を委ねていたら、いきなりわかった。
何だ、そうするのか。
大治郎はバイクにぶら下がるように体を投げ出した。視界が傾き、体がもの凄い勢いで旋回し始める。

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もっと速く。アクセルをさらに捻った瞬間、リアタイヤがスライドし、コースに投げ出された。
痛くて泣きながら、それでも楽しくて笑った。

スポット参戦した日本GPには日本人の強敵が2人いた。
93年に250ccクラスで世界チャンピオンになったアプリリアの原田哲也と、世界GPにフル参戦している同じホンダの宇川徹だった。
予選3位からのスタートとなった大治郎は、先行する2台を後ろから冷静に見ていた。
3台一塊りのまま、勝負は最終ラップまでもつれ込んだ。
ここまではお散歩だ、のんびり行こう。
S字カーブを軽やかに抜け、逆バンクコーナーで2位の宇川のインを突く。しかしアウトから被せられ、抜き切れない。一旦下がってダンロップカーブを抜けた直線でもう一度仕掛ける。インを警戒し、締めに来ると思った宇川がコーナー手前で若干、アウトに膨らんだ。
(宇川さんのコーナーは速いけど進入に癖がある)。
そのままデグナーカーブを抜け、ヘアピンでアウトから2台に並んだ。しかし次の200R※で先行されてしまう。
※〇〇R カーブの半径のこと
まだまだ大丈夫。じゃれながらいこう。
西ストレートを大人しく2人のテールを眺めて走り、さぁここから勝負だ。
130Rをスピードを落とさず、フルバンクから荒々しく立ち上がって得意のシケインに向けて一気に加速する。NSRが一段高い咆哮をあげた。
シケイン直前でフルブレーキングからギャーン!とエンブレを響かせてのシフトダウン。
NSR、いつものダンスさ。
素早く切り返してカーブから飛び出した時には2台のNSRは並んでいた。その先に原田のアプリリア。
最終コーナが迫っていた。アウトから斜めに宇川がインへ突っ込んでくる。それと交差して大治郎は一旦アウトに振ると、素早く向きを変え、インに切り込んだ。しかしインには宇川のNSRがいる。このままでは横っ腹へ突っ込む。その時、宇川のNSRがわずかに膨らんだ。それにより原田のRS250が押しやられる。
大治郎は宇川が膨らんで出来た僅かな隙間にノーズを突っ込み、ゼブラゾーンに後輪を乗り上げながら最終コーナーを突破した。ホームストレートの先にチェッカーが見えた時、目の前から2台のバイクは消えていた。しかし直線はアプリリアが速い。振り切るために、上体を伏せ、チェッカーのその先目指してフル加速する。クアァアァアーン!NSRの長い咆哮が鈴鹿の空へこだました。

NSRとRS250との三つ巴の激戦を制し、大治郎は日本GPも獲った。

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1999年、全日本GP最終戦前日。
大治郎はピットに新しく持ち込まれたNSRに跨り、コアラの子供のようにペタリとタンクに抱きついて、耳をつけていた。鉄の冷たさが頬に伝わり気持ち良い。そのまま眠ってしまいそうだ。

世界最高峰MotoGPクラスで日本人がチャンピオンになること。
それは、日本のモーターサイクル界にとって、見果てぬ夢だった。
そのための階段を大治郎は一段ずつ上がってきた。
3歳でポケバイに跨り、自宅近くのサーキット秋ヶ瀬に通い、のちのWGPライダー阿部典史らと競いながら腕を磨いた。11歳でミニバイクにステップアップした時には、すでに周りに敵はいなかった。
高校生になると、九州・熊本のホンダ系名門チーム「Team高武」に入った。当時、自宅があった埼玉からレースの度に熊本まで飛行機で飛んだ。コースをテストする時間もなく、ほぼ、ぶっつけ本番だった。それでも大治郎の速さは、別次元だった。踊るように軽やかに、カミソリのように鋭く、最短距離でコースを駆け抜けた。後続の見えないコースの上で、当時のマシン、RS250Rとじゃれあってるようにさえ見えた。
1993年、大治郎はGP250、GP125、SP250の3クラスに参戦し、全クラス、全戦全勝で3冠を達成した。
1994年、満を持して参戦した全日本250ccクラスはランキング7位に終わったが、3年後には初戦を欠場するハンディを負いながら、残りのレースで8勝を積み上げ初優勝。そろそろ、世界選手権が見えてきていた。

