連載「若し人のグルファ」武村賢親30
バスタ新宿の周辺をぐるぐるまわり、駐車できるところを探したが見つからず、けっきょく停車させた車の中から人混みにまぎれていくおやじさんを見送った。
最後の最後で不躾だったな、と反省しながら、休憩しようと座席を倒して横になる。
雨脚が強くなり、フロントガラスを叩く雨粒もこころなしか大きくなっているようだ。間歇的に激しくなるエンジンの振動を背中に感じながら、雨音に耳を澄ませて目を瞑る。
頭の中で、今日までさんざん目にしてきた丑尾の背中と、たったいま見送ったばかりのおやじさんの背中を重ね合わせる。
歩き方といい、身体のゆれ方といい、そっくりだった。
ただ唯一違うのは、腕を伸ばしたときの反り具合か。おやじさんは手首よりも外側をひじの先が通るのに対して、丑尾のひじは身体に近いところにあってあまり動かない。
以前派遣先の食堂で目にした雑学番組の再放送で、着ぐるみの中の人が男性か女性かを当てたければ腕を伸ばしたときのひじに注目すれば良い、と言う専門家の話を聞いて面白いなと思ったことがある。
男性の場合、腕をぴんと伸ばすとほぼまっすぐに伸びるんですが、女性は外側に反ったようになります、だから戦隊モノのピンクを担当している人が男性だったりすると、僕らの界隈ではあの人細身なのに頑張ってるなぁ、となるわけです、他にもアニメーションやCG映画なんかで女性キャラのひじが伸ばされたときに反ってないと、これを書いた人は解剖学の勉強が足りてないんだとすぐにわかります。
そのときはへぇーと思っただけで実際に確かめてみたりはしなかったが、こうして思い浮かべてみると、空調のリモコンや、専門書を引き寄せようと腕を伸ばす丑尾のひじは、たしかにすこし反っていた。
あれだけ意識して隠していても、腕の曲げ伸ばしひとつで自分の性別が露見してしまう。身体の肉づきはどうにかなるとしても、骨格ばかりはどうにもならないじゃないか。
そう思ってこの雑学は丑尾に話さなかったのだということを、番組で得意げに語っていた専門家のひじと一緒に思い出す。
私は生まれつき猿手で、着ぐるみに入ってもバレません、という専門家に司会者の芸人が、いやあんたはそのビール腹でバレるわ! とツッコんで会場の笑いを誘っていた。
『次のニュースです。イスラム国によるダッカ・テロから一年。今月三日には日本人七人をふくむ犠牲者への追悼イベントが催され、犠牲になった日本人の家族がテロ撲滅へのスピーチを行いました』
くぐもったラジオを聞き流していると、窓ガラスをノックする音が降ってきた。
瞼を持ち上げると、後部座席の窓からこちらをのぞき込んでいる人影があった。しかし、雨の水滴で輪郭がぼやけ、それが誰かは判別できない。
訝りながらもすこし窓を下ろしてやると、助けてもらっても良いでしょうか、と言う聞き覚えのある声が降ってきた。
「マティファか?」
座席を戻しながらロックを解除して、後部座席のドアを開ける。
頭にハンカチを乗せただけのマティファが身を屈めて飛び込んできた。
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