見出し画像

酔って思ったことを連綿と書き残す19「前世、或いは」

記憶とは曖昧なものだ。
生きた時間の記憶。或る時に嘘をついた、それがそのまま定着する記憶。人から言われて、補足された記憶。転訛して、知らない国の人として、違う時間軸にある記憶。
私には、どうにも説明のつかない2つの記憶がある。

ひとつめは、夏の出来事だ。
私は6歳ぐらいの子供で、木に登っていた。ちょっとした都会にある、小さな家の庭木にしがみついていた。
詩作「廣島」については脚色した点があるが、記憶では、警報はなかった。
光を見た。気づいたら、川にいた。
ゾンビのような人たちが、声にならない声を鷹揚とあげていた。
私も、ドロドロになっていた。
それを、拭おうとした。

ふたつめは高架線。
そこにもゾンビがたくさんいて、熱くて痛い、煙で、目も喉も痛い、あちこちに倒れた体があって、火が上がっていて、とても静かだった。お母さんを探した記憶。空の色は、朱、かなあ。
線路を歩いた。

ふたつめについては、「もしかして、ここだったんじゃないかな?」と思い至った場所がある。現実にそこではたいそうな空襲があって、多くの犠牲者がいたそうだ。
ひとつめにも心あたりがある。それは、広島だ。

となると、時間軸がまるで合わないふたつの記憶が自分に在ることになる。
どちらも嘘の記憶なのか、どちらかが正しいのか。どちらも、違うのか。

私は嘘つきだけど、どれも幼少期、年齢できちんと言うなら、どちらも並列して、3歳頃には明確に追従していた記憶だ。当時は、ふたつの風景が同じ場所での同じことだと思っていたが、大人になって「違う」ことに気づき、そして、ふたつめがここかもしれないと思った時から、ずっとモヤモヤとしている。

なんで、およそ同時期の記憶が、広島と横浜で跨っているんだろう?

そもそも、前世なんてものは信じられない。どこかで見知ったものが自分の記憶として定着して、経験したことになっただけだろうと思いたいよ。
ただ、私が「はだしのゲン」を知ったのは5歳ごろ、横浜という町を知ったのはもっと後。京急の高架線をこの目で初めて見たのは26歳ごろ。

わからない。わからないが、否定をしきれない、リアルな痛みを伴う不思議な記憶がふたつ、確かにインプットされている。夢かもしれない。
きっと、夢の記憶なのだろう。
なぜならふたつめの記憶が確かならば、横浜の高架線上にいるはずもないからだ。みんな、高架線の下に逃げて、それで亡くなられたと聞いているよ。
それ以前に、「前世」というものが仮にあったとしても、このふたつの記憶が重なるわけもない。

さあ、て、ね。
ただ、横浜の黄金町の高架線を初めて見た時は、本当にゾッとしたよ。
戦慄というか、「ここだ!」って思った。
その後、横浜に嫁いで、思い出すたびに京急に乗って見返したが、如何にもこうにも、確信しかなかった。
ある「目印」があってね。
それが本当に確かかどうかは、わからないよ。これは嘘つき所以の妄言ではなく、誤魔化しだね。
前世なんて、あるわけがないのだから。

でも、そのふたつの「夢」は、今でもよく夢に見る。
見間違うことのできないあの「目印」がある高架線を、私はどうしても否定できない。
「知っていた」。
広島はともかく、西日本生まれの私が、横浜のそんなマニアックな原風景など、知るスペックも持たない。
知ってる西日本の3歳児なんていたら、前世の天文学数よりも余程おかしなマニアっぷりさ。

忘れられない、否めない、不可思議な何か。謎だらけの記憶。ひとつめは冷たくて、ふたつめは熱かった。
嘘であって欲しいふたつの記憶。
そして、延々と、死ぬまではこのふたつの夢を見続ける自分。
心地の良くない熱感を以って、体感し続ける自分。
夢だろうと、前世だろうと、そんな追体験は嫌なものだよ。消し去りたい。
思い出したくもないが、湿気の増えるこの時節は、その夢をよく見てしまう。

コテコテと鶏が歩く。雛がいる。庭木に登って、母を呼ぶ。
その瞬間、気づいたら川にいる。
高架線上で、陽炎を見ている。

よくわからないことだらけだよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?