いつの間にか、眠っていた。
「どこでも寝るって噂は本当だったんだな」
清田※の言葉にあくびで応えながら、大治郎はタンクについた涎を袖で拭った。
※清田幸春 99年のHRCチーフメカニック
「で、どうする?」
大治郎は2台のマシンを正面から見つめた。1台は乗り慣れたNSR。もう一台ほカラーリングも済んでいない、真っ白なプロトタイプ。ゼッケンの貼られてないツルンとしたフロントカウルがピットの照明を弾き返している。
「プロトタイプの方は未調整だが、今季のお前の走行データを全部入れてある。特別仕様だ」
大治郎はいつものNSRのフロントカウルを撫でた。シールドの端のやや内側に窪んだアールが指に心地いい。
今まで一緒に戦ってきたんだ。
「決まってるよ」
「やはり、慣れたやつでいくか。それがいい。今季はヤマハにくれてやろう。来期、プロトタイプを仕上げて逆襲だ」
今季、セッティングに苦しんだ大治郎は最終戦、もてぎを残してランキング2位。YZR250に乗るヤマハの松戸直樹の後陣を拝していた。
「違うよ、コレに乗る」
大治郎は真っ白なNSRを指さした。

大治郎は新しいNSRに跨ると、思い切りエンジンを吹かした。バァアアアアーン!と鋭いエキゾーストノートと共に、タコメーターが跳ね上がる。
「じゃじゃ馬だ。1週目は様子を見て行けよ」
大丈夫。これも、「いつものNSR」だ。
テスト走行1週目、大治郎はピットロードを抜ける前から加速した。ホームストレートに飛び出して6速全開、もてぎの第1コーナーはタイトだ。
さぁ見せてくれ、お前のダンスを。
ブリッピングシフトダウンで減速し、インに肩を入れた瞬間、キュンッ!と新型NSRは向きを変えた。あまりに素早い反応速度に大治郎の体がマシンの外に振られる。体勢を立て直した時には既にマシンは第2コーナー目掛けて猛然とダッシュしていた。
面白い。
シートに腰を乗せ直し、第2コーナーを抜け、第3コーナーではギリギリまで突っ込み、クイックに倒し込んでアクセルを開ける。すぐさま回頭したNSRが野太い吸気音を響かせ、立ち上がりながら加速していく。
もう少し、踊ろうか。
テスト3周目、身を伏せ、NSRと一体となってコントロールラインを突っ切っていく大治郎を清田は呆然と見送った。
手元のストップウォッチは52秒01で止まっている。コースレコードより2秒も速いタイムだった。

ピットに戻って感触を尋ねられた大治郎はうーんと首を傾げた。
「良くなかったか?問題があれば言ってくれ。ギリギリまで調整できる」
コーナ脱出でのフロントのバタつき、サスがやや跳ねる、マシンの挙動に対してハンドルが重い。でも調整すれば牙も削られてしまう。
大治郎は言った。
「コレでいいよ。何もいじらないで」
清田はしばらく大治郎を見つめていたが、やがて苦笑した。
「オーケー、明日はこれで勝負だ。ヤマハの連中に一泡吹かせてやろう」

翌日の決勝、ポールポジション※から飛び出した大治郎の白いNSRは同じ画面にYZRのグリーンを映すことすら許さぬ独走を見せた。
※スタートラインの先頭。予選1位のポジション
勝利数で並んだが、前年の結果が加味された総合ランキングでは2位、松戸に敗れた。
しかし、最終戦での大治郎の圧倒的な速さを目にし、のちに松戸自身がこう語っている。
「あの年のチャンピオンは大治郎だ。誰が見たってそう思う」

