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【独占インタビュー】ピカソ〜『ピカソ』という十字架を背負って舞い続ける〜

1968年、春。
プロヴァンス地方、ムージャンの風はまだ冷たい。
カフェへと続く、なだらかな坂道に敷かれた石畳を、男はゆっくり踏みしめながらやってきた。
既に90歳近いはずだが、背筋は伸び、がっしりした体格から踏み出される一歩は思いの外、大きい。
すでに、約束した時間からは10分遅れているが、焦る様子はない。

カフェのテラス席から立ち上がって私は男を待ち受けた。

「ここのカプチーノは絶品なんだ。冷める前に飲んだ方がいい」

私の前まで来ると、男は遅刻を詫びるでもなく平然とそう言って、私より先に腰をおろした。

「悪いが、時間は10分しか取れない。おっと、私がカプチーノを飲む時間を引かなければいけないな。5分でもいいか?」

事前の約束ではインタビュー時間は20分だった。
それでも充分とは言い難いが、この男と遅めのブレックファーストを取りたがっている記者は、世界中にごまんといるのだ。
20分でも奇跡だと思い、了承したのだが、5分とは流石に…どうやら「遅刻」の10分は、なかったことにされてしまったらしい。

参ったな、カプチーノのカップに落としていた視線を上げると、男はかすかに微笑んでこちらを見つめていた。
しかし、有無を言わさない視線だった。
この男のこの目に射すくめられて、26歳の、駆け出しのアートライターだった私に、これ以外の何が言えただろう。

「充分です。お会いできて、光栄です。ムッシュー…」
この言葉を本人の前で発するのは、流石に緊張した。
「ムッシュー、ピカソ」
その言葉に彼は満足そうに頷いた。

こうして、88歳のピカソへのインタビューは始まった。
私が26歳、アート専門のライターになって、3年目の春だった。

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私:「最近は、版画を多く手がけているそうですね」
ピカソ:「あぁ、気まぐれさ。何だっていいんだ」
私:「キャンバスに描くのは飽きたと?」
ピカソ:「飽きる?私が飽きるのは女くらいさ。もっとも、マリー・テレーズは別だがね、あれは、完璧な女だった。まるで私の為に存在しているような…」

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私:「しかし、別れてしまいました。今はジャクリーヌ・ロックがあなたのミューズですね」
ピカソ:「その言い方は好きじゃない。もっと手軽なもんだ。絵の具と同じで必要なら手に取る。用がなくなればその辺にうっちゃる。それだけのことだ」

私:「フランソワーズ・ジロー、ドラ・マール、そしてテレーゼ、あなたと関わった女性は皆、その後あまり幸せそうではありません」
ピカソ:「当たり前だ。元々どれも凡庸な女だ。この私、ピカソが輝かせてやっていたのだ。履き違えてもらっては困る」

私:「……。ところで、今手がけている版画には随分エロティックな表現も含まれていますね。その意図を教えて頂けますか」
ピカソ:「鯨になぜ泳ぐか尋ねる者がいるかな?ふふ」

私:「……。今回の版画は、あまりに露骨な性的な表現が多く、あなたをずっと支持してきた批評家のダグラス・クーパーも「狂った老人の支離滅裂な落書き」と評しています」
ピカソ:「ダグラスか。札束で人の作品を根こそぎ取り上げるしか能のない奴かと思っていたが、たまには良いことを言うじゃないか。支離滅裂な絵が描ける画家が他にいるか?」

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私:「では、あくまで狙って描いていると?」
ピカソ:「狙う?逆だな。子供さ。フランソワーズとの子供だ」
私:「クロードとパロマですね」
ピカソ:「あぁ、彼らは実にいい絵を描く。セザンヌを抜かせば、彼らが私の師であり、ライバルだ」
私:「もう少しその点について詳しくお聞かせ願えますか?」
ピカソ:「破廉恥で、非常識で、尖っていて、底抜けに明るい。子供の絵は…全く、手に負えないよ。私はそれを超えるものを描こうとしている」

私:「あなたは『青の時代』から始まり『薔薇の時代』、そしてキュビズムへ、そこから『新古典主義』へと立ち返って…と、画風を激しく変化させてきました」
ピカソ:「人生とは、いつだって目の前に「今」があるだけだ。それ以外、描きようがない。批評家がつけたお題目にも興味がない。今、興味があるのはさしあたり…目の前のカプチーノかな。ふふ」