レースではライバルも舌を巻く速さを見せる大治郎だったが、ひとたびバイクを降りれば、穏やかな青年だった。みんながワイワイ騒いでいるのを、ニコニコしながら見ているのが好きだった。負けず嫌いではあったが、争いごとは嫌いだったし、人を妬んだり恨むこともなかった。だから大治郎の周りには自然と人が集まった。

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99年のシーズンが終わったある日、スタッフに誘われて大治郎は異業種も集まるパーティーに参加した。
「つなぎで来るなよ」
そう清田に茶化されたが実際、レース漬けの毎日を送る大治郎は、あまり私服を持っていなかった。
仕方ないので、HRCのロゴが入ったTシャツとジーパンで出かけると、周りの男性は皆、スーツかジャケットで完全に浮いていた。清田からは女性と知り合うチャンスだと言われたが、こんなナリで、イブニングドレスの女性達に話し掛ける勇気はない。
隅でウェルカムシャンパンをちびちび舐めてると、赤いドレスの女性から声を掛けられた。ハイヒールを履いてなくても、162㎝の大治郎より背が高そうだった。
「こんばんは、大治郎君。清田さんから聞いたわ」
その言葉に大治郎は清田を探したが、清田は反対側のテーブルで人に囲まれている。
「あ、はい。あのー」
言葉に詰まった。女性はクスッと笑うと、清田さんから聞いた通りだわ、と言った。
「ねぇ君、日本チャンピオンなんでしょ?」
「いや、今年は2位で…」
「レースって怖くないの?」
大治郎はうーんと考え込んだ。
「怖くは…ないです。バイクの上は気持ち良くて安心するんです」
「ママの膝の上みたいな?」
女性が茶化すように上目遣いで笑った。
「そうですね」
大治郎は苦笑した。
それを見て、女性はふーんと大治郎を見つめた。
「わたしのことなんて、興味ないのね」
なんと答えていいか分からず、大治郎は頭を掻いた。

つと、女性が手を伸ばし、大治郎のTシャツのロゴをなぞった。
「HRC、ホンダレーシング。君、ワークスライダーなのね」
「はい」
「どんなバイクに乗ってるの?」
「NSRっていう、250ccのバイクです」
「へぇ…それって、どんな「子」なの?」
大治郎は少し考えて言った。
「スパッと曲がってバーンって。いいバイクです」
「スパッ、で、バーン?」
「はい」
「君の言うことって、全然分からないわ」
「よく言われます」
大治郎の言葉に女性が笑う。
「わたし、真樹子っていうの。父親が清田さんと知り合いで、今日はただの付き添いで来たんだけど、バイクのことは全然わからなくて。清田さんに聞いたら、とびきり話が面白い子がいるからって、君を紹介されたの」
「だったらがっかりでしょうね」
「そうでもないわ」
真樹子の少し汗ばんだ胸元で小振りのネックレスが揺れている。そこから、ドレスに締められた胸の谷間に落ち込む窪み。NSRのスクリーンと同じだ。自然と、目が吸い寄せられた。
「そう。でもわたしまだ、「君のNSR」じゃないわ」
真樹子の声に我に返ると大治郎はあっ!と声を上げた。無意識に、真樹子の胸元を指でなぞっていた。慌てて引っ込めようとした指を真樹子が素早く掴んだ。
「責任、取ってよね」
「責任て…」
困って俯いた大治郎の耳に真樹子は口を寄せた。
「ここは暑いわ。どこか涼しい場所へ連れてって」
その低い声に、体の中がぷつぷつ泡立った。大治郎は真樹子の手を握り返した。
大治郎と真樹子が正式に付き合いだしたのはそれからしばらくしてのことだった。

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2000年、24歳になった大治郎はイタリアのグレシーニ・レーシングと契約し、ついにロードレース世界選手権へのフル参戦を決めた。クラスは250cc。ここで勝てばついに最高峰MotoGPクラスへ手が届く。夢は、そこにある。届かない距離じゃない。

第3戦日本GPでは追い縋る同じNSRの宇川徹とヤマハの中野真矢を最後で突き放し、シーズン初勝利、鈴鹿での強さを見せつけた。

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第15戦パシフィックGP(もてぎ)は、中野真矢との壮絶なデッドヒートとなった。
鋭いコーナーリングからの一気の加速で大治郎が先行すれば、パワーで勝るYZRが直線で抜き返した。意地のファステストラップの応酬が続いた。

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ハイスピードバトルの最終ラップ、ビクトリーコーナーを先に抜けたのは大治郎のNSRだった。チェカーが待つ最後の直線、後ろから猛然とYZRが襲いかかる。大治郎はアクセルをワイヤーが千切れるくらい全開にして身を伏せた。
スピードメーターが振り切れ、小刻みに震える。
空気が壁となり、マシンを押し返し、フロントが浮き上がろうとする。それを押さえつけ前進する。
風切り音とエンジン音の中から声が聞こえた。
「ねぇそれ、落ち着くの?」
モーターホーム※の狭いベッドの中、下になった真樹子がクスクス笑う。
※メーカーが世界選手権を転戦する為の部屋付きの車両
「大ちゃん、こういうとき、必ずわたしの肩甲骨に中指をかけるよね。それで、チョンチョンてやるの」
たしかにその時も、留まり木を掴む鳥のように、大治郎の右手は真樹子の肩甲骨にかかっていた。
骨の曲がり方と太さが、ブレーキレバーに似ているからだと気づいたのは、少ししてからだ。
ふと気づくとチェッカーまで100mを切っていた。YZRは来ない。ミラーは確認せず、伏せたまま大治郎はチェッカを受けた。
結局、大治郎は世界選手権フル参戦初年をランキング3位で終えた。
翌年以降に、期待の持てる順位だった。
この年の8月、大治郎は真樹子と結婚し、12月には長男、一晃が生まれた。

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翌2001年は、MotoGPクラスから戻ってきた原田哲也との一騎討ちとなった。

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生まれたばかりの赤ん坊に頬擦りする大治郎に真樹子が尋ねた。
「その子が大きくなってライダーになりたいって言ったらどうする?」
んー。考えながら大治郎はキュッと赤ん坊を抱きしめる。嫌がって赤ん坊がぐいぐい大治郎の顔を押して、身をのけぞらせる。小さな指が鼻の穴に入って、大治郎は目をしばたかせている。
「一緒に遊べたらいいかな、バイクで」
「レースで勝って欲しいとかは?」
「どうだろうなぁ」
のんびり答えて、大治郎は一晃を高い高いする。
一晃のキャッキャッという笑い声が響く。
真樹子はそれを眺めながら心の中で言う。わたしもよ、レースで勝ってくれなくてもいい。ちゃんと戻ってきて。

始まったシーズンは大治郎の独壇場だった。開幕から4戦全勝で他のマシンを圧倒した。コーナーの切れ味に加えて、ストレートの伸びが増したNSRに隙はなかった。アプリリアの原田がランキングでは2位につけていたが、最終ラップのホームストレート、NSRの後ろにはアスファルトと広い空しか見えないことも多かった。
「コテンパンにやられた」誇り高い原田がそう認めるほど、250で大治郎の敵はいなくなっていた。
この年、年間最多勝記録の11勝で初めて世界チャンピオンになると、大治郎は最高峰クラスMotoGPへの参戦を決めた。

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まずは、MotoGPクラスで1勝すること、それが目標だった。その1勝を積み上げていけば、未だ日本人が成し得ない、MotoGPクラスでのチャンピオンが見えてくる。
階段をのぼってきた。そうして辿り着いた。いつも冷静な大治郎だったが、初戦の鈴鹿のピットでは身震いした。
世界選手権への参戦を決めてから統一している、ゼッケン「74」のステッカーが貼られたNSRを撫でる。排気量は500ccにアップしている。
この年のMotoGPでは今までの2スト500ccに加え、4スト990ccマシンが参戦できるようになっていた。
開戦前から、総合力で上回る4スト勢の有利が伝えられていた。実際、前年の覇者、同じホンダのバレンティーノ・ロッシにはホンダから4ストのRC211Vが与えられていた。しかし、大治郎に与えられたのは2ストのNSR。これで勝負するしかなかった。