私:「あなたの作品は、その時々のあなた自身の有り様を反映してきた、そして今あなたが描いているものは…その全てがミックスされているようです」
ピカソ:「君は、ビスキュイは食べるか?この坂を下ったところに、オレンジを効かせた美味いのを食べさせる店がある」
私:「はい。ビスキュイは、プロヴァンス伝統の焼き菓子ですね。日本にも、似たような焼き菓子があります」
ピカソ:「そこの店のビスキュイは美味いのだが、カプチーノと一緒に食べると…これが酷いんだ」
私:「どちらもあなたの好物なのに?」
ピカソ:「そういうことだ。君は、今の私の絵を、今まで私がやってきたことのミックスと言ったね?そんなもの、混ぜるとどうなるか。見れたもんじゃない」
私:「……」
ピカソ:「だが、だからこの私、ピカソが描く意味があるのだ」

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私:「今は批判されても、またいつかそれは『時代』になり、他の画家が追随すると?」
ピカソ:「そこまで思い上がってもいないし、他の画家に興味があるわけでもない。批判は批判でいい」
私:「気にしないと?」
ピカソ:「手紙の封筒のように、他人の口に蝋は押せないものだよ。フランソワーズの本がいい例だ」

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私:「フランソワーズはあなたと別れたあと、あなたとの日々を書いた、告白本を出版しました。あなたは出版社に圧力をかけ、差し止めようとしたが、かないませんでした」
ピカソ:「ふん。まぁいい。あの女もじき分かる。私と別れたことがどれだけ愚かな選択だったか」
私:「フランソワーズは新たな伴侶を得て、画家としての活動も続けていますが」
ピカソ:「鯨が海面を漂う藻屑の行方を気にするか?いずれ、波濤に飲まれ、沈むだけだろう」

私:「……。話を、あなたの画風の変遷に戻しましょう。あなたがこの歳になっても精力的に新たな…好戦的とさえ言える作品を発表し続けられるのは何故なのでしょう?」
ピカソ:「生きているからさ」

私:「生きている限り、描き続けると?しかし、ほとんどの画家は歳を取ると今までの作品の焼き直しになってしまいます」
ピカソ:「生きて、同じ日など1日だってないのだ。同じ絵を描いて何になる。死ぬその時まで、新しい絵は生まれ続ける。それが私の必然だ」

私:「創作意欲は衰えないと?」
ピカソ:「今、ようやく望む絵が描けるようになってきたところだ。君の国にもいただろう…HOKUSAIというのが」
私:「浮世絵の葛飾北斎ですね?」
ピカソ:「ああ、それだ。彼も晩年、同じようなことを言っていたね。私にはその気持ちがよく分かる」

ピカソ:「おっと、そろそろ、時間かな?」
私:「もう1つだけ、質問をお願いします」
ピカソ:「困るな。5分という約束だ。それももう過ぎている」
私:「それを言うならお言葉ですが、ムッシュー、ピカソ。遅れてきたのは、あなたの方です」
ピカソ:「………。いいだろう。だが、冷めたカプチーノのお代わりは、君の奢りだ」
私:「喜んで」

私:「あなたは先程、同じ日がないように、生き続ける限り新しい絵を描くのだとおっしゃいました。それは、楽しいことですか?辛くなったりはしないのですか?」
ピカソ:「……。辛くないか、か。一体、辛くない人生なんてものがあるのかい?」

私:「では、あなたも産みの苦しみ、描き続ける苦しみはあると?」
ピカソ:「そんなものはどうでもいい。私は…今まで好きに生きてきた。そして成功した。だが、私を憎む人もいるだろう。寄ってくる人間も、好意からばかりじゃない。大抵は金さ」
私:「……」

ピカソ:「『ピカソ』という十字架を背負って生まれてきてしまった宿命なのさ。描くしかないだろう。そして実際、描かずにはいられないのだ」
私:「宿命、ですか?」
ピカソ:「あぁ。もうこうなったからには仕方ない。野に舞う蝶のように好きに飛び、好きに蜜を吸ってきた。あとはどこかで朽ちて落ちるだけだろう。だがその一瞬までは、ピカソでいなくてはいけない。分かるかね?」

私:「まだ、描き続ける意欲もあるし、描き続けないわけにはいかないと?」
ピカソ:「硬いな、君の言葉は。蝶さ。いずれ死ぬ。しかし美しく舞う。そしてできうれば、美味い蜜にありつけたらなおいい。だが、それもこれも、描くという一瞬の前にはどうでもよくなる」

私:「ありがとうございます。あなたの次の作品を、楽しみにしています」
ピカソ:「これでインタビューは終わりかい?」
私:「はい、貴重なお時間をありがとうございます。約束通りカプチーノは…」
ピカソ:「いや、いい。気が変わった。ここは私が奢ろう。もう一杯、頼むといい」

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