待ち合わせのカフェに少し遅れて行くと、大治郎はナプキンに何か描いていた。付き合って間もない頃だ。
「ごめんね」
声をかけると大治郎は顔を上げて笑った。
「待った?」
「全然」
「何描いてたの?」
大治郎がナプキンを見せる。真樹子の似顔絵が描かれていた。
「少し会わないと、忘れちゃうんだ。どんな顔だったかなぁって」
「なにそれ。酷くない?確認だけど、私たち付き合ってるんだよね?」
「何かさ、覚えられないんだよ」
大治郎は手を伸ばすと、さわさわ真樹子の顔を触った。
「ちょ、ちょ。待て待て。目が不自由な人か。見て分かるでしょ!」
「どうかな。見てわかることなんて少ないよ。感触で覚えるんだ」
諦めて真樹子は大治郎の好きにさせた。
「あーあ、大治郎君のために綺麗にしてきたのに。台無しよ」
「そんなのいいから遅れないで来て」
大治郎は手を引っ込めると真樹子を見つめて言った。
思いの外、真面目なトーンに真樹子は頷く。
「会ってる時間が大事なんだ。マシンに乗ったら戻れないから」
「戻れないって…レースが終わったら戻ってくるでしょ?」
「カシャッて音がするんだ。ヘルメットのシールドを閉めると。開ける時も同じ。カシャッ、カシャッ。その間、僕は少しだけこの世界じゃないところにいる気がする」
そう言う大治郎の顔に悲壮感はなく、天気の話でもしているような穏やかさだった。
真樹子は下を向いてしばらく考えていた。
「ねぇ、私も一緒に行く。世界選手権。…大治郎君が、嫌じゃなければだけど」
大治郎は黙ってカフェの外を眺めていた。犬を連れた年配の夫婦が通り過ぎていく。
「あんなふうになれるかな?」
「わたしは大型犬がいいな。毛むくじゃらの」
「前、見えてないんじゃない?っていうような?」
「そうそう。で、子供と、大治郎君と犬連れて散歩するの。おっきな公園を」
「子供!?」
びっくりしたような顔をする大治郎に真樹子は言った。
「あら、驚くの?わたしにあんなことしといて。それともアレは命知らずのライダーさんのただの火遊び?」
大治郎は真樹子の顔を見つめて言った。
「世界選手権、ついてきて。真樹子さんがいたら、そこに戻って来れると思うんだ」
「わかった」
真樹子はナプキンの似顔絵をパスケースにしまった。
約束はしなかったし、できなかった。
必ず戻ってきて、そう約束したとして、それが何になる。自分の言葉が大治郎の夢を邪魔する方が怖かった。
待ってる女なんて柄じゃない。
だから大治郎は戻ってくるに決まってる。1番に、わたしのところへ。

ギョーン!とエンジンが唸りをあげる。
世界選手権第3戦、スペインGP。
戦前の予想通り、4スト勢にパワーで圧倒され、大治郎に未だ勝ち星はなかった。
ヘレス・サーキットの5コーナー、「シト・ポンス」を回り込むと、大治郎はスロットルを全開にした。
前回覇者、ロッシが背後に迫っている。
残り2周、先頭をキープしたまま必死に逃げる。
ホームストレートでピタリと背後につかれ、スリップストリーム※に入られた。左右に振っても振り切れないだろう。
※先行車を風除けにし、スムーズに加速できる位置
ならば力業で引き離す。馬力勝負ならNSRだって負けてない。身を伏せて、内腿をグッとタンクに押しつける。ゾワゾワと鳥肌が立ち、手や腿が、マシンに吸い込まれていく感じがした。
意識がアクセルワイヤーからマシンの中へ潜っていく。キャブレーターから霧状に溶けて噴射され、ピストンを辿ってクランクへ、最後はチェーンから高速で回転するタイヤに巻き上げられて空へ放り上げられた。気づくと1mほど上空から無人のNSRを見下ろしていた。
RC211Vがスリップストリームを飛び出して、一気に並ぶとそのままNSRを抜き去った。
何で自分はこんなところに浮いてるんだ。早くシートに戻らなくては。
その時、無抵抗に抜き去られたNSRがひとりでにクッと横に動いた。
コントロールラインを突破しRのきつい第1コーナーが迫る。RC211Vがフルブレーキングで減速する。NSRはアウトからアクセル全開で突っ込んでいく。
どう踊ればいい?
教えてあげる。
聞いたことのない、けれど懐かしい女の子の声がした。
ふいに耳元に風切り音が戻る。
視界の斜め前、イン側にRC211Vのオレンジの車体が見えた。気づくと、NSRのシートに戻っていた。
大治郎はレイトブレーキから素早く向きを変え、アウトから被せた。これはRC211Vに抑えられ、並んで第2コーナーに飛び込む。バンクしたままアクセルを開けてアウト側のゼブラゾーンを踏みながら立ち上がる。RC211Vも立ち上がってくるが、NSRの方が一瞬早い。ゼブラゾーンを蹴り上げ、コースに戻ると、RC211Vより僅かに先行した。そのままフル加速するが、直線で抜き返される。しかしバックストレートエンドのヘアピンでインを差し、やり返す。
4ストのワークスマシンを駆る王者相手にデッドヒートを繰り広げ、最後は敗れたが、大治郎はこのスペインGPで2スト勢では初の2位表彰台に食い込んだ。

この奮闘にホンダも何か思うところがあったか、第10戦チェコGPからは大治郎にもRC211Vが供給された。

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その初戦でいきなり2位に入り、第10戦、もてぎではついに予選1位、ポールポジションを獲得した。MotoGP初勝利が期待されたが、決勝8周目にマシントラブルでリタイヤ。初勝利はお預けとなった。その後も表彰台にすら上がれないまま、シーズンを終えた。
ルーキー・オブ・ザ・イヤーは獲得したが、ランキングは7位。納得のいくものではなかった。

大治郎は真樹子のお腹に耳をつけた。
「まだ小さいし、わたしのお腹の虫が鳴るだけよ」
「きっと女の子だよ」
「そんな上手く産み分けられるかな。あんまプレッシャーかけないでよ」
真樹子から妊娠の報告を受けたのはシーズンが終わってからだった。シーズン中に、余計な心配かけまいとする、真樹子の気遣いだった。
「声を聞いたんだ」
「声?」
「うん、レース中にね。女の子の声でどこか懐かしかった。真樹子さんの声に似てたからかな」
「またまたー。どっかのお店の子なんじゃないの?」
真樹子が茶化すと、大治郎は大真面目に言った。
「じゃ、産まれてきたら聞いてみよ?」

大治郎は2002年シーズン終了後、肉体改造に取り組んでいた。小柄な大治郎はスケールアップしたMotoGPクラスのマシンをコントロールするのに苦労していた。
テクニックでは負けていない。マシンを自在に操る肉体さえ手に入れば勝負できる。その確信があった。

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そして迎えた2003年。
シーズン初戦の日本GP(鈴鹿)が開幕する寸前に、長女となる第2子凛香が産まれた。退院して間もない真樹子は家で観戦することにし、大治郎は凛香にキスすると手を振って鈴鹿へ発った。

予選は雨。
大治郎は11位と出遅れた。
しかし得意な鈴鹿。やることはやってきた。
焦りはなかった。
決勝は快晴。
いつものように、ベンチで眠り、大治郎は大きく伸びをした。2001年からチーフメカニックを務めるファブリツィオ・セッキーニが声をかける。
「散歩日和だな。ついでに優勝トロフィーももらってきてくれ」
大治郎はおどけて敬礼のポーズを取った。
なんてことはない。
勝って皆んなで喜ぼう。
そして真樹子さんのところへ帰り、凛香にもう一度キスをする。
グリッド(スタート位置)でRC211Vに跨っても気持ちは落ち着いていた。後方からのスタートだが、チャンスがないわけじゃない。ホームストレート前の改修されたシケインがしっくりこないが、慣れるだろう。
まずまずのスタートを切り、先行車をパスしながら、3周目には4位争いの集団につけた。

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まだまだ序盤だ。慌てることはない。
無理せず集団後方でスプーンカーブを曲がって西ストレートでフル加速、一気に4位集団に並ぶとそのまま130Rに突っ込んだ。フルブレーキングで抜けて、先のシケインで突き放す。カーブの出口が見え、アクセルにわずか、指をかけた瞬間、リアががふわっと浮く感触があった。とっさにフロントブレーキを離すと、今度はリアがグリップしてフロントがつんのめった。何とか押さえ込むが、横揺れが止まらない。視界の先を4位集団が走り抜けていく。ここで離されるわけにいかない。
しかしコントロールを失ったNSRは左側へコースアウトしていく。
戻ってきてね。
え?
聞き返した大治郎の耳を掴み、真樹子が言う。
「え?じゃないよ。自分が聞いたんじゃん。いつも言いたくて言えないこと、この際言おうって」
ベッドに仰向けで並び、モーターホームの天井を2人で眺めていた。
「あー、そっかそっか」
大治郎は笑う。
「ダメ。ねぇ、やっぱり今の忘れて」
「え?」
「だって、今まで言わなかったから大ちゃん戻ってきたんだよ。言っちゃったから魔法が解けちゃったよ。あーどうしよう、神様、お願いお願い、今のやっぱりなしにしてください」
「ね、落ち着いてよ、大丈夫だって」
「あーもうこうなったら、大治郎、忘れろ、このこのこの」
枕で真樹子が頭を叩いてくる。それを受け止め、枕ごと真樹子を抱きしめた。
言えないくらい、心配してくれてたんだね。
違うもん。
大治郎はそっと真樹子の髪を撫でた。
しばらくして、押し殺すような真樹子の嗚咽が聞こえた。
「ずっと、怖かった。大ちゃんのこと、好きになるほど…。だからもう、優しくしないでって、何度も思った。でも、ダメだったよ」
「僕は、嬉しいんだ。真樹子さんに会えたこと」
大治郎は真樹子の両耳を掴むと、上にみゅーんと引っ張った。
マシンから振り落とされる瞬間、泣き笑いで怒る真樹子の顔が浮かんだ。
一度大きく地面にバウンドし、140キロでタイヤバリアに叩きつけられた。
「真面目な話してる時に人の耳で遊ぶな!」
笑いながら怒って涙目の、あの時の真樹子さんは綺麗だったな。もう一度見たいな。
タイヤバリア沿いを引きずられるように転がって、タイヤが途切れた先のスポンジバリアに頭から突っ込んだ。

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意識不明のまま大治郎はヘリコプターで三重県立総合医療センターに運ばれた。
駆けつけた真樹子は「頑張って」と声を掛け続けた。
一度も涙は見せなかった。
事故から2週間後の4/20の夜、大治郎は旅立った。享年、26歳。
その夜、付き添っていたのは真樹子だった。
大好きな人に2人きりでそばにいてもらえ、安心したのかもしれない。

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この年のGPは2戦目以降、皆が大治郎のゼッケン「74」をどこかにつけて走り、その後、「74」は永久欠番となった。

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日本以上に海外での人気が高かった大治郎の死はヨーロッパでも大きな衝撃と悲しみを与えた。
イタリアではサーキットへ続く通りに「viale daijiro kato 」(加藤大治郎大通り)という名前がつけられた。

大治郎が目指したMotoGPクラスでの世界チャンピオンの夢は叶わなかった。それは、未だに日本人ライダーが果たせぬ夢でもある。
DAIJIRO CUPは「子供たちにバイクやレースの楽しさを知ってもらいたい」という大治郎の想いから2003年に始まった。そこで走るちびっ子たちの中からいつか、大治郎の夢を継ぐ者が現れるだろう。

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4/22、東京・上野の寛永寺輪王殿で営まれた葬儀・告別式には沢山のモーターサイクル関係者、ライダー、ファンが集まった。献花に埋もれて穏やかな顔で眠る大治郎を眺めて、真樹子はふっと微笑んだ。
大ちゃん、良かったね。
みんな来てくれて。
真樹子はパスケースから似顔絵の描かれたナプキンを取り出すと、そっと棺に忍ばせた。
忘れないでね。
わたしも行くから。
今度も遅れちゃうけど。
怒らないで抱きしめてね(終)